百歳の誕生日

今日はばっぱさんのめでたい百歳の誕生日。朝方、同日誕生日で95歳になった帯広の健次郎叔父にもお祝いの電話を入れました。130歳まで生きると豪語している叔父は、今日もパーク・ゴルフ、ダンス、カラオケ、といつもの通りのスケジュールらしく、たぶん仲間たちが行く先々で祝ってくれるのでしょう。
 本当は家のばっぱさんも相馬に帰って、元気に誕生日を迎えたかったのに、と考えると悔しさが込み上げてきますが、でもお骨はもう少し涼しくなってから十和田の兄が持ってきてくれるというので、それ幸いと、こちらではばっぱさんまだ死んでいないことにしています。だから頴美にバースデイケーキを買ってきてもらい、夕食時にささやかなパーティをしました。型どおりのローソク、ただし百本は多すぎるので、代わりに一本を点け、吹き消す役は最後までばっぱさんの守護天使でありアイドルであった愛が務めました。
 大阪のTさんが今日のことを覚えていてくださり、お祝いのメールを送ってくださいました。本当は『虹の橋』に収録できなかった歌など『拾遺集』として作るつもりでしたが、掛け声だけで実行できずに今日を迎えてしまいました。こうなりゃ、納骨のときまで今度こそしっかり作って、お墓にお骨といっしょに収めることにしましょう。
 今日は美子の訪問入浴の日。まことケア・ステーションの三人衆、祭りの翌日でもちゃんと来てくれましたし、お盆のときも休み無しに来てくださるそうで、ありがたいことです。そして入浴の度に右足の褥瘡傷口を丁寧に洗ってくださったので、急速に快方に向かってます。四時半から、いつものように美子をクリニックに連れていったのですが、I医師もびっくりするほど良くなってきたのです。
 思わず美子の褥瘡のことまで話は及びましたが、実は夕方近くなっても一向に暑さが和らぐこともないままの通院など、半ば意識朦朧状態(とは大げさです、ちゃんと安全運転で行きました)でしたが、でも不思議なもので、この猛暑の中で文句一つ言わないで(言えないで)頑張っている美子に支えられているのは私の方なのです。いえいえこれは格好をつけているのではなく、事実その通りなのです。
 今日も熱中症で死者が出たとか。熱中症でいつも懐かしく思い出すのは、2003年の夏でしたか、熱中症で病院に担ぎ込まれたばっぱさんに、「頑張れよ!」と声をかけたとたん、担架の上で素っ頓狂な声で「アイヨッ!」と答えたときのことです。
 ばっぱさん、百歳の誕生日、おめでとう!
 まだまだ暑さが続きそうですが、どうぞ皆々様も体調を崩さず元気でお過ごし下さいますように。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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百歳の誕生日 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     ばっぱさん百歳おめでとうございます。私の母は八十歳ですが、ばっぱさんに肖って一日でも長生きできるように先生を見習って一生懸命親孝行したいと思います。

     2012年7月30日

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