今になってゴボッと湯沸かし器が音を立てた。実際にそれが起こったのは昨日のちょうど今ごろだというのに。
昨日、昼過ぎの郵便受けに前日送った二つのゆうメールが入っていた。不審に思って手にとって見ると、二つとも付箋が貼られていて、そこには料金240円が不足してます、とか何とか書かれていた。ウッソだろう!、重さは五百グラムを少し越えるくらい、ゆうメールのための窓も開けておいたし、自製ながら「ゆうメール」の赤いゴム判も押してある。五百グラムから1キロ・グラムまでは間違いなく340円のはず、切手は80円切手と90円切手それぞれ2枚ずつ。小学生にだって分かる足し算で計340円也だ。
中身は『モノディアロゴスⅥ』、苦心の新刊である。一昨日は祭日で局は閉まっていたので、局前のポストに投函したのだが、またか! と怒りよりも落胆がまず先に来た。郵便局に出かけていっての一連の事後処理のことを考えると本当に頭が痛いし気が重い。でも行かねばなるまい。
その日もやはり二つ同じものを出すはずだった。つまり合計四つのゆうメールを本局に持っていった。窓口に340円分の切手を貼った新しい二つを出す。秤に乗せ、切手を見て、もちろんOKである。そこでおもむろに、つき返されたゆうメールを取り出し、「これ、どうしたんですか?」と静かに聞いた。最近は顔見知りになったその女性局員は、付箋と切手をすばやく点検して、明らかに狼狽した様子。「すみませんが、局長か責任者を呼んでいただけます?」と、また慇懃に(人によってはドスの聞いた声と評するかも知れない)要求した。あわてて奥の方にいた上司を呼んできて事情を説明。こちらからすかさずこう切り出す。「ここではなんですから、どこか静かな(?)ところで…」。
奥にある簡単な仕切りの応接間に案内される。その一部始終の報告は省略するが、要するにこれまで私と日本郵政(日本郵便?、そんなこと知るかーっ!)の交渉史、とりわけ大震災後のすったもんだの歴史を簡略に述べる。そしていかにプロとしていい加減な仕事をしているか、サービスのサの字も実践できていない組織のお粗末さ加減をこんこんと説諭。
副局長氏はぐうの音も出ない。そしてこちらが話している最中、チラと腕時計を見たのを逃さず、「人の話してる最中、時計なんぞ見るな!」と一瞬声を荒げる。「あっ、すみません、日付を確認したのです」 本当にそうらしい。「ともかく、あなた方だって、なんちゅうか、つまり仕事についての会議とか話し合いっちゅうもんやるんでしょ。どうか職員(局員? どっちでもええわい)の皆さんにこんな仕事せんよう、周知徹底頼みますよ」
結局、それら二つのゆうメールを速達扱いにしてもらうことで一応の落着。腕時計の一件以外は終始冷静に話し終え、副局長に見送られて帰ってきた。スカッとしたろうだって? 何をおっしゃるウサギさん、一向にスッキリなんぞしませんでした。反応がいまいちだったことや、思い切り怒りを発散できなかったからか。いや、どうしてそんな間違いを犯したのか、それが分からないままだったことがスッキリしなかったことのいちばんの原因だろう。
そして今日の昼ごはんの後のことである。このごろ美子の大を全面的に請け負って(?)くれている若夫婦が美子をトイレに連れてってくれている間、見るとはなしに見ていたテレビでは、たしかJR九州とかの社長が「安全は守るものではなく作るものである」とかなんとか、今回無罪の判決が出た福知山線事故の責任者にぜひ聞かせたいような経営哲学やらサービス精神満杯のありがたーい話を聞いているうち、昨日の「事故」のことを思い出したのである。
まず分からないのは、340円分の切手を貼られた本一冊分の小包になぜ240円もの不足を指摘した付箋がつけられたのか、つまりそんな小さな小包に計580円もの郵送料をはじき出した人間の頭の具合、そしてそんな付箋がついた小包を二つも、小さな郵便受けに放り込んだ配達員の神経というか、いやむしろ何も見ない何も感じないその無神経さである。まず自社製品(と呼ぶんでしょうなー)についてまったく関心もなければ知識もない配達員がいることの不思議。
小学生でも分かることじゃない? あれっこれちょっとおかしくない? って感じないこと自体おかしくない? JR九州では、それぞれ違う部署の人間が、互いの仕事に干渉ではなく大いなる関心を持つことによって今日の会社の繁栄をもたらしたらしい。それって大きな組織であればあるほど大事なこととちゃう? 互いに連携することによってしか真のサービスなぞできないのとちゃう?
実は大震災後の日本郵政との苦闘史を知ってもらいたく、といって『原発禍を生きる』の新本をやっても読みもしないで捨てられる危険があるので、ゲラの段階のものを製本した一冊をその副局長氏に渡してきたのだが、こうなれば局長さんだけでなく、もっと上の偉い人にもこちらの声を届かせたくなりました。さてどういう手段があるか、皆さんからもお知恵拝借といきたいですね。
-
※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
キーワード検索
投稿アーカイブ
-
最近の投稿
- 入院前日の言葉(2018年12月16日主日) 2022年8月16日
- 『或る聖書』をめぐって(2009年執筆) 2022年4月3日
- 『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』 2021年10月15日
- 東京新聞コラム「筆洗」に訳業関連記事(岩波書店公式ツイッターより) 2021年9月10日
- 思いがけない出逢い 2021年8月12日
- 1965年4月26日の日記 2021年6月23日
- 修道日記(1961-1967) 2021年6月1日
- いのちの初夜 2020年12月14日
- 島尾敏雄との距離(『青銅時代』島尾敏雄追悼)(1987年11月) 2020年10月20日
- フアン・ルイス・ビベス 2020年10月18日
- 宇野重規先生に感謝 2020年9月29日
- 保護中: 2011年10月24日付の父のメール 2020年9月25日
- 【再録】渡辺一夫と大江健三郎(2015年7月4日) 2020年9月15日
- 村上陽一郎先生 2020年8月28日
- 朝日新聞掲載記事(東京本社版2020年6月3日付夕刊2面) 2020年6月4日
- 岩波文庫・オルテガ『大衆の反逆』新訳・完全版 2020年3月12日
- 教皇フランシスコと東日本大震災被災者との集いに参加 2019年11月27日
- 松本昌次さん 2019年10月24日
- 【再掲】焼き場に立つ少年(2017年8月9日) 2019年8月9日
- ある教え子の方より 2019年5月26日
- 立野先生からの私信 2019年4月6日
- 北海道新聞岩本記者による追悼記事 2019年3月20日
- 柳美里さんからのお便り 2019年2月13日
- 朝日新聞編集委員・浜田陽太郎氏による追悼記事 2019年1月12日
- Nochebuena 2018年12月24日
- 明日、入院します 2018年12月16日
- しばしのお暇頂きます 2018年12月14日
- 嬉しい話のてんこ盛り(その二) 2018年12月7日
- 敗残の兵と西瓜 2018年12月2日
- 嬉しい話のてんこ盛り 2018年11月27日
- 呑空庵西漸(せいぜん)す 2018年11月25日
- おや、こんなこと書いていた 2018年11月24日
- 勘違いの連鎖(その2) 2018年11月19日
- 美子、金婚おめでとう! 2018年11月16日
- 柳美里さんからのお知らせ 2018年11月16日
- 呑空庵福島支部誕生 2018年11月13日
- ちょっと嬉しいお知らせ 2018年10月30日
- 景気の悪い近況ご報告 2018年10月26日
- 紫陽花色のソックス 2018年10月15日
- 平和構築のための強力な布陣 2018年10月12日
- 累計2,300人!!! 2018年10月8日
- 戸嶋靖昌「受難」 2018年10月3日
- 思いがけない再会 2018年9月29日
- 近況ご報告 2018年9月28日
- まるで青年 2018年9月16日
- 再度のお誘い 2018年9月16日
- 我らのモノディアロゴス君 2018年9月11日
- プライバシーという魔物 2018年9月6日
- お知らせ 2018年9月3日
- トロイの木馬 2018年8月28日
- メディオス・クラブについて 2018年8月22日
- 「焼き場に立つ少年」報道異聞 2018年8月18日
- 偉い坊やがいたもんだ! 2018年8月16日
- たまには写真でも 2018年8月12日
- あゝ腹立つー 2018年8月9日