外科手術

昨日は上天気の土曜日。午後東京から二人一組のお客さん、夜も同じく東京から二人一組のお客さんがあって、実に楽しい一日だった。本当はそのお客さんたちとの楽しい語らいの要点なりともご報告したいのだが、このブログがお客様芳名帳みたいになり、それだけならまだしも、実名が書かれるなら訪問はやめた、なんていうことになると…あゝそうか、私のところにはそういううるさい(?)お客さんはもともと来ないか。
 実は昨夜のお客さんの一人Oさん、帰りがけに今夜の訪問のことフェイスブックに書いていいですか、と言われ、もちろんいいですとも、日ごろから最近の行き過ぎたプライバシー尊重を苦々しく思ってますので、と答え、その点に関してその客人たちとはまったく同じ考えなので意を強くしたところである。もう一人のKさんは弁護士なので、プライバシー保護法(でしたっけ?)のもともとの趣旨が間違って解釈されてしまったと説明してくださったのだが、お二人を送っての運転中なのでそれ以上詳しくお聞きできなかったのは残念。そのうち彼からその点のいきさつをコメント欄にでも書いていただければありがたいのだが…
 こうして話し始めたら、午後のお客さんについても少しはご報告したくなった…あゝこのお二方はこれまで何度も登場したので、手っ取り早く実名でお話する。つまり我が舎弟であるピアニストの菅さんと、ビオリストの川口さんだが、十二月一日(土)に、南相馬市立中央図書館、つまり昨年九月にチャリティー・コンサートをしたその同じ図書館で、今度はお二人だけのクリスマス・コンサートをしていただくことが決まったのだ。実現に向けての西内君の根回し折衝その他が実ったわけで、演奏してくださるお二人にはもちろんのこと、この幼友達にもただただ感謝あるのみ。前回同様、しかし今回は車椅子で美子も連れていくつもりだ。
 で、もともと書くつもりだった古本の話を…もう飽きた? まあそう言わないで聞いてくださいな。今日の手術は、今までとは違って熟練した外科医の技術を必要としたものなので。 この夏、古本の一部が虫にやられたことはご存知ですな? 何冊かは泣く泣く廃棄処分にしましたが、なかには高等な技術さえあれば、なんとか元の状態に限りなく近づけることができる本も何冊かありました。さてそれが今日の蘇生術の対象となった新書版の岩波・漱石全集の1~4巻のことです。そう、あの赤レンガ色、たぶんもっと適切な言い方があるんでしょうが、昔からの色の漱石全集の中身ではなく表紙だけが狙われたのであります。虫にもいろいろ個性と言うか好みがあるんですね、レンガ色の布表紙が下から2センチほどやられているんです。
 さあどうしましょう? いや実はそのためにレンガ色に近い布を見つけていたのです。美子のワンピースの幅広の布ベルトがそれです。手術台に乗った本の虫食い部分をハサミで切り落とし、そこに合わせて切った厚紙をボンドで貼り合わせ、その上にちょうどいい大きさに切ったベルトの布を貼り付けたのであります。同系色といってもかなり色合いが違いますが、しかしまあまあの出来です。
 かくして、第一巻『我輩は猫である 上』、第二巻『我輩は猫である 下』、第三巻『坊ちゃん 外七編』、第四巻『草枕 二百十日 野分』の四冊が義足をつけた格好ではありますが、見事蘇ったのであります。
 まだ言うことがあったような気がしますが、急激な眠気が襲ってきたようなので、今夜はこの辺で失礼します。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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外科手術 への5件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     私はたまに、というか思いついた時に菅氏作曲の『嗚呼、八木沢峠』を聞くことにしています。何故かこの曲を聴くと心が落ち着き、人に優しくなれるんです。

     先生の古書に対する姿勢、本を蘇生させる技術にはいつも私には大きな刺激になります、

     私が『嗚呼、八木沢峠』を聴くたびに感じるものは、そういう先生の生き方、そして、奥様に対するいつも変わらない温かな心遣いが加味されて菅氏の曲をさらに荘厳なものへと高められて私にとって大きな感動になっているように思います。

  2. 上出 のコメント:

    佐々木先生

    先日はありがとうございました。
    昨夜二人で帰京しました。
    同行したOさんも大変喜んでおりました。特に、先生にいただいた「ラブレター集」にはとても感動しておりました。
    また、Oさんは今回が初めてのボランティア参加でしたが、翌日の小高区でのボランティア活動(泥だしや家財の撤去等)も有意義だったらしく感激しておりました。
    当日は水戸に避難されている83歳のおばあさんが立ち会われたのですが、地震が来たときやその後の避難の状況をたんたんとユーモアたっぷりに話してくれました。地震の時はたまたま美容院にいて津波の被害から免れたとのことでしたが、パーマをかけている最中で、カールというんでしょうか、頭に巻くアレをつけたまま、避難所に逃げ、そこから新潟に避難したそうですが、ずっとカールを巻いたままの状態で、とうとう髪の毛が抜けてしまったとのことでした。笑ってはいけない話だとは思うのですが、思わずOさんと一緒に大笑いしてしました。とても良い笑顔のおばあさんで、Oさんが何枚か写真を撮らせてもらい、水戸の避難先を教えてもらい送らせてもらうことになりました。
    先日、「カエルをお土産に持って帰ったらどうだ」と言われた小高のおばあさんの話をしましたが、悲惨な境遇にいるのにみなさんのお話にユーモアを感じます。今思い出しましたが、そのおばあさんと私の間でこんな会話もありました。
    「ばあちゃん、年いくつ?」
    「いくつに見えるか}
    「ウーン、昭和5年生まれ?」
    「おお、あんたは神様か」
    「ずばり当たった?」
    「残念。はずれ。2つ下だよ」

    先日は、埴谷さんの『死霊』のユーモアのお話もしましたが、このおばあさんたちの話しぶりと言い、ひょっとしたら小高の土壌にあるものなのかなとも思いました。

    ところで、個人情報保護法については私は特に詳しくはなく、その限度でのお話ですが、これは関連法案が5つあり、まとめて個人情報保護法と総称されています。2003年に一部が成立し施行され、2005年に全面的に施行されました。
    個人情報漏洩事件が頻出されたことが法制定の背景にありますが、法の基本理念は、「個人の情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利利益を保護することを目的」とするものです。
    法の趣旨はそれなりに立派なものなのですが、施行直後から問題が噴出しました。

    私が経験した例でも、①相続人が被相続人の銀行預金の残高を銀行に問い合わせたところ、他の相続人の同意がないと拒否された例があります。他の相続人は被相続人と同居しており、預金を管理していて開示を拒んでおり、同意が得られる見込みはありません。以前なら法定相続人であれば問題なく開示されていたのでが。②入院した母親の別居した娘が病院に入院の事実を問い合わせたところ、拒否されました。③つい最近の例ですが、国指定の難病に罹っている人が主治医に診断書の交付を求めたところ、使い道が問題だと拒否されました(他にもいろいろありましたが略します)。

    報道に接するだけでも、「個人情報保護」を建前とした開示拒否の例が見られます。
    町内会の名簿、学校の保護者会の名簿、卒業名簿等の作成に際して、掲載を拒む人がいるというだけで、名簿作りを止めた例をよく聞きます。こういう場合は、拒否した人だけ掲載せずに名簿を作成し、拒否した人には個別に連絡をすればいいと思うのですが、後々の「責任追及」を逃れるためか、名簿自体を作成しないようです。
    尼崎の電車事故の際、負傷者の家族が病院に身内の入院の有無を問い合わせたところ、病院側に拒否された例が問題となったことがありました。
    九州だったかの病院に入院中の患者が暴力団員と間違われて病院内で射殺された事件がありましたが、病室の入り口に患者の名前がなかったため(個人情報保護の理由で)間違って殺されたようです。

    本当にばかばかしいと思うのですが、法の趣旨の徹底がなかったことにも原因があるのでしょうが、もっと本質的な問題があるようです。先日、先生とお話したときに「責任逃れ」の話が出ましたが、やはりそういうことなのではないかと思います。戦争責任、原発の責任等すべて共通する構造的な問題ではないかと思います。「責任」をとりたくないため、あらかじめ責任逃れの準備をしておく。「大人」がいない、日本中が官僚化・幼児化していることではないかと思います。

    最近もっともばかばかしいと思ったのは、コンビニで煙草を買うとき、未成年ではないという認証確認をさせることです。「未成年ではありません」という画面を押させるのです。私は最初びっくりして、店員に「おれが未成年に見えるか」と怒ったのですが、「規則ですから」との答え。間違って未成年に煙草を売ってあとで責任追及をされることを恐れているのですね。
    おそらく、こういうシステム作りには官僚がからみ、天下りの団体が受け皿になっていると思います。幼児化もここまで来てしまっています。
    ただし、一部のコンビニでは、認証画面が一応出るのですが、相手が間違いなく成人とわかる場合は、機械の操作ですでに「確認済み」として処理し、客に認証させない取り扱いをしている店もあります。おそらく、店長の判断だと思いますが、「大人」ですね。

    以上長くなって申し訳ありません。
    先生、また、いつかお目にかかりたいと思います。
    みなさまによろしく。
    それでは失礼します。

    上出勝

  3. 上出 のコメント:

    佐々木先生

    個人情報保護法の件で大事なことが抜けておりました。

    「過剰反応」「誤解」が問題であることは間違いないのですが、もっと問題のは、行政機関等がこれに便乗というか、悪用していることです。
    例えば、懲戒処分を受けた公務員の氏名を匿名にしたり、官僚の天下り先を公表しない等々です。東京電力の事故時の本店と現場とのやりとりの画像についても、「個人情報保護」を盾に氏名を伏せたり、顔の映像を隠したりとの措置がとられ問題となりました。
    こういう例をみると、この法律自体が「一般国民」の権利の保護を目的としたものではなく、それに名を借りて、国に不都合なことを隠蔽することを目的としたものではないかとすら、思ってしまいます。

  4. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    阿部修義さん
     今朝の、菅さんからのメールです。そのままコピーします。
    「お早うございます。22日の先生のブログに阿部修義さんと言う方からの勿体無いコメントを戴き恐縮しています。今慣れない携帯からのブログを開いて拝見させて頂きました。もし、ブログが出来たらお礼をするのに残念です。今、池袋の大学に向かって副都心線の車中ですが、昨日あたりから朝晩冷え込むようになりました。先生も美子先生もお風邪を召しませんように!咳き込む学生も多く、インフルエンザにかからぬようにしたいです。」

  5. 阿部修義 のコメント:

     菅氏からのメールを拝見して、逆に私の方こそ恐縮しています。音楽には人間の人生を変える力があります。作曲される一つ一つの曲に菅氏の生き方が表れるはずです。その生き方に曲を通して私は感動したのかもしれません。12月のチャリティーコンサートが素晴らしい一日になるように祈っています。大変遅くなりましたが、お礼のメッセージありがとうございます。

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