広がる思い

下の部屋で暮らすことにようやく慣れてきた。今朝は本棚のいくつかを動かして、スペースを作る作業をした。こうすることによって、衣装ダンスの引き出しを開ける空間が生まれた。午後はもう二つの本棚を入れ替えることによって、押入れの戸が開けれるようにするつもり。そうすれば当面使わないものなどを収納することができ、さらに部屋が機能的に使えるようになるであろう。
 さて問題はこのパソコンである。折角ハブからコードを引いて下でも使えるようにしたのだが、どうしたことかハードディスクからのデータがすべてワード文書ではなくリッチ形式という横書きのものに変わっていて、データをそのまま使えないのである。ここ二回ほどアップしたブログは、リッチ形式で作ったものをひとまずハードディスクに送り、それから二階に行ってディスクから取り出し、必要な修正を加えてからダッシュボードというところからアップしていたわけだ。
 パソコンについての知識は初心者と変わらないままここまで来てしまった。ちょっとややこしくなるともうお手上げである。もっともリッチ形式からワード文書への変換という面倒くさい手続きは、さしものもよくは分からないらしい。どなたか初心者にも分かるように説明してくださらないだろうか、などと虫のいいことを考えてここまで書いてきたが…無理か、物知りのさんも分からないだろうな…
 いやそんなことより、今日ばっぱさんのことを考えていて、一つのエピソードを改めてご紹介したいと思ったのである。改めて、と言ったわけは、過去に一度それについて書いたことがあったから。ネットにはない2002年のブログ(行路社版『モノディアロゴス』には収録されている)だから、まずそれをここにコピーしてみる。


タントゥム・エルゴ(かくも偉大なる<秘蹟を>)

  映画やドラマでは、重要な場面、劇的な場面には必ずその場を盛り上げる、あるいは緊張感を高めるための効果音や音楽が挿入される。もちろん現実世界では、たとえそれがどれほど重要かつ決定的な場面であれ、それに見合った音楽が鳴り響くわけではない。時にそれはあまりにも非・劇的な、いかにも日常的な音、たとえば赤ちゃんのむずかる声、あるいは街角で吹き鳴らされる豆腐屋のラッパの音(ちと例が古すぎるか)だったりする。
 しかし思い出の中の情景には、想起されるたびにある特定の音楽が連想されるということがある。というより、ある特定の音楽が過去のある特定の情景を喚起する、といったほうが正確かも知れない。たとえば私の場合、「タントゥム・エルゴ」というグレゴリアン聖歌を聞くたびに、少年時のある光景が立ち上がってくる。「タントゥム・エルゴ」にもいくつかバリエーションがあるが、あのいちばん重厚なやつ、地を這うような重低音が響くやつである。たいていこの曲はミサの後の聖体降福式(今は聖体賛美式と言うらしい)の時にもうもうと立ち昇る香煙の中で歌われるが、その旋律を聞くたびに、終戦時の満州のどこか寂しい町はずれの鉄路を、そして血塗られたような夕焼けの中でへたりこむ日本兵の一団を思い出すのだ。いや、もう少し正確に言うと、その曲が鳴り響くあいだ、ともかくも敗走する日本兵の一団は行軍しているのだが、曲が終わるや否や、彼らは線路のここかしこに座り込んでしまう。そして実際に見た光景は、鉄路の上にへたり込んだ彼らの群像なのだ。
 このとき、かの地で夫に先立たれ(病死)、幼い三人の子供を連れて引揚げの途中にあった我らの(?)バッパさんには、腹を空かせたわが子らの姿が一瞬視界から消えたのか、何個かの西瓜を買い求めて、これら敗残の兵たちに恵んだのである。さてこの彼女の行為を何と評価しよう。教科書にも載せたいくらいの美談、個人的な幸・不幸など国家の大義の前には一顧の価値すらない、とする烈女の物語とするか、あるいは腹を空かせた幼い子どもたちを栄養失調の危険にさらした母親失格の悪女とするか。
 いやー、白状すれば、書こうとしていたのは宗教体験における典礼・儀式の意味、その効果性だった。しかし退院後しばらくは神妙だったバッパさんがまたまた勢いを盛り返してきたので、ついいじめたくなったのである。もうやーめた。
(九月二日)

 これを書いた当時は、いわばばっぱさんの烈女ぶりを揶揄するだけであったのだが、今次の(?)大震災を経て、少し考えが変わったのである。つまり子供たちの空腹は、これら敗残の兵たちの空腹に比べれば屁のようなもの、ばっぱさん決して間違っていなかった、あなたは偉かった! と心から思えるようになったということである。つまり兵士たちの空腹は、敗戦によっていわば己れの存在の根拠そのものを奪われた者たちの絶望であり飢餓感であった。このときばっぱさんは自分の子供たちの空腹よりもこれら兵士たちの空腹を癒すことが先だと感じたのだ。要するに私的なるものを越えた公的(パブリック)なるものを優先させた。
 もちろんこのとき、ばっぱさんが自分の子供たちを優先させたとしても決して咎めることなど誰にも出来ないであろう。母が自分の子供たちを守るのは当然だからである。たがしかし、時には私的なるものを超えた公的なるもの、それは何も国家とかお上と限定してしまうと誤解が生じるが、ともかく家族から始まって地域へと広がる人間たちの共同体と考えた方が分かりやすいが、ともかく私的なるものを越えるパブリックなるものへの思いやり(忠誠心などと言ったらそれこそ語弊がある)と言い換えてもいい。そしてそうしたものへと広がる思いが、最近の母親たちに決定的に欠けているような気がしてならないのである。
 核家族などという言葉さえ最近は聞こえなくなったほど、まさに核家族化は意識面でも実際面でも行き着くところまで行き着いたという感じがする。地域共同体なるものもいわゆるイベントもの、お祭りでしか機能しなくなってから久しい。
こういうことを言うと、最近とみに勢いを増しているかに思える復古主義者(大阪の維新なんとかみたいな)と間違われそうだが、違うんだなー、決定的に違うんだなー。
 でも夕飯の後、寒い二階のパソコンでこれ以上書き続けるのは無理。この問題はまたそのうちもっと整理した形で蒸し返すつもりだから、今日はこの辺で。

https://monodialogos.com/archives/21563

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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広がる思い への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     パブリックなるものへの思いやりの欠如。確かに、私の周りの知人をみても、利他的な発想をしている人は少ないですね。何かそういう事をすること自体損だということなんでしょう。しかし、人間関係を円滑にして、事をスムーズに運ぶには必要な発想だと思います。私の経験ですが、利他的に物事を考えると間違いなく頭の回転が速くなります。速くなるというと語弊がありますが、大局的な見方が出来るようになります。そして、これは知性ではなく徳性から生まれるもののように思います。

  2. 加藤紀子 のコメント:

    わが子がほんとうにかわいければ、
    自分さえよければ、わが子さえよければ、とはいきません。
    わが子が所属する学校や地域も、これからの国や世界の未来も、
    よいものであってほしいと願い、ささやかでもその思いを行いに移す、
    それが子を持つ親の「パブリックなるものへのおもいやり」の出発点かと思います。

    関連して、以下に引用するのは最近ツイッターで拾った内田樹の言葉ですが、
    示唆に富んでいると思います。
    「とりあえずわかっていることは「オレさえよければ、それでいい」というような
     タイプの人間はたいてい長くは生き延びられないということである(ゾンビ映画を
     見るとわかる)。自己利益の確保を最優先する人間は、自己利益を効果的に
     確保することができない。」

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