杉作、日本の夜明けは

ゴールデンウィークも無事に、と書こうとして、ニュースに拠るとつくば市では竜巻でかなりの被害が、しかも小さい子供の死者も出たそうで、とても無事どころではなっかったようだ。小さい子供の犠牲はとりわけ痛ましい。世の中、原発事故だけでなく怖いことがいっぱいある。
 今日から愛の幼稚園通いも再開した。いまのところは9時半ごろ出かけたと思うと、もう11時過ぎには帰ってくる。弁当持ちで午後までとなるのは25日ごろかららしい。幼稚園は家を出て子供の足でも3分とかからない超至近距離にあるから、道草もできまい。その意味では愛にとって今後痛し痒しの距離となろう。
 だから幼稚園から帰ってきてもエネルギーが未発散状態なのか、爺さんのところにやってくる。テレビの方槍槍(ファン・シャン・シャン)という男の子が主役の全寮制幼稚園物語を見るのに飽きると、爺さんの膝の上で「なぞなぞごっこ」が始まる。まだ始めたばかりの遊びだから、爺さんの問題も稚拙きわまりない。「朝起きてから夕方になるまでお空で光ってるもの何―だ」程度の問題だから間髪入れずに「お日様」と答えられてしまう。
 子供と遊ぶのはエネルギーだけでなく、技術を要する。戦後教育の主だった特徴は、特に低学年の教育では、教師と生徒の間が友達感覚というのが主流となった。もちろん怖い先生もいるにはいるが、生徒に不人気だけでなく父兄からも敬遠される傾向がある。やさしい先生、これがいわゆる民主教育の際立った特徴だろう。
 しかし教師と生徒の間の段差(?)がないことが本当に教育環境として理想的だろうか。私はそうは思わない。戦後教育の弱点・盲点が、実はこうした段差の無さにこそあると思っている。たとえば分かりやすい例として幼稚園教育を考えてみよう。確かに子供を扱うには体力やら若さが必要なのは分かる。しかしすべてが子供目線でいいのだろうか。言葉はいささか穏当ではないが(それは貞房のいつもの癖だ)ガキ(のような先生)がガキに教えたってちっとも面白くないし、為(?)にもならない。つまり幼児言葉でガキに媚びてみたってろくなことはない、ということだ。
 「フランダースの犬」のイェーハン・ダース老人、「アルプスの少女ハイジ」のアルムおんじを見よ! 彼らはネロやハイジに対して決して幼児言葉などで媚びてなんぞいない。不器用ながら立派な大人に対するように真剣に子供と接している。われらの良寛さんも然り。つまり大人と子供の間にある段差こそが大事なのだ。障害者のためのバリア・フリーは必要だが、世代間のバリア・フリーはかえって有害であろう。今じゃ世代間だけでなく、学校と社会との間の段差もなくなっている。昔は大学で教えられるものと、実社会で必要になる知識や技術に違いがあることなどとうぜんと思われていた。ところが今じゃ、社会に出て即役に立つ知識だけがもてはやされている。
 しかし大学で学んだ知識や考えと実社会との間に段差があるからこそ、社会とはなにか、働くとは何か、そして究極的には人間とは、生きるとは何かを一つずつ学んでいくのである。まるで金太郎飴みたいに、等質のキンタロちゃんがポコポコポコポコ生まれて、いったいどこが面白い? 本当の挫折も本当の覚醒もないまま、それなりに安定した長く味気ない人生路を歩いて、どこが面白い?
 話を元に戻して具体的に言おう。幼稚園から、そう小学校、中学校、高校、場合によっては大学まで、これから世の中にあふれる老人たちを有効活用(ちょっと失礼な言い方かも知れないが)することを本気で提案したい。たとえば幼稚園で正規の職員としてでなく、臨時職員あるいは非常勤として一定数の老人たちを雇うことを法律で決め、彼らに幼児教育を手伝ってもらう。一年に一度か二度の老人ホーム慰安なんてものじゃなくて、たとえば昔話講座、折り紙講座、絵手紙講座などを正規の授業(?)として担当してもらうのだ。
 幼児・児童にとってお年寄りは皺と白髪の汚い存在ではありません。子供の目はそのように見る汚い大人たちの目線とはまったく違い、老人を優しさ、知恵、経験のいっぱい詰まった魅力的な存在として見てくれます。そうした子供たちの純粋な眼差しの前で、老人たちはどんなに励まされ、勇気をもらい、そして希望を感じることでしょう!
 社会にはまるで一人前に扱われない幼稚園児のような若者たちが増えています。たとえばタモリの「笑っていいとも!」の場内観客みたいにアシスタントディレクターの合図で下らぬ冗談にも大口開けて笑ってます。そういう若者たちがいい大学に入ったり、いい会社に就職したり、末は下らぬ政治家を選んだり、東電の株主になったりしている。すべて段差無きスムーズ心太(トコロテン)方式の人材製造機の結果です。
 話をもとに戻すと、老人たちをうまく活用した社会では、たとえば高校の部活では、一糸乱れぬチアリーダー養成クラブとか一切の個性的な音色を許さぬ管弦楽部など、一歩間違えばキンタロ飴製造機みたいになってしまうクラブとは別に、あるいはそれら以上に、多彩で魅力的な部活が存在します。一例を挙げれば、町の竹細工の師匠の下での楽しく厳しい修行なども正式な部活として認められ、卒業後はその師匠の下で立派な職人になる道を選ぶ子も出てきます。これは下らぬアホみたいな大学に進むより、本人のためばかりじゃなくまともな日本社会建設のために本当に役立ちまっせ。
 またトカイのチャライ大学なんて行くより、家業を継ぎながらスペイン語の勉強、将来はさらにスペイン思想を極めたいなんて奇特な若者がいたら、この貞房、本気で教えまっせ(ちょっと体力が心配)。
 「杉作 よいか、日本の夜明けは近いぞ」。杉作、答えよ!
 以上大急ぎで冗談ぽく話しちゃいましたが本気で真剣に提案してますよ、そこんとこをよろしく。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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杉作、日本の夜明けは への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     人間が進歩、向上していくためには愛だけでなく敬する心を養わなければいけないと私は思っています。「戦後教育の弱点・盲点が、教師と生徒の間の段差の無さにこそある」。と先生が言われていますが的確な指摘だと思います。「実社会で必要になる知識や技術」は教育の応用であり、本体ではありません。教育の本質は、親の代わりに受け入れて、育ててやることだと思います。今の教育は教ばかりで育を疎かにしているんじゃないでしょうか。道理に反した行いをした生徒を本気で叱れる、また、教師自身も生徒に尊敬される、本物の「怖い先生」を個人的には待望しています。佐々木先生はそういう先生だったと私は思います。

  2. 加藤紀子 のコメント:

    おっしゃるとおりだなあと共感しました。
    親も教師もともだちのようになってしまってはいけないし、
    生活や教育の場に年配者がもっといてもいいと思います。
    日頃から接していれば人生の先輩に対する敬愛の念がしぜんとうまれてくるはずです。
    さすれば幼い心にも大人の社会がどういうものか、
    人生がなにをめざしてゆくべきかもおのずからみえてきます。

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