片肺飛行

午後、ふと気がついた、そうだ週刊誌に美子の笑顔が載っていることを、最近はまったく音信が途絶えていた美子の友だちに知らせてやろう、と。認知症になって以来、それまではたくさんの友人がいたのに、いつの間にか幼友だち二人だけが時おり連絡をくれるだけになってしまった。もともと外交的で、賑やかなことが好きだったのに、ここ数年、来信も途絶えている、ただ一人の幼友だち以外は。手紙や電話があったとしても、もはや応答ができないのであるから当然の成り行きとは思うが、可哀相だなと思っている。でも今度のことは途切れた糸を繋ぐ絶好の機会ではないか。
 正直ちょっと恥ずかしかったが、思い切って受話器(送話器?)をとった。むかし用賀のインターナショナル・スクールで同僚だった札幌のEさん、いつも誕生日にはプレゼントを送ってくれたSさん、八王子の純心女子高の同僚でいまは退職して愛媛にいるMさん、などなど五人ほどに電話をしてみた。もちろんすぐ思い出してくれた。世話好きだった美子の過去が一挙に蘇った。妻は昔のように応答はできないが、どうぞこれを機会に今後ともよろしく、とお願いして電話を切った。
 こんなことなら、もう少し交友関係を聞いておけばよかった。しかし私が知る範囲の友だちとはこれから先も繋がりを切らないようにしよう。エンジンの一つが故障した双発プロペラ機みたいな頼りなさを感じるが、電子制御ではなく手動式のエンジンだから、騙しだまし動かせば、これから先とうぶんは跳び続けることができるであろう(と願いたい)。
 夜、美子にシャワーを使わせる(?)、正確に言うと、シャワーで体を洗ってやる。私自身は昨夜、美子が寝てから浴びた。今までは二人で一緒だったが、それだと終わった後の疲れが大きい。寝かせる準備をしているとき、テレビでは飯舘村の菅野村長と古舘伊知郎がなにやら話し合っていた。聞くとはなしに聞いていると、村をゴーストタウンにしないよう、縫製工場などは通いの工員たちによって操業を続け、同時に土壌の交換を強く政府に迫って、二年後にはまず老人たちを村に戻す計画らしい。おそらくその縫製工場の操業続行については政府ときわどい折衝の末のことだと思うし、二年後の老人たちの帰村に関しても、たぶん独断専行のプランであろう。どこかの市長とは違って、おぬしなかなかやるのう、である。
 老人たちといっても私より若いはずだ。人生最後に訪れた晴れ舞台。後続の若いもんたち、さらには孫たちのために、じっちゃんばっちゃんの出番だ。二年後と明確な期限付きだから、これから二年間の辛い避難生活にも耐えることができよう。政府が土壌交換などの難事業を逃げないよう、そして村長の「工程表」実現の足をひっぱらないよう注目し応援してやらねばなるまい。二年後に戻ってくる「老人たち」の中に、中学時代の同級生Tおばあちゃんの元気な姿もあるはずだ。野菜やっから寄ってけー、と言われていたが、まずはお迎えに駆けつけよう。そしてその翌年、こんどこそ最初の収穫をもらいに行くことにしよう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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片肺飛行 への4件のフィードバック

  1. 安里睦子ー のコメント:

    カンパーイ」

  2. eiko noji のコメント:

    はじめまして。2カ月あまりブログを拝見してます。
    かんぱ~い! 

  3. 宮城奈々絵 のコメント:

    まずはカンパイ!ですね。
    先生の投げた石は波紋となり、広がっているのですね。

    私は「幼児教室」という名の幼稚園に子供を通わせていますが、母も運営を手伝う、とても濃い濃い人間関係が出来る場所なのです。そこで皆と言ってることは、子供が成人し自立していったら、今度は「老老教室」として集まろう!です。
    同じ時を共有した仲間はどんなに時間的ブランクがあっても、再び集まった時には容易に時を越えられると思います。
    苦難の時を耐え忍び、時を重ねた、たくさんの村民の声が村中に賑やかに響く未来を、心より願います。

  4. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

     実は昨夜書き始めたのですが、文中、どうしても文献に当たらなければならない個所が出てきて、さてどこにあるかと探し始めたのですが、地震のあと、振り落とされた本をなんとか書棚に戻したり、ただ積み上げたりしていて、どこに目当ての本があるか、これはもう完全にお手上げ。まあいい機会だから、少しずつ整理を始めなければ、と思っているところです。
     それはともかく、これまでの休講と違って、なんとなく落ち着いていられるのは、聴講生の中に必ずみなの前に出てきて、面白くてためになる話をして場を繋いでくれる頼りになる年配(?)のお兄さんがいるからでしょう。ありがたいことです。ゆっくり本を探します。

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