愛妻物語

徐京植さんの新著『私の西洋音楽巡礼』(みすず書房)をようやく読み終えた。読み始めてから十日以上経ってしまった。遅読はいつものことだし、それにこの猛暑のこともあったが、本そのものが一筋縄ではいかない大変な内容のものだったからである。
 徐さんが美術評論の分野で優れた作品を数多く書かれてきたことは知っていた。しかし音楽にこれほど造詣が深い方だとは知らなかった。などと書くと、私自身その方面のことに関心があるとか、いくぶんかの知識があるなどと思われそうだが(だれもそんな風に思っていない? ごもっとも)、絵画にしろ音楽にしろ、いわゆる芸術一般に関しては無知もいいところである。恩師がスペイン美術研究の第一人者・神吉敬三先生であり、友人や知り合いには演奏家が何人もいるというのに、中学時代から美術や音楽の成績はいつも最低、その状態から一歩も抜け出せないまま今日に至っている。
 だから昔、神吉先生とその後継者大高保二郎さんと、マドリードからリスボン、そこからさらに北上してコインブラへの美術館や古い修道院など歴史建造物を巡っての車の旅という、美術愛好家なら願ってもない機会があったにもかかわらず、道中一向に興味を示さず、お二人にとっては迷惑千万な同乗者に終始したほろ苦い思い出もある。
 いやそんなことはどうでもいいことなのだが、現に今もこうして必死に本論から逸れようとしているわけだ。よし、だれも私からいっぱしの音楽批評など期待していないのだから、本論を外れたあたりの感想に終始しよう。ところが実は、本書の奥深さは、たとえばザルツブルグ音楽祭など海外の有名音楽祭での生の演奏を聴いての実に的確な(と私にも推測できる)評論がもちろん太い縦糸にはなっているが、それにからまりながら、ときには本筋より太い筋を作りながら幾本もの重層低音が流れているから厄介なのだ。つまり徐さんの出自にかかわるというよりその生の基本構造としての「在日」の思想の流れがあり、それと共鳴音を発しながら朝鮮民族分断の悲劇を体現した尹伊桑の音楽、あるいは微妙な不協和音を奏でながらではあるがユダヤ民族の痛みを表現したマーラーの音楽の話などが幾筋も織られているという次第である。
 徐さんはもちろん演奏家ではないが、しかしちょうど一回り年上の私とは決定的に違う、絵画や音楽との豊かな体験や出会いに恵まれた青春を生きたことに羨望を感じる。しかしそこにはご自身声楽家でもあるFさんとの出会いが決定的だったはずだ。そう、ここでFさんの話に持っていこう。プロローグに続く「音楽は危険だ」の冒頭に、私の考えでは本書の陰の主役、そしていささか乱暴な断定と言われるかも知れないが、著者自身がその自在な狂言回しの手中にあるのではと言いたくもなるようなFさんをこう紹介している。「Fというのは、私にとって同伴者であり、友人であり、妻であり、時には娘のようでもある女性のことだ。」
 しかし全編を読み終えての私の印象では、ついさきほど「狂言回し」などという徐さんには失礼な言い方をしたが、それをこう言い換えさせていただく。すなわち「妻であり、時には娘のようでもある」が、さらには「姉あるいは母でもある」女性だ、と。
 本書は徐京植という人の音楽体験を語りながらの精神史であり自伝でもあるが、その徐さんの生涯にわたるアポリアともいうべき「在日」の問題に関しても、Fさんは実に重要な役回りを務めているように思われてならない。つまり私のように在日という問題をそれなりに重く受け止めている人間にとっても、そこには迂闊には近づけない何かがある。要するにその問題にはかなり強烈なバイアスがかかっているのだ。しかしFさんという存在を知った今、たとえ不適切な接近であっても、Fさんにそこを上手に代弁してもらえるのではとの安心感ができたからである。
 Fはもちろん徐夫人の名前のイニシャルに違いないし、そこに何か特別な意図が隠されているとは思えない。しかし全編を通じて要所要所に登場してくるので、カフカのKと同じような効果性を帯び始める。つまり初めのうちはいかなる意味づけをも峻拒するただの記号に過ぎないものが、いつの間にか重い実質を持ち始めるのである。
 さて以上、予想通り本題の音楽評論には触れないままに終わりそうだが、さらにその恥の上塗りとも言うべき自棄のやん八の言葉遊びで最後を締め括りたい。すなわちFは、徐京植さんにとってその明るさを調節する(つまりあまりに暗い場合には開放する)絞りを示すFであり、きわめて理詰めに事を進めるかに見える作者の、実は意外に弱気で悲観論的なところをしっかり支える硬さ、つまり硬度を示すFである、と。
 原発事故後、NHKのクルーと一緒に拙宅を訪れた徐さんは、我が陋屋を「愛の巣」と呼んで下さった。その「お返し」ではないが、私は彼のこの新著を、徐さんの「愛妻物語」であると言わせてもらおう。これでめでたく「おあいこ」である。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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愛妻物語 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     Kang Sang-jung氏の『母』という本を2年前に読んだことを思い出しました。徐さんと大学も年齢も同じで共に大学教授ですから何らかの繋がりがあると思います。この小説は、Kang氏は日本名を永野鉄男と言い、今の名前を公で名乗るまでの葛藤と人間にとって何が大切かを身を以って教えてくれた母親の人間としての重みを綴った自伝的小説でした。やはり「在日」ということが大きなテーマとしてありました。

     徐さんの本は読んだことはありませんが先生のモノディアロゴスの中の「魂の重心」という言葉に引き付けられたことを「こころの時代」の中で言われていたことを覚えてます。細かい理由は私にはわかりませんが、「在日」という境遇からの直感的な何かを感じて引き付けられたことは想像できます。

     先生と徐さんには私にはわからない所で何か共通性があるように思います。その何かとは「魂の重心」を低く保つための奥様の存在のように想像します。

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