老婆が美しく見える境地へ

日中はさらに暖かくなってきた。夜ノ森公園のベンチには、ここ数日だれも坐っていなかったが、今日は四、五人のおじいさんたちが日向ぼっこをしていた。今おじいさんたちなどと言ったが、彼らとて私と同じくらいの歳のはずだ。家におばあさんがいるのだろうか、それとも先立たれて、いまは息子あるいは娘の家で、肩身の狭い毎日を送っているのだろうか。そんなことがしきりに気になるようになってきた。
 すれ違う散歩人たちも、若い人はめったに声をかけてこないが、同年輩あるいはそれ以上のおじいさんおばあさんはほとんど例外なく挨拶をしてくる。若いときならそれぞれの個性や癖が表に出ていて、できれば接触を避けたいと思う相手も多かったのかも知れないが、この歳になると、それら個性や癖は角が取れて丸くなっている。だから見知らぬ人であっても、何の抵抗感も無く素直に挨拶できるようになる。お互い今日までいろいろなことがあっただろうが、人生の最終コースに入った今、まるで戦友のような親しさが感じられるのだ。
 ご苦労さん! いろいろあったねー、でも残された日々、恙無く暮したいよね、と心から思えるようになってきたのである。わが町の人口構成というか年齢別比率がどうなっているかは知らないが、おそらく、いや確かに、老人たちが圧倒的に多いのではなかろうか。そして病院や薬屋さんの数が多い。老人にとっては住みやすい町である。友人の一人は、東京で一人で老境を生きているが、病院に行くにしても、電車やバスを乗り継がなければならない。
 いやそんなことを言えば、田舎だって都会よりはるかに不便なところも多い。要するに、たまたま私の住んでいるところが、手ごろな大きさで、周囲一キロ以内にうまいことほとんどすべてが収まっている、ということであろう。ありがたいことだ。
 しかし今朝方、起きしなに、まだパジャマ姿で襖を開けようとして、ついバランスを崩して無様に尻餅をついてしまった。いままでだったら、即座の足運びでバランスをとり転倒を回避できたはずなのに。これが老いということなんだろうな、としばしショックから立ち直れなかった。
 おやおや今日はどうしたんだろう? やたら気が弱くなっている。元気を出そうよ。でも肉体も精神もそれ相応に老いてきた現実を率直に認め、受け入れ、その上でこの現実をどう生きるか、しっかり考える必要がある。

「町中を押し車を押して歩く老婆の姿が美しい、少なくとも愛すべき存在として見える境地に至ること」

 机脇の本棚にそんなメモが貼られている。いつ書いたものかは忘れたが、車を走らせているとき、ふと見かけた街角の光景を思い出して書きつけたものらしい。
 そうだ、その老婆は美しいんだ! 腰も曲がり、頭髪も薄いその老婆が背負ってきた人生の重みは、紛れもなく美しい! 現在の不如意な佇まいの底に透けて見える彼女の魂のなんと美しいこと! そう見えないとしたら、それはまだ己の魂が、その心眼がじゅうぶん成熟していからなのだ!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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