ドリトル先生風?

一昨日もちょっとわけの分からないメモを一つ紹介したが、他にも机の周辺にやはり書いた本人が(私でーす!)首をひねるようなメモがいくつか貼り付けられている。たとえばこんなメモもある。

 「美子を登場させる物語 ファンタジー ドリトル先生風」

 『ドリトル先生』のような物語を、それも美子を主人公にして書こうなどと考えたのであろうか。美子にいったいどんな役回り演じさせようとしたのか。今となっては見当もつかない。しかも「ドリトル先生風」などと書いたが、実はまだまともには読んでいないのである。確かに岩波少年文庫の全十二巻を持ってはいるが、それは自分が読むためというより、将来わが貞房文庫を利用するはずの孫たちや未だ見ぬ本好きの少年少女のために買い集めたものである。
 書きつけた文章の意味は不明だが、なんとなく気になってきた。それで階下の書庫から第一作目の『ドリトル先生アフリカゆき』を持ってきた。

 「むかし、むかし、そのむかし――私たちのおじいさんが、まだ子どもだったころのこと――ひとりのお医者さんが住んでおりました。そのお医者さんの名まえは、ドリトル――医学博士、ジョン・ドリトルといいました。」

 著者はいわずと知れたヒュー・ロフティング(1886-1947)。イギリスのバークシャー生まれ、土木技師として、アフリカ、南アメリカなどで鉄道建設に従事していたが、アメリカで結婚して作家を志す。第一次世界大戦中、戦場から息子たちに書き送った動物たちの物語がドリトル先生の原形となったそうである。訳者はあの『山椒魚』であまりも有名な井伏鱒二先生。巻末には、石井桃子が全十二巻の詳しい解説を六十ページにもわたって書いている。
 いやそれはいいとして、美子を主人公にどんな物語を構想したのだろう。いま美子は、隣の部屋のベッドで目を開いている。風呂に入ってから、温まってぐっすり寝たと思っていたら、まだ眠っていないのである。日中はソファーに坐って居眠りをすることが多いから、夜になっても眠くならないのだろう。私がベッドに入る一時半ごろまで起きている方が多い。しかし側に行くと安心するのか、すぐ寝息を立て始める。
 ときどき意味不明の言葉を長々としゃべることがある。美子にとっては意味あることを話しているに違いない。何を物語っているのか。もしかすると、あのメモが言わんとしていたのは、ドリトル先生が動物たちの言葉を解したように、美子が思い描く物語を、私が代わって書きとめるということだったのか。
 そうだねー、そうだよ、などといつも適当に相槌を打つだけだが、もしかすると、いや間違いなく、意味のあることをしゃべっているに違いない。美子の話す言葉は何語で、どんな文法を持っているか。ぜひ知りたいものだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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