籠城生活断片

※いろんな方から新情報をいただくのですが、本音を言えば気が滅入るような情報は見たくもありません。それは籠城している身にはとても応えるのです。そんな中、清泉時代の教え子の中学時代の同級生からいただいたメール、本当に勇気付けられました。右のコメントの上から六つ目のところにコピーしてますので、皆さんもぜひご覧下さい。→


四月三日(震災後23日目)晴れ

*わが家に地震の被害無し、と思っていたらそうではなさそうだ。それに気づいたのは、昨日の午後、美子の散歩代わりにと新棟の二階廊下を手を繋いで何度か往復しているうち、ふと窓の側近くの飴色の瓦の上になにやらセメントの破片がいくつか落ちているのを見つけたときである。外に出て見上げると、何と言えばいいのか屋根瓦の斜めに降りてくる稜線(?)の一部がゆがんでいて、その部分を固めていたセメントが剥げ落ちたらしい。雨漏りがするような壊れ方ではないと思うが、修繕しようにも、馴染みの工務店は避難したのか電話にも出てくれない。帰りを待つしかないか。
*十日目ぐらいまでは、始終余震があったり(今でも時おりあるにはあるが、すっかり慣れてしまった)、絶えずテレビの原発関連ニュースを追うなどしていたから、あっという間に一日が終わったが、ここ一週間ほど、のんびりと所在無い時間が過ぎるようになってきた。本当はこんな機会に、日ごろ読みたくても読めないできた本などを読めばいいのだが、情けないことにそのための心の余裕はまだ出てこない。それで昨日から、私家本の印刷・製本を再開した。今回お世話になった方々へ、一段落したらお礼にさし上げようと思っているからだ。袋とじ印刷されたB5の紙を、左端が左端にぴたりと重なるように折ってから扱く(しごく)だけの実に簡単な作業が、意外と心を静めてくれる。
*そうして出来上がった『モノディアロゴスⅣ』二冊を、まずお二方に送ることを思いついた。ちょうど愛のところに、ばっぱさんが置いていった上着や愛のお菓子などを送ろうと思っていたので、昼食後思い切って鹿島郵便局まで行くことにしたのである。
*ガソリンは満タン。後部座席に美子を乗せ、旧国道を走る。途中三台ほどクレーン車みたいな大型車と行き違ったが、それ以外はいつもとほとんど変わらぬ車の往来である。鹿島郵便局に着いてみると、先客が駐車場から出てくるところに出くわした。聞いてみると局は閉まっているのでクロネコから送ることにしたと言う。念のため正面に回ってみると、張り紙が二、三枚貼られていて、要するに総務省の通達で、南相馬管内の郵便局からは出すことはできないらしい。カーテン越しに内部を見ると、四、五人の局員が談笑していた。民営化、民営化と鳴り物入りの組織替えだったはずだが、こんな大事なときにはちゃっかり国営企業に舞い戻っている。
*ここまで来て帰るのも悔しいので、思い切ってその先の相馬市まで行くことにした。六号線に出ると、何回か自衛隊の車と行き違ったが、その他は以前と変わりない。さて相馬の街中にはまったくの不案内、この町に住むスペイン語教室受講者に電話して震災以後の互いの無事を喜びながら道を聞こうかな、と思ったが、ケータイに入れていた番号が間違っているらしく通じない。そのときなにやら郵便局の看板らしきものが目に入った。駅前郵便局である。ありがたいっ、と駐車場に車を入れ玄関に回ってみるとやはり閉まっている。中央郵便局なら日曜午後も開いてるはず、と考えたが、さすがにそこまでの元気は無い。明日あたり西内君が相馬局に行くと言っていたから、そうだ彼に頼もう。局前のポストにせめても贈呈本の入ったゆうメールを投函して帰路についた。
*帰りはずっと六号線を走ったが、途中金沢地区の手前で、道路の両側がテレビで何回も報道されていたような津波被害の惨憺たる光景が広がっていた。やはり現実に大津波が襲ったのだ。惨状を一度は見るべきと思っていたので、今日の遠出はそれなりに意味があったということにしよう。
*さて気になる南相馬の午後七時現在の例の数値は、0.82マイクロシーベルト。ずっと低いままだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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籠城生活断片 への2件のフィードバック

  1. 宮城奈々絵 のコメント:

    先生のblog、色々探している時に偶然見つけました。友人が南相馬の小高地区に住んでおり、県外避難をしたばかりの時期でした。友人は新生児がおり、その子への影響を心配しておりました。私も友人の気持ちを考えると、どうにも仕様がなくオロオロし、また宮城の山元町が実家(現在、私は千葉県におります)で、相馬、南相馬、いわきの辺りはよく行く場所であったので、哀しくて仕方がありませんでした。
    でも、先生のblogを読み、何故か不思議と心が落ち着いたのです。オロオロするばかりの自分が何だか滑稽に思えました。とにかく、事は起きてしまったのだから、この状況の中、生きてくだけだ、子供達(4人おります)を育て抜くだけだ、と腹が据わりました。
    遠く関東に住む私が故郷に何が出来るかと考えていた中、津波被害にあった山元町、新地町の子供達が文房具がなく、新学期に向け心配してる、文房具が欲しいとの話聞きました。これなら私も出来ると、幼稚園友達のママさんへ呼び掛けたところ、段ボール30箱分集まりました。5日連続徹夜で仕分けしました。被災地での仕分けの苦労がよく分かりました。明日5日、チャーター出来たトラックに同乗し、子供達に配りに行きます。
    オロオロと泣くばかりで動けなかった私の背中を押して下さったのは、先生の生きる姿勢であります。出発前にお礼したく、コメントを書きました。長文申し訳ございません。先生の平穏な生活とご無事をいつもお祈りしております。

  2. 富士貞房 のコメント:

    私自身は妻のこともあって(それは言い訳だ!)、家に居るだけですが、貴女のように実際に行動に移される方を見ると、本当に頭が下がります。貴女の熱い思いに感動しています。どうぞどうぞ私の分までお願いいたします。でもぜったに無理はせず、お体大事にしてください。

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