人様相手の仕事は

老朽化した瞬間湯沸かし器がまた沸騰することのないよう注意深く穏やかに日を送ってきたが、残念ながら今日、久しぶりに作動してしまった。そんなロートル(あゝ懐かしい言葉!)湯沸かし器のことなど聞きたくもないだろうが、書かずにいると罅(ひび)が入るので、まあ我慢して聞いていただこう。
 ことの発端は今日の午後転送されてきた一通の書類である。差出人は南相馬市役所社会福祉課社会福祉係、宛先は何とばっぱさん。つまり今年初めまでばっぱさんの疎開先であった十和田市から転送されてきた「義援金第二次追加配分振込口座の変更について」という文書である。ときどき福島市の医科大からばっぱさん宛ての健康調査書などが送られてきたことがあり、面倒だがその度に死亡の報告をしてきた。おそらく何十万という県民対象の業務だから少しぐらいの遺漏はあるでしょう。しかしお膝元の南相馬市から死者宛ての文書が届くのはちと腑に落ちない。
 つまりこちらとしては、ばっぱさんの死亡についてはこれまで何度も税金のことやその他もろもろの手続きの機会に報告済みなのに、未だにこうしてバッパさん宛ての手紙を寄こすのはどうしたことか、と思うのである。そう言うと、国民総背番号制にすればこうした間違いが無くなると言われるかも知れない。実は私自身その制度について今まで特に考えたことはない。つまり今のところ賛成でも反対でもない。しかしそれはそれとして今の問題に返ると、たぶん現在市の人口は往時の半分、すなわち3万ちょっとと思うが、しかしいちばん肝心な市民の生き死にの情報が、部署が違うだけで、このように目詰まりを起こしているのは公的機関としてまことにお粗末だと言いたいのである。
 でもともかくばっぱさんの死亡については知らせなければ、と書類の中に明記されていたメール・アドレスに連絡してみた。するとこのメールは届きませんでした、とのサーバー(?)よりの返事。一字一字アドレスを確かめてみたのだが、まったく間違はない。でも仕方がない、じゃ電話だ。さあ、これが事態を紛糾させていった発端である。
 「社会福祉課さんですか? 本日、今年の一月に亡くなった母あてにお宅が発送した義援金振込み口座についての文書が十和田市の方から転送されてきたのですが…」
 いちいち詳しく通話内容を報告するのもシンドイので後は端折るが、しかしこれだけの話を聞いただけでもプロなら察しがつくのではなかろうか。つまり死者宛てに文書を送ったというとんでもないミスを。私が係りならこう答えるであろう。
 「あっすみません、こちらの情報不足で間違って送ってしまったようですね。本当に申し訳ありません。さっそくこちらのデータを訂正しておきます、本当に失礼しました…」
 いやそれよりも、物ではなく他ならぬ人間様相手の仕事人なら、まず死者への哀悼の言葉を言わないだろうか。「お亡くなりになっていたのですか、知らぬとはいえ、たいへん失礼いたしました、ご愁傷さまです…」
 ところが電話口に出てきた若い男は、イケシャーシャーと、あたかも何事も聞かなかったかのように、「こちらは資料どおりに十和田市の方に送ったのですが…」。この返事を聞いた瞬間、湯沸かし器がボコッと低い音を出した。で、ちょっと意地悪な質問をしてみた。

「それではお聞きしますが、死者に対しても義援金を出すというのですか?」
「いえいえ、亡くなられた方には出ません」

 この答えを聞いたとたん、湯沸かし器の温度が沸点に達してしまった。教育上よろしくないので、それから先のやり取り、というか私が吐き出した怒りの火焔の詳細を書くことは遠慮する。
 要するに役所であってもすべてにわたって遺漏無き仕事を期待するのは無理というものである。仕組みから来るミスもあるだろうし、スタッフの個人的なミスもあるだろう。しかし市民の生き死に関する情報くらいは、しっかり管理しておかないととんでもないことが起こる。今回のように義援金を出す出さないということなら、いやそれでも当事者にとっては実に不愉快なことだが、たとえば謂れのない支払請求とか、その他遺族の心を傷つけるようなことが起こるかも知れない。
 先だっても、銀行で似たようなことがあった。つまり長年御得意さんだった死者への哀悼の言葉が一切なく、ただひたすら手続きやら残高などの数字のことしか言わなかった行員。要するに顧客や市民やらを数字やデータでしか見ていない非人間的な仕事振りが露呈しているのだ。
 住みやすい社会、行き届いたサービス、市民の身になっての行政……そんな綺麗な謳い文句も、日々の生活の中、具体的な人と人とのやりとりの中で実践されないなら、そう、犬にでも喰われっちまえ!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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