黄昏の中で(二)

今日も暑い一日だった。もうすぐ六時になるところ。今日はせめて買物をしないと、おかずがない。三時ごろ車で出かけていく。散歩代わりにと、駐車場のはずれに車を止め、照り返しの強いアスファルトの上を店に向かう。このところ肉類はあまり食べたくない。ワンコインセール(つまり五百円)の刺身の盛り合わせで二人には余るくらいの量となる。このごろはサイヤの弁当は買わず、ご飯は家で炊き、おかずだけ買い求めている。
 レジを終えて駐車場に向かいながら、20円にこだわっている。つまりカルシウム含有量の多い牛乳についていた割引券を牛乳パックの上に乗せておいたのに、レジ係に見せるのを忘れたことが気になっているのだ。でもどうして初めから割引してないんだろう。そこでこう結論する。そうだ、値札を貼ってしまった後に、急遽割引券を発行したんだろう。それで納得、あきらめよう。71のおじいちゃん主婦が、そんなちっちゃなことにこだわっています。
 でも生きるっちゅうことは、つまりはこうした些事の積み重ねですわ。(神は細部に宿りたもう。)それにお昼過ぎの電話で、娘の一家がこの休みは都合がつかず遊びに来ないことが分かって、がっかりしている。放射線が恐くて来ないんだったら腹も立つけど、なにやら事情がありそうなので、これもあきらめるしかない。あゝこれもまた人生。万事うまくいくはずがない。
 要するに(おや急に話題を変えたよ)、喩えて言うなら、いま私たちは健康な皮膚の上に生きてるっていうこと。すまん、急に話題を変えて。この間の専門家の話まだ尾を引いている。つまりこの南相馬を一枚の皮膚に喩えるなら、赤く汚染されたところもあれば、すこしピンクがかったところ、そして私の住むまあまあ健康な色の皮膚があるわけ。今日の私の歩いた道筋、家からスーパーまでの道筋は、その健康な皮膚に含まれる。私たち夫婦だけでなく、今はたぶん二万人近くの市民がその中で以前とほとんど変わらない生活を送っている。確かに少し行くと線量の高いところはある。しかしまあまあの生活を送るぐらいの広さはじゅうぶんあって、そこでみんな必死に生きているわけ。
 この健康な皮膚を大事にしながら少しずつ広げていくにはどうしたら良いか、という視点に立ってもらいたいのに、専門家は遠くから十把ひとからげに、私たちの住むところは危険だ、そこはそらセシウムがいくらいくら、ほらそこは線量が基準値を超えてる…だから除染が必要、できればそこをどけた方がいい、などとおっしゃる。
 でも、ねえ、私たちここにこうやって必死になって生きているの。他のところには行きたくはないの。それなのにここは摘出手術が、ここは大掛かりな除染が必要だなどとおっしゃる。ありがたいけど、ねえこうやっていま生きてるの。卓袱台(ふるっ!)を囲んで夕飯を食べようとしてるのに、白い防護服を着た人たちが縁側から中を覗いて、あゝそこはどけないとあぶないすよ、などど言ってるの。
 いや狭いかも知れないが、ここは線量も低く、健康に害があるわけではない。それに幸いなことに放射線は繁殖も伝染もしないの。
 つまり要するに、除染や汚染土の撤去が必要なら外から中へと作業を進めるのではなく、時間がかかったり面倒なのは重々分かりますけど、ほらここにこうやって生きてるんですから、中から外へと作業を進めて欲しいの。分っかるかなー、私の言うこと。一緒に住もうよ、と言ったのはそういうこと。こうして徐々に健康な皮膚を少しずつ少しずつ広げていこうと言ってるの。そうでもしなけりゃ、健康な皮膚まで傷めたり汚したりしてしまうの。
 分っかるかなー、わっからないだろうなー。
 ともかく早く終わらないかなー、この中途半端な生活。このごろ、なんだか知らぬ間に声を出してため息ついてます。あまり大きなため息なもんで、美子がビックリしたようにこちらを見ることがあります。あゝ、大丈夫、だいじょうぶ、パパは元気ですよー。
 おや、いつの間にか日が暮れちゃった。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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