武士に二言無し

「君、《病、膏肓(こうこう)に入る》って諺知ってるかい?」
「こうもうにいる、って言うじゃなかったかい?」
「いや、肓という字が盲に似てるからそう間違える人がいるけど、正しくは膏肓、つまり心臓の下、横隔膜の上の部分で、ここが病むと直りにくい、つまり趣味や道楽が嵩じて手がつけられなくなることを言う」
「あっ、もしかして今日アマゾンから来た本を見たな?」
「君は僕だし、僕は君だからとうぜんだろ? トマース・ハーディの『テス』のペンギン・クラシックスの原書版。まだ翻訳でも読んでないのに、どうして注文なんかしたの?」
「そう、いつもの通り文庫本を整理してるとき、『テス』の上巻(山内義雄訳、角川文庫、1962年)が出てきた。美子が読んだものらしいが、なんだかそのまま放っておけなくなり、アマゾンに中下を注文しようとして、いやこの際美子の代わりにいっそ原書も注文しちゃえという気になったの」
「そう、君、それ行き過ぎ。だいいち翻訳を読む暇も時間もないのに、その上原書を手に入れてどうする気だい?」
「自分でも分からん。ただテスの梗概を読んでみて、あゝ美子が好んだのも無理はないし、できれば原書でも読みたかったのでは、と思ってね」
「貧しい一家を背負った娘テスが、奉公先の富豪の息子に犯され、のちに純情な青年と結ばれるが、過去を告白したため捨てられ、最後は富豪の息子を殺して処刑される。なるほど美子好みの小説だね」
「以前、美子が愛読した石川達三の『転落の詩集』に触れて、どうしようもなく運命に翻弄される女性への一種の偏愛について書いたことがあるね」
「そう、だから美子の代わりに読み続けて…」
「あれっ、もしかして君、さらに次の手を考えてない?」
「ばれたか。そうここまでくればロマン・ポランスキー監督ナスターシャ・キンスキー主演の映画『テス』も観たくなったのさ。DVDは高いけど、VHSなら安く手に入りそうだから」
「確かに《病、膏肓に入る》だね。でも文庫本、原書、VHSすべてひっくるめて二千円に収まるのだから安い道楽さね」
「だろう? ところで話はがらりと変わるけど、例の問題の方はその後どうなった?」
「例の問題? あゝ領土問題ね。前にも言ったとおり、私の言ってることは自棄(やけ)のやん八、出口無しの絶望状態の中でせめては夢でも見ようか、と言ってるだけで、初めから聞いてもらえると思って打開策を提案してるわけじゃないよ。韓国、中国との領土問題は、本当は誰もが知ってる通り、背後にいつもの歴史問題が控えてる
そっ、そこを曖昧にしたままここまできた当然のツケだね。村山談話にしろ、あれはどうとかこうとか、今になって一部訂正すべきだとかなんとか言い出したことが発端にある」
「最近、サムライとかやまとなでしこ(あっこれはいいです)とか、やたら言い出す傾向があるけど、でもサムライだったら、《武士に二言無し》が武士道の真髄じゃないの?
「いや一部の人間にとって、初めから謝る気など無かった、というんだろ」
「でもね、それは内輪の論理で、国も個人と同じく一貫性・継続性が命だぜ」
「そういうこと。で君に質問。誰かが誰かに謝るといった場合、本当に許しが成立するのは何時だと思う?
それは簡単明瞭さ。相手が自分に対して充分謝ってくれたと感じるときさ」
「そうだろう? ところが日本という国はさ、いや日本人のある者たちはさ、ことあるごとに、自分に非がなかったんだ、と言い出すんだから、相手としてはそのたびごとに怒りがこみ上げて来るんだわさ
「その或る者たちは、すぐ相手の民度は低いとかなんとかあげつらうが、相手にしてみれば、絶えず前言を翻す日本人は、民度以前に人間として許せない、と思うわけよ」
「私の身近な人にもいるよ。本当にお人好しで、優しい人なんだが、日本人の過去の罪を話題にすると、決まってそんなことを言うのは自虐史観に毒されてる、と。でもね、自分の罪を潔く認めること以上に人間としての品位・資質が試される問題は無いと思うよ。自分の過去を糊塗して、いくらいい格好しようとしても、その方がよっぽど恥ずかしいことだと思わないかい?
「やーめた。当分領土問題、いや政治問題に触れる気はないね。この問題に触れるたびに、馬鹿らしくなってくる、情けなくなってくる。要するに、この問題をいかに精緻に客観的・歴史的・理論的に扱おうと思っても、ほとんど意味が無い。つまり事は理屈じゃない、感情なんだよ
「そういうこと」

★追記 『リツ子・その愛』の(二)に、作者が桂林近くの町に来たときのことがこんな風に書かれている。
 「私はこの町で、中国軍の女兵の捕虜を見にいった。勿論好奇心からである。…女兵の捕虜を、日本兵士の慰安婦に使うかどうか、それが、軍の偉い人々の間で盛んに論議されている、とその折、そんな噂も耳にした」
 朝鮮人慰安婦問題に日本軍が関与したかどうかを証明する書類が残ってない、とかなんとか言い訳しとるが、そんな恥ずかしいことを書類なんぞにできますか、ってんだ。沖縄戦で島民の集団自決に軍が関与したかどうか?、何を寝言言っとるね。戦時下にあって日本軍の指揮命令は書類など必要としないほど徹底したものだったことはちょっと想像力を働かせるだけで、バカでも分かることではないのか。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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