双面の神

暑いからといって昨日が66回目の原爆忌であることを忘れていたわけではない。新聞などの報道機関が今回の原発事故とどう関連付けるか、横目で睨んでいたといってよい。論調の違いはあれ、おおむね予想したとおりの報道をしたようである。詳しく内容を聞いたわけではないが、菅さんも暑さの中、がんばったようだ。もう46、7年前になるだろうか、広島のイエズス会修練院にいたころ、一度式典に出た記憶がある。そのころは自分の修練のことで頭が一杯で、慣れないローマンカラーが汗でじっとり濡れて気持ち悪かったという記憶しか残っていない。今ならまったく別の感慨をもって参列しただろうが、いつもいつも覚醒は遅れてやってくる。
 ともかく長い間、核兵器開発と核の平和利用つまり原発は二つの違ったものとして扱われてきた。被爆者の間でむしろ核の平和利用が悲願でさえあったという事実を迂闊にも知らないで来た。まさに双面神、つまり頭の前後に反対向きの頭を持つ双面神のように、核はそれぞれ人々にまったく反対の顔を見せていたわけだ。今回の原発事故によって、初めてその双面神の地顔が、というか二つとも同じ神の顔だということがはっきり見えた。つまり「専門家」のあいだでは核兵器開発は核の平和利用を隠れ蓑にして進められていることはいわば常識であったものが、素人目にもはっきり見えてきたわけだ。だが今の北朝鮮(あるいはイラン?)の例にも見られるとおり、その二つは厳しい査察が必要なほど、ぎりぎりまで見分けがつかない。
 ともかく世界には推定で約2万3千発の核弾頭があり、約440基の原子炉があるという。どんなに屁理屈を重ねようと、前者、つまり核弾頭の数は狂気の沙汰というほかはないが、後者もいずれゼロにまで持っていかないうちは、世界平和など夢の夢、砂上の楼閣以外のなにものでもないだろう。つまり双面神の片方だけをはずしても、片面が無事である限り、またもや双面の神になることは明らかなのだ
 世界の安全と平和への道いまだ遠し、そんなことを考えると、この猛暑というか酷暑がますますヒートアップしてくるようでやり切れない。少しいいことはないか、と探すと、ありましたよ、この南相馬にも嬉しい出来事が。このブログがもう何ヶ月も前から叫んできたことがここにきてようやくわずかに動きだしたわけで、もちろん遅すぎる反応だが、無いよりはずっとずっとましである。
 一つは、一昨日の河北新報が報じるところによれば、南相馬市が東北電力と交わしていた原発建設計画にようやく拒否の姿勢を見せたことである。具体的に言えば、立地調査開始から運転開始までが対象の「電源立地等初期対策交付金」の本年度分約5,200万円を受け取らないことにしたというニュースである。ということは、これまで南相馬市は小高町と鹿島町と合併した2006年以降ずっと交付金をもらい続けてきたということで、その総額は約2億円となる(もらったものはいいでー、返さなくても)。市にとっては、大口の収入が途絶えるわけだが、ここに来て設置計画に対して拒否の姿勢を示した市当局や桜井市長の英断を非難する市民は一人もいないであろう。
 もう一つは、これもこのブログから強く要請していたことだが、ようやく明後日、九日から市の博物館と図書館が再開されることになったというニュースである。全面的というわけにはいかず当分のあいだ一部業務は再開されないままだが、ともかく市民への重要なサービスが再開されることを歓迎したい。これで九月に予定されている菅(すが)さん川口さんの支援コンサートの会場が確保される運びになったわけである。いままで市や市長にきびしいことを言い続けた来たが、ようやくプラス評価ができるようになったのはともかく嬉しいことである。何も好き好んで小言幸兵衛を決め込んできたわけではないのである。


【息子追記(2022年8月25日)】長年の愛読者であられた阿部修義様からいただいたお言葉を以下にご紹介する。

ロシアのウクライナ侵攻で世界各国が軍備費を拡張する方向です。原発は、ある意味、戦略的軍備のように思います。原発を造れることは核兵器も造れるという無言の軍備。やられたらやり返さなければならない。しかし、そこから世界平和の道筋は見えません。我々が納めている税金が軍備に費やされることにやりきれない気持ちで一杯です。人間は殺さなくても誰もがこの世を去っていく。ふと、そんなことを思います。
佐々木先生は人間にとって大切なことは、すべて面倒くさいことですと言われていました。やられたらやり返すということに、面倒くさいことを拒絶したい人間の心の働きがあるように感じます。日々の生活の中の面倒くさいことを拒絶しない習慣をつくることが、平和への第一歩のように感じます。佐々木先生はそのことを背中で示してくださいました。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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双面の神 への2件のフィードバック

  1. 宮城奈々絵 のコメント:

    とうとう連日の猛暑になってしまいました。東北も猛暑とのこと。先生、奥様、熱中症には是非是非お気をつけ下さい。
    1つめのニュース、ネットにて見ました。やっとの市長の決断ホッとしました…。少し安心です。図書館の再開は本当に喜ばしいです!私は少し活字中毒気味の図書館オタクなので、図書館サービスを受けられないのは我慢なりません…。震災直後、新地町に学用品の援助物資を届けた際、新地町の図書館をガラス越しに見ましたが、本が床に散乱し、一部は水に濡れていたようでした。本の整理を買って出たかったのですが、図々しいかな…と言い出せませんでした(後悔…)。
    震災、津波被害にあった各地の図書館や公共施設も市民が利用出来るように一日も早く復興再開して欲しいです。
    そして、先程ヤフーニュースで見ましたが、緊急時避難準備区域を一括解除するとのこと。難しい問題もあるのかもしれませんが、少しずつ日常を取り戻していけますようにと願っています。
    追伸:澤井さんのご報告の間にコメント入ってしまってたら、すみません…!私も他の読者の方々同様、先生に使命(?!)を託された澤井さんのレポート楽しみに読んでいます。先生のご家族の様子が澤井さんの目を通して分かり、心温かになります。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    奈々絵さん、今晩は。澤井さんも皆さんが自由に書き込みした方が気楽に書けると思いますよ。どうぞ書きたいときに書きたいことを、みなさんもどうぞ。

    それから増井さん、お返事遅れましたが、常葉の皆さんによろしく。懐かしい書き込み有難う。

    それから皆さん、まだ暑さが続きそうです。熱中症には気をつけてください。私たち夫婦、元気に頑張ってます。

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