敢えて言わせてもらいます

台風が近づいているのだろうか。なんだか雲行きが怪しくなってきた。台風は昔は二百十日、つまり九月一日ごろからシーズンが始まると思っていたが、最近は七月からになったのだろうか。大型で強い台風六号と言っているから、もう六つも来たことになる。ともあれ昨日で屋根の修理が終わって一安心だ。
 午前中、ばっぱさんがお世話になっていた「くにみの郷」から電話があり、おばあちゃんの近況を聞いてきた。おかげさまで十和田の方で元気にしてます、と言って電話を切ったが、なんだか変だ。電話の相手は、私の知らない、実に爽やかで明るい声の持ち主、ひょっとしたら声楽を勉強したことのある人かな、と思わせる声の持ち主だった。かつての入所者の近況を尋ねる電話、なんの不思議もない。しかし、何かがおかしい。そのおかしいことを吟味しないままこちらから電話をかけてみた。 
 「もしもし、先ほどお電話いただいたものですが。ちょっとお聞きしますが、霊山に連れて行かれた(!)K・Tさんたちは、今どうしていますか?」
 「ああK・Tさんたちはまだ霊山の方にいらっしゃいます」
 あまりに爽やかな声で答えられて、思わず怒りが表面にこみ上げてきた。あのねー、今になってだんだん腹立たしく思えてきたんだけど、あなた方、日ごろから誠心誠意老人たちの面倒をみてさしあげます、なんて言いながら、肝心なときにおばあちゃんたちを見棄てたんと違います? そう、確かにスタッフの中には、深刻な津波被害を被った人、肉親を失い家屋が流されて避難を余儀なくされた人もいたかも知れない。でもね、そうでない人もかなりいたはず。
 行政からは、屋内退避区域、つまり現在の緊急時避難準備区域に病人や要介護者はいないように、という通達はありました。しかしご存知のように、この区域は初めから放射線値も霊山なんかよりずっと低く、施設を続けようと思えばなんの支障もなく続けられたはずですよね。確かに震災直後でしたら、施設を続けていけるかどうか見極めがつかなかった時期もありました。でもあれから四ヶ月、再開しようと思えばいくらでも再開することができたのではありませんか。事実いくつかの病院など、かなり前から診療を再開したところがあります。でもあなた方は今日までそれをやらないで来た。
 つまり行政からの指導に忠実だったわけだ。ここでお上に逆らうことは得策ではない、と経営者やスタッフは考えたに違いない。お上に逆らえば、補助金などがもらえなくなる、と思ったに違いありません。でもねー、あなた方はどちらを向いて仕事をしているんですか。少なくとも老人たちの方を向いていなかったことだけは、今回のあなた方のやってきたこと、いややらないできたことから見れば一目瞭然ですね。
 そう、確かに今回の事態は、東電や政府がさんざん言ってきたように、想定外のものかも知れません。そしてお上の指導のままに施設再開を控えてきたことは、たぶんだれからも責められないでしょう。しかしこの際はっきり言わせてもらいましょう。あなた方にとって老人介護はなんだったのでしょうか。親会社、お宅は確か建設会社でしたよね、その親会社にとってはもう一つのビジネス・チャンスにすぎなかったのでしょうか?
 想定外の事態にどう対処すべきか戸惑っていたことは理解できます。しかし震災後もう四ヶ月ですよ。これまで施設再開のために行政に働きかけましたか? 単独では難しいなら、市内の他の老人施設とも語らって、施設再開のための運動を起こしてきましたか? もしそうであるなら、いまのところは母が原町に戻ってくるかどうかは、まったく予想がつきませんが、万が一戻ってくるようなことがあれば、また前のようにお世話になります。その節はどうぞ宜しくお願いいたします。
 もしもそうでなかったなら、母がたとえ原町に戻ってくるようなことがありましても、お宅に再度お願いすることはないでしょう。どちらにしても、将来とも老人施設を続けるおつもりなら、まず猛省なさってからにすることを心よりお願いいたします。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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