暑っ苦しい話

表題は「みみっちい話」でもいいし、あるいはどぎつく「やらずぶったくりの常習犯・日本郵便」としてもいいのだが、やはりこの猛暑というか酷暑にちなんで「暑っ苦しい話」とする。
 またもや日本郵便ネタである。いや「日本郵便」と言うべきか、それとも「郵便局」と言うべきかは分からない。つまり昔の郵便局は、いまや「日本郵政グループ」となり、郵便局、日本郵便、ゆうちょ銀行、そしてかんぽ生命の四つに枝分かれしているらしいのだ。郵便局と日本郵便がどう違うのか、未だによく分からないし、正直言って分かろうとする気もまったくない。八岐大蛇(やまたのおろち)ならぬ四岐大蛇、いやこれまでの数度にわたる不快な経験からすれば、同じ穴の狢(むじな)がいちば適切なネーミングか。
 話はいたって簡単である。昨日の夕方五時ちょっと前、市内のある人宛のゆうメールを郵便局横のポストに入れて帰宅したのだが、中に入れた本が間違っていたことに気付いた。それですぐ局に電話し、今から局に行くので、そのゆうメールを返してもらいたい、と頼んだ。相手は女性だったが、分かりましたと答えた。ところが夜間窓口に出てきた男の局員はそんな電話があったとの連絡は受けていないし、正確な住所が分からないと調べようがない、などという。大都市の大きな郵便局ならまだしも、現在人口三万ちょっとの小さな町、しかも番地は覚えていなかったが、錦町と覚えていたのでそれを言うと、錦町と言っても広いのでねー(ウソつけー)、と明らかに面倒臭そう。この辺でゴボッと湯沸かし器が加熱を開始。
 奴(やっこ)さん、ゆったり時間をかけてゆっくりゆうメールを持ってきてはくれた。しかしここで密かに怖れていたことが始まったのだ。つまり一度お返しした以上、切手はもう使えませんから新しく貼ってください、と言うのだ。見ると確かに消印が押されている。しかしまだ郵送は始まっていないのだ。わずか290円が惜しいのではない、しかしこれは、ふつう世間で言うところの「やらずぶったくり」である。湯沸かし器が沸点に達した。局長を呼んでもらいたい。
 出てきましたよ、局長というのか店長と言うのか分かりませんが。彼に対して溜まりにたまった文句をひとくさり、無駄だと分かっていながら言わずにいられぬ損な性分。つまり何ヶ月も配達業務をサボッたうえ、それについてはいっさい謝罪の言葉を聞いたことがない。郡山局に何十通という私宛の手紙を一月以上も溜め込んでいた事実。従妹などは私宛に現金書留を出したにも拘らず数日後、これは届きませんでしたので、と突っ返しながら何百円という郵送料を一切弁償もしなかった…
 局長の目を睨みつけながら熱弁を振るい、ついにあの文句、「あのねー教えてあげましょうか、こういうのを世間ではヤラズブッタクリと言うの、分かった?」。そんなことを言われながらも、局長、人間ができているのか(ちゃうちゃう、鉄面皮だからだよー)ツルンとした顔で一向に悪びれる風でもない。先日テレビで原発安全神話が崩壊したというのに、まだ安全神話を主張するのか、と詰め寄られたときのなんとか委員会の委員が、やはりツルンとした顔で相手を見ていたときと同じ眼。つまり思考停止の眼だ。
 言い換えれば融通のまったくきかない小役人の眼。規則一点張りで、こんご検討しますとさえ言えない鉄の守り。でもねー、これって、明らかに商慣習にも反してまっせ。実は再度の帰宅後にたまたま荷物を運んできたクロネコさんの若い配達員に聞いてみたのだが、お客さんが一度店に持ち込んだものでも、発送前だったらもちろん中身を入れ替えることだって可能だし、一度家に持ち帰って再度持ち込んでももちろんOKです、ということだった。それって当たり前じゃない?
 もちろん切手は有価証券の一種(かな?)だから、一度消印を押したら再度は使えない、という理屈は成り立つ。でも中身を入れ替えて再度出す分には、たとえばその旨を示すスタンプを押すなり、いくらでも方法があるはずだ。
 郵便局の内規がたとえどうなっているにしろ、発送もされていない郵便物の代金を取るというのは、商慣習にも反するし、いわゆる商人(あきんど)の商道徳にも反する行為であることは明らかだ。昔とは違って強力なライバルが現れた現在(それでもおそらく値段その他でかなりのハンディをもらっているはず)、こんなことをやっていてはそのうち客離れが加速しますよ。
 それにしてもみみっちい話だって? でもねー、これ、たかが290円の問題と違いまっせ。震災であんなに迷惑をかけたのに、それに関しては一切の弁明も、ましてや謝罪もないまま、相変わらずツルンとした顔で客商売を続けている日本郵便という不思議な企業体に、みんな抗議の声をあげましょうという話なんです。でも抗議のメールなんて送っても、カエルの顔に何とか、というのがオチだもね。不買運動でもそろそろ始めましょか。
 本など送るには今じゃ宅配便を使った方が安いし早いよ、とだれかに言われたような気もするけど、どなたかいい考えありません?

※ところでその消印を押されたゆうメール、今日の昼前、西内君が直接宛先に届けてくれました。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください