十徳ナイフ

百円ショップには美子の介護用品を買いによく出かける。昨日も店内を物色していたら、ちょっとかっこいいナイフが目に付いた。スイスアーミー・ナイフの簡易版のようなもの。それでもナイフ、ノコギリ、缶切り、鋏、プラス・ドライバー、マイナス・ドライバー、コルク抜き、栓抜き、爪やすり、紐通しが付いている。つまり十徳ナイフだ。言わずと知れたメイド・イン・チャイナ。これが何と百円!
 百円ショップでも時おり少し高い値札がついているものがあるが、これは正真正銘の百円。もちろん買いました。私は別にナイフとかガンの蒐集癖は持ってませんし、家には立派なスイスアーミー・ナイフもあります。たぶん一万円近くした思います。こちらには十徳どころか、さらにペンチなどが付いて17~8徳でしょうか。
 それにしても十徳ナイフが百円とは、やはり世の中狂ってます。物流のマジックでしょうか。一方ではマニアが多いというだけで、屁でもない(失礼!)ブリキの玩具が何十万円としています。いや希少価値でそんな値段が付くのは昔だってあったこと。しかし頑丈なステンレス製の十徳ナイフが百円で買えるようになったのは、ごく最近のことです。私が若い経済学者だったら、この製品がどこの材料で、中国のどんな工場で、従業員はいくらの手間賃で出来上がるのか、ずーっと追跡調査をしたいくらいですが。
 ともかく現代における物流(物流を制するものは世界を制する)は実に奇妙奇天烈です。安いのは有難いが、しかし物の価値というものが現代ほど狂っている時代は過去には無かった。
 さてこの安い刃渡り6センチ弱のナイフだが、持ち歩きに注意しなければならない。ネットを見ると、これを持っていたがために警察署に任意連行(ちょっと矛盾した表現だが当事者からすれば任意がいつの間にか強制になっている)され、3時間近く職務質問され、挙句に始末書まで書かされたという体験記がゴマンと出ている。つまり軽犯罪法あるいは銃刀法違反で。捕まったところが秋葉原とか新宿ヨドバシカメラ前とかが多いので、警官がシャカリキになるのはなんとなく分かるが、しかし被災地にボランティアで出かけた青年までがこの被害(?)に遭ったというニュースもあり、実に怖い世の中になってきました。
 そんなことを考えながらテレビを点けたら、地熱利用の発電について、専門家が話している。「いや私は原発悪者説に組しているわけではありません。しかし選択肢が多いのは有難いことだと思ってます」。うーん脱原発も反原発も言わないでつつましく地熱利用を宣伝してる。いわゆる良識派の姿勢である。
 私は放射能や原発を悪魔だなんて思ったことはない。しかし何度でも言うが、廃棄物処理の方途がまったく立っていないのに平和利用を言うのは、明らかにインチキであり詭弁であって、原発計画に使った緻密な頭脳には結局は大きな穴が開いていたとしか言いようがない。こんな誰にでも分かる理屈が、誰の目にもそうは見えていないということが、先の十徳ナイフが百円であること以上に不思議でならない。
 ところで十徳ナイフの話とそれがどう繋がるですって? 繋がらないですか? そうかやっぱり。でもそこを強引に繋げるとこうなる。つまり現代はブラックボックスみたいなところが随所にあり、全体を展望しないで部分的なところだけを追っていくと、予想もしなかった結果になることが多々ある、と。十徳ナイフが百円で売られるのは、価値判断の混乱というだけで特に問題でないし、逆に有難いことではあるが、しかし犯罪をたくらむ者が刃物を持ち歩くことを取り締まろうとするあまり、そうではない人までをも犯罪予備軍に見立ててしまうというのは、明らかに行き過ぎというより狂っている……原発についての世間の考え方も……うーんうまく繋がりませんな。でもいつか繋がるはずですから、このままにしておきます。
 ところで十徳と言って、なぜ十の得、つまり十得(便利)と言わないのでしょう。はっきりとは分かりません、徳は得に通じるから、そして功利主義的な匂いをできるだけ消そうとしたのでしょうか。そういえばいましたね十徳さんが、そう寒山さんと拾徳さんという二人の坊さんのことです。
 実は二人のことはよくは知りません。それで先ほど森鴎外の同名の短編を書棚から見つけてきました。今晩は頭が混乱しましたので、鴎外さんの小説でも読んで頭を静めましょうかな。でもそれだけでは悔しいので、にわか作りの金言を一つ。
 狂気の世にあって、なおも正気であるためには、いつかは正気の世が戻ってくることを信じて、今は狂気の世であることを自覚すること以外に道はない、かな。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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十徳ナイフ への3件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     物事を功利的に、つまり、自分にとって得か損か、考えると価値の弁別が出来なくなり、物事の善悪の判断に疎くなってしまうんでしょう。先生が指摘されているように、原発の「廃棄処理の方途がまったく立っていないのに平和利用を言うのは、明らかにインチキであり詭弁」だと思います。モンゴルに住んでいる知人の話では、原発事故前に、日本とアメリカの原発廃棄物をモンゴルで処理してもらって、その代わりにモンゴルの原発開発を援助する話があったそうです。しかし、今回の原発事故で白紙撤回した話を聞きました。ここにも「功利主義的な匂い」が充満しているように思います。道理に照らして熟慮すれば、自然界に存在しない放射能を使ったエネルギー開発が「価値判断の混乱」だということは自明なことだと思います。

  2. ラスカル のコメント:

    私は今10歳です。私も14徳ナイフと7徳ナイフを持っています。
    中二病って言われます。
    実際は違うんですが…よく誤解されます。だから、あまり人前では出しません…。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    おやおや珍しい、十歳のラスカル君。十歳というと小四か小五でしょう? それが何故中二と言われるの? もしかして中二病という特別な病気があるの? 貞房おじいちゃんにいつか教えてください。
    と、ここまで書いて念の為ネットで検索したらありました、ありました。「中二病(ちゅうにびょう)とは、(日本の教育制度における)中学2年生頃の思春期に見 られる、背伸びしがちな言動を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ち た空想や嗜好などを揶揄したネットスラング」
     でもラスカル君の体験談も聞きたいね。いやそれより、君がどうしてこのブログにたどりついたのか、それが知りたいね。よかったらまたコメント書いてください。楽しみにしています。

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