1995年だから、今から16年前の四月十七日、国連大学で行なわれたシンポジウムのパネラーの一人として、なぜか壇上にあった。なぜか、などと曖昧な言い方をしたが、正直そのシンポジウムが現実にあったものかどうか、なんだか怪しくなっているのだ。今朝方も、いつもの悪夢を見て疲労困憊して眼が覚めた。つまり今でもときどき、教師時代の夢を見る。それも決まって、非常勤先の郊外の大学に行く途中、路線を間違えて授業に間に合わない夢とか、長い夏休みが終わって出勤はするが、何を教えるのか、どの教室かも分からなくなってパニクるというのが定番なのだ。
だからそのシンポジウムもなんだか怪しくなってくるのだが、幸いそのとき用意した発言草稿が残っているので、間違いなく現実のことなのであろう。ただ記憶があやふやなのは、その国連大学とやらがどこにあったのか、今もあるのか、そこらあたりのことをはっきり覚えていないせいかも知れない。しかし今日も暑さの中で続けた私家本作りの途中、その発言草稿を見つけて読んだのだが、自分で言うのもおこがましいが、実にいい内容である。
たしかあのシンポジウムは、サラマンカ大学が学長以下、町の経済界の要人たちを引き連れての来日を歓迎する趣旨の催しではなかったろうか。そのあと彼等が目論んだ通りの成果があったかどうかはまったく知らない。ともかくパリ大学、ボローニャ大学と並んで、かつてはヨーロッパの学問的中心だった大学都市としてはずいぶんと型破りとういうか不相応な目論見だな、と当時も思っていた。だから、自分たち本来の姿をかなぐり捨てて(?)の現代化(経済優先路線?)を暗に諌めるような発言に終始したきらいがある。
終わった後、パーティー会場で、スペイン人の参加者の一人から、あなたの発言がいちばん良かったと言われて、我が意を得たりと嬉しかったことを覚えている。褒められたことは忘れないものだ、。ところでその短い草稿は、呑空庵刊『飛翔と沈潜 ウナムーノ論集成』に載っているし、このネットの「佐々木孝評論集」でも読めるが、いい機会だからここに全文をコピーしてみる。二、三付け加えるなら、先日の徐京植さんとの対話の背景にあったディアスポラ問題との関連、もっと具体的に言うなら、スペイン人文思想の主だった思想家たちがユダヤ系であったこと、それが私には在日の人たちの思想と共通のものに思えるということ。もう一つは、世評高い(あるいは高すぎる?)イタリア・ルネッサンスと比べても、スペイン人文思想が人間理解においていかにすぐれたものであったか、という私の革命的な(?)主張が実証されないまま放置されてきたことに対する忸怩たる思いである。
ともかくその草稿を読んでいただきたい。
スペイン思想の中のサラマンカ
時間が限られていますので、ここでは私自身がスぺインの思想 ・文化から何を学び取ってきたか、について簡単にお話したいと思います。結局それは日本の近代思想には欠落していたもの、つまり思想の風土性ということになりそうです。たとえばウナムーノの思想は風景をその半身(la otra mitad)としています。彼の思想には「高い塔の林」(alto soto de torres)と「黄金色の石」(de piedras doradas)の町サラマンカが、そしてカスティーリャの空と大地が、その光と匂いまでが感じられます。ここで言う「風景」は、ウナムーノと共に現代スぺイン思想の骨格を作り上げたオルテガの「私は私と私の環境である」(Yo soy yo y mi circunstancia)のその「環境」と言い換えてもいいと思いますが、思想に限らず広くスぺイン文化そのものが、この「環境性」を重要な構成要素にしている。換言すれば、個別姓と普遍性が共存している、決して個別性が失われることなく普遍性が求められている、あるいは肉体性が放棄されることなく精神性が追求されている。それはカール・フォスラー(Karl Vossler)の「スぺイン人は天と地を同じキャンパスの上に描きたがる」 (querer dibujar el cielo y la tierra en el mismo lienzo)という言葉とも符合します。それは聖テレサの神秘思想にも、また彼女の遺作を出版したルイス・デ・レオンの作品にも言えることです。サラマンカ大学教授であったレオンの代表作『キリストの御名について』(“De los nombres de Cristo”) は、ラ・フレーチャ(La Flecha)の園抜きには考えられない作品です。
ウナムーノから話は思わず黄金世紀へ遡ってしまいましたが、事実すべてのスぺイン文化の淵源が十六世紀スぺインにあります。そこにはイタリア・ルネッサンスよりもはるかに広い裾野と、さらに高く同時に探い内実を備えた文化が存在します。従来スぺインにルネッサンスはあったかとか、セルバンテスは人文主義の洗礼を受けたかとか、まるでスぺイン文化がイタリア・ルネッサンスの残照(reflejo)であるかのように語られることがありましたが、しかしそれはあまりにも謙虚に過ぎます。八世紀にも及ぶ国土回復運動を通じて、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教という三つの宗教・文化の共存と葛藤(conflicto)を経験したスぺイン文化は、独自の、しかも強力な光源を持つ文化です。
そしてその中核には文献学(filología)としてのhumanismoだけでなく人間学(antolopología)としてのhumanismo、つまりまったく新しい人間像の創造がありました。しかしその確認作業には、従来のように個別に検証するだけではなく、ピカレスク小説から神秘思想にいたるスぺイン文化全体を再検討する必要があります。もちろんルイス・ビーベスなど亡命スぺイン人も射程に入れなければなりませんが、なかでも重要なのは、「新世界問題」に根底から取り組んだビトリアを頂点とするサラマンカ学派の存在です。だいいちアリストテレスの言う先天的奴隷(esclavos innatos)説を是認するものがどうしてヒューマニズムの名に値しましょう。十六世紀スぺインを全的景観(panorama)として捉え直すとき、J. マリタン(Jacques Maritain)の言う「全きヒューマニズム(humanisme integral)」とはおそらく違った意味での「全きスペイン・ヒューマニズム(humanismo integral hispanico)」が浮き彫りになるのではないでしょうか。
日本におけるフランス・ユマニスム研究は、渡辺一夫と大江健三郎という二人の優れたユマニストを生みましたが、スぺインのウマニスモ研究も単にスぺイン研究という限られた領域にとどまらず、現代日本の精神状況と鋭く渡り合う、本当の意味での相互理解の道筋が作られるべきでしょう。その意味で、サラマンカ大学の責任は重大です。大学は、オルテガの言う「時代の高さ」(la altura de tiempo) に立つべきですが、サラマンカは何よりもその高遭なウマニスモによって光り輝いてきたのですから。
(1995年4月17日、国連大学におけるシンポジウムでの発言草稿)
※なおこの時のことをヒントに「ビーベスの妹」という短編を書いた。これも私家本『切り通しの向こう側』あるいはネットの「富士貞房創作集」で読めるので、ぜひ一度ご覧いただきたい。