三つもいいことが

今日は三つもいいことがあった。
 一つ目は、西内君に関することである。嬉しいというかめでたいことなので、実名のまま話を続ける。実は4日ほど前、いつもの通りわが家に寄ってくれた彼、八月にやる菅さんたちのミニ・コンサートの根回しやら準備のことを話しているうち、七月は入院の予定なので、とふと漏らした。えっ入院、そこで彼が初めて病気のことを話した。それもガンだという。相馬市で全摘の手術をするけど、転移が心配だ、と。その場では、どうか負けないで頑張って、と言うしかなく、しかし彼が帰ったあと、久し振りに泣いた。
 震災後、親鳥が子鳥に餌を運ぶように支援物資やら、自腹を切って何かと食料を持ってきてくれた。それだけでなく、東京から取材などで訪れる客人たちの案内役を買って出て、時には夜道を福島市まで送って行ってくれたこともある。それもすべて病を隠しての献身であったと分かったからだ。
 ところがである。なんと今日、精密検査の結果、それがガンではなく、しかも手術・入院はするが全摘をするまでもないことが判明した、というのだ。先日は、医者の説明を聞いていくうち、これはガンしかないなと早とちりしたわけだ。なにはともあれ、こんなにめでたいことはない。私の糖尿病にしろ、彼の(あんまり嬉しくて、なんという病気か聞き漏らした)病気にしろ、この歳では根治することはなく、これから一生付き合わなければならない病気だが、なーにこうなりゃうーんと仲良くしてやらーな。
 で、二つ目は、帯広の叔父と上士幌の従弟が、先月に引き続いて、昨日の午後、帯広で合流して、日高自動車道を走って昨夜は函館に泊まり、今朝フェリーで青森に上陸し、陸路十和田のばっぱさんを訪ねてくれたことである。十和田に向かうトンネルの中から94歳とは思えないようなあっかるーい声で連絡が入った。そして無事十和田に着いてからはみんなでイタ飯を食べ、帰路、青森に向かう車の中から、またあっかるーい声で、サイコーっ、もう死んでもいい、などと電話をよこした。来月末のばっぱさんと叔父二人同日誕生日にもまた来て、今度は南相馬まで足を延ばすらしい。
 そして三つ目は、ちょっと尾篭な話(でもエスカトロヒコな、つまり終末論的な話ですぞい)になるが、美子が大量にトイレットペーパーを使うことがあり、ために二階の便器が紙詰まりになってしまったことと関係がある。幸い、一階にもトイレがあるので切羽詰ったわけではないが、なんとか自分で直そうと、朝から針金のハンガーを棒状にのばして吸い込み口(?)に突っこんでみたが駄目。こういうときはヤフーで検索。するとありましたありました、いちばんいいのは百円ショップでも売っている「通水カップ」を使うこと、と。
 通水カップはラバーカップから出来た和製英語であり、英語での正式名称はプランジャー(Plunger)というらしい。通称はいっぱいある。すなわちギュッポン、ボンテン、ガッポン、スッポンなど使用するときに発する音を擬音化した呼び方や、 地方によってはズッコンやパッコン、バッコン、ヘプシ、カッポン、キュッポン、キュッポンキュッポンなどとも呼ばれるらしい。
 ヘプシなどあのペプシが聞いたら激怒するかも。それにしてもあの簡単な道具に、付きもついたり多数の呼び名。たぶん店屋に買いに行くとき、なんとか説明しようとして、擬音語を各自工夫して出来上がった言葉だからか。でもちょっと多過ぎ。私はうろ覚えにスッポンは知っていたが、それぞれ個性的でんなー。
 ともかく買い物から帰るやいなや、すぐ試してみた。すると効果抜群、ズッコン、パッコンと3、4回やっただけで、大きな音を立てて汚染水が流れましたぞい。ちきしょーめ、原発の汚染水なんざこのカッポンさまで吸い上げちゃうぞー。それっズッコン、カッポン…なんだか楽しくなってきたぞ、さっ皆さんも手つだってー、それズッコン、パッコン、ズッコン、バッコン…

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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