イノブタの嘆き

三日前からわが家の屋根瓦の修築が始まった。これまでボロ家の修繕は、吉田建業さんに一括お願いしていたのだが、ここ原町地区でも地震によって屋根瓦がやられたところが我が家以外にもかなりあるらしく、屋根に青いビニールシートが掛かっている家が目に付く。土地の業者による修理の順番待ちをしているわけだ。材料費その他の高騰で、ふだんの三倍近く費用がかかるので、値が下がるまで待つことも考えたが、しかしそれとて確実に下がるわけでもなさそうなので、この際吉田さんの紹介で新潟からの業者にお願いすることにしたのだ。
 新潟地震の経験から、彼らは隅棟に鉄骨を入れる地震対策をするというので、なおさら工事をお願いする気になった。これまでだったら、大工さんに仕事をお願いするとき、午前と午後に一回ずつ、そして昼食時にお茶などを出してきたのだが、今回は美子の介護を理由にそれは省略させてもらった。朝の七時半から夕方六時近くまで、実直そうな職人さんが二人、黙々と仕事をしている。しかしこの酷暑、続けての仕事は三時間が限度とのこと、それにしてもきつい仕事だ。
 ところでこの暑さで私たち夫婦も三日ほど、散歩を控えている。そして例の質実剛健なクーラーが今日も老夫婦を熱中症から守っている。ときおり水分を補給しながら、ひっそりと生活している。もちろん原発関連ニュースからも遠ざかり、炎熱地獄をなんとかかわそうとしている。
 ここでいつもの通り話は急に変わる。7月15日付けの朝日新聞によると、中国共産党公認のカトリック団体が、ローマ教皇の承認なしに、広東省スワトー教区で独自に司教を任命したという。昨年11月にも河北省承徳区の司教を独自に任命したことに続いてのこの動きに、バチカンは神経を尖らせているという。承徳といえば、終戦時の我が一家の逃避行の途中、その前年に亡くなった父の遺骨を預けてきた町だ(たぶん文化大革命時にお寺は破壊されたであろう)。
 これはカトリック教会を通して西欧勢力の介入を警戒した中国政府が、1951年にバチカンと国交を断絶し、中国天主教愛国会をつくって独自の管理体制を敷いた流れの中で起こっていることだ。今までだったら、これも中国共産党の一党独裁による宗教統制の一つとだけ捉えていたが、震災後のいわば末期の眼から見れば、どっちもどっちだなあ、という捉え方に変わってきている。つまりバチカンにしろ中国共産党にしろ、どちらも宗教が国家権力体制にすっぽり従属していることへの不快感である。
 バチカンは国家じゃなく超国家だとの反論が返ってくることも重々承知しているが、超国家であるにしろ国家体制であることは明らかだ。現にバチカン市国は世界中に大使・公使を駐在させる一国家である。正直言って政教分離が世界の趨勢なのに、バチカンという存在そのものがそのまったく反対の存在形態であることが今さらのように奇異なものに見えてきたということだ。そんな事を言い出せば教会と国家という複雑な関係をローマ時代から現代まで見直す必要があるのかも知れない。もちろんそんな面倒なことをする気などない。ただ大きな疑問符だけを掲げるだけだ。
 どちらにせよ世が世なら、私など正に背教者(apostata)であり、破門を宣告されていたであろうから、教会内部の人間からは負け犬の遠吠えとしか見えないであろうが、震災後の正直な心境は、以上のようにだいぶ変わってきた。そういえば、スペインのかつての同僚シスター以外、長らく付き合いのあった教会関係者、修道者からは見舞いの言葉が一切無かったことも当たり前と言えば当たり前だが、少し不思議に思っていることもこの際白状しなければならない。武田泰淳『ひかりごけ』の人肉嗜食者の背後に見えた光背のように、彼らにはすでに私の背後に背教者の光背がはっきり見えるのであろうか。それならそれで一向に構わないが、ただ人間としてそうした反応を悲しく思うだけである。
 おや、この暑さでまたまた穏やかならぬことを言い出したよこの人。まるで手負いのイノシシみたい。いや違う、手負いののイノブタみたい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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イノブタの嘆き への2件のフィードバック

  1. 宮城奈々絵 のコメント:

    毎日、毎日非常に暑いです。この2、3日は台風で湿度も高く、不快指数も上昇中です。
    先生のblogでは、今まで知らなかったことを学ぶことがたくさんあるのですが、今回の内容もそうでした。
    中国はキリスト教に厳しいと思っていたので、中国共産党公認があることに驚きました。
    宗教は心の問題のはずなのになぜ国が介入していくのか…。支配に使いやすいからでしょうか。利用すれば争いに使えるからでしょうか…。
    宗教側から国の介入を嫌ってもいいものだと思いますが、自ら国として存在するバチカンや利用されるままの宗教。
    ますます宗教というものが捉えづらくなってきました。
    宗教に属しているかいないかより、どのような人間であるかどうかの方が大切だ、と今朝、母に話していたばかりです。
    地震津波で心配の声をかけてきてくれたのは私の友人や母の友人。
    母の所属教会員からではありませんでした。
    先生のところと同じですね。(喜ばしい共通点ではありませんが…。)

  2. かとうのりこ のコメント:

    わたしも、「共産党公認」の宗教があるということにおどろきました。
    共産主義そのものがひとつの宗教のようなものと思っていましたので。
    さすが中国、奥が深いです。

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