明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
というご挨拶の後に唐突ですが、実はばっぱさんが一昨日(二日)の午前十一時に亡くなりました。本当はせめて松の内の間だけでもお知らせしないつもりで、事実まだ親戚にも知らせていなかったのですが、しかし考えてみるとばっぱさんは数えでめでたく百歳という超長寿を達成しての大往生だったわけであり、決して悲しいことではない、と考え直し、今朝方、寝床の中で皆さんにもお知らせすることを決めました。なぜかは知りませんが、これまでも明け方の夢うつつのときに大事な決断をする癖が小生にはあるようです。
それはともかく、兄の話によると、その日の朝、看護師さんが巡回したときはいつものように点滴を受けながら元気そうでしたが、二度目に行ったときは呼吸困難になっていて、急いで医師も駆けつけ人工呼吸を試みたが手遅れだったそうです。いずれにせよあまり苦しまなかったことが何よりの慰めです。(息子が言うには実に穏やかな死に顔だったとか)
兄は火葬その他すべてそちらの教会の信者さんたちとやるので、相馬には納骨の時に遺骨をはこぶので、今回は来なくてもいい、ということでした。死に目に会うことはかなわなかった以上、この際兄の言うとおりすべてを一任するつもりでしたが、昨日になって、息子が急遽みなを代表してせめて死に顔だけでも見に十和田に行くと言ってくれましたので、もちろんそれには異存のあるはずもなく、雪の十和田へ車で出立して行きました。
さて長々と状況説明に及んでしまいましたが、みなさんご存知のとおり、実はばっぱさん、十年近く続いているこのブログの主役でした。十和田に行ってからは登場回数は減りましたが、それは表舞台(?)からで、コメント欄という脇舞台では、S兄のおかげで常に主役を張ってました。ですから少し長めにご報告させていただいたわけです。たぶんこれからも当分のあいだ、ばっぱさんのことを語らせていただくことが多いと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
新年のご挨拶としてはいささか、いや大いに異例のものとなりましたが、最後にもう一度、皆様にとって今年が昨年の災厄をわずかでも癒すことのできると年なりますよう心から願ってます。
追記 ばっぱさんはかねがね、自分が死んだときに葬式は無用、近親者だけに静かに送ってもらいたい、と言ってました(私もいつかそのように)。今回、兄の教会で少数の信者さんたちに弔ってもらうことはその範囲内と思いますので、母に異存はないはずと思います。ともあれ香典その他はいっさいおことわりさせていただこうと思ってます(これをお読みの友人・知人の皆さまにこの場を借りて申し上げておきます。どうぞよろしくお願いいたします)。
慎んでお悔やみ
申し上げます
合掌
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
「虹の橋」とはノアの方舟に出てくる、神がノアに約束された
あらしの終わりを告げる印でした。波乱万丈、激動の時代、神の御言葉を
信じることの難しい時代に神の約束を疑うことなく、
その愛を信じ気丈な人生をお送りになられ
多くの人々にその手本を示され、教育現場にて功績を残されました、
佐々木先生のご母堂様千代先生に最大の敬意と哀悼の意を
謹んで表します。末席にて 秋山ユイコ
心より御冥福をお祈りいたします。
お会いすることができず残念ですが、残されたものの大きさ、偉大さを感じています。
謹んでお悔やみを申し上げますと共に心よりご冥福をお祈り申し上げます。
ご母堂千代様の和歌は不思議と心に響いていました。佐々木先生、そして澤井様、千代先生のご紹介を楽しみにしております。