「紡ぐ」ということ

現金なもので、と言おうか、あるいはご多分に漏れず、と言おうか、他人からの褒め言葉はなかなか忘れない。もうどこかに書いたような気がするが、むかーし昔、自分の容貌にまったく自信が無かったころ、なに今だってそうだが、大学の食堂で、或るフランスの美男俳優(何とジュラール・フィリップ!)に似ている、なんてまったく見知らぬ下級生が囁いたのを小耳に挟んだものだから(もしかして空耳だったかも、という恐ろしい可能性を必死に打ち消して)、以後その言葉を頼りに生き抜いてきました、なーんてウソというか誇張ですが(おっと釣られて想像なんてしないで下さい、実物は、特に今は、似ても似つかない代物ですから)。
 要するに他人様から褒められることなど滅多にないのだが、実は最近珍しくありがたいお言葉をいただいた。原発事故後からずっと私の書くものに注目してくださり、あまつさえ(照れ隠しに使い慣れない言葉を使うが)過分の評価をしてくださった方(ご迷惑になるのでイニシャルさえ省略させていただくが)が、先日こんな言葉をかけて下さった。「拝読しました。この感覚は、飯舘の菅野村長、飯舘の友人である高橋みほりさん、「隔離という病」の著者である武田徹さんと共通するものがあります。日本社会に対しても同じ感覚で臨もうと思っています。それを紡いできたのは佐々木先生です。」これは十月二十六日の「鱓の歯軋り?」を読まれての感想である。
 私から言わせてもらえれば、菅野村長も高橋みほりさんも武田徹さんもまったく存じ上げない方々なのであるから、四者を結ぶ糸を見つけたのは、つまり「紡いだ」のは他ならぬこのXさんである。しかしともかく先ほども言ったように、このお褒めの言葉はその後も意識にこびりついてしまった。
 そういうわけで、先日の田渕さんとの話に戻るが、その折にも、次のような糸を紡いでみた。つまり田渕さんが撮りためた映像、彼と同じく今まで何回も南相馬に来られてたくさんの映像を撮られたロブレードさん、昨夏はるばるドイツから父上と訪ねてくださってカメラを回されたマリコ・ミノグチさんたちのそれぞれの映像作品が、いつか一堂に会して上映される日があれば、いやそれだけでなく、それを機会に互いに映像を出し合って、つまり動くコラージュ作品に仕上げるようなことでもあれば何と素晴らしいだろう、と。文字通り映像が紡がれるわけだ!
 画面は、いや話はとつぜん変わる。昨日の午後、美子がデイ・サービスに出かけた留守を利用して、鹿島区の仮設老人ホームを訪ねた。明日、健次郎叔父たちを案内するための予行演習である。事前に電話で聞いた道順の説明が大変分かりやすかったので、地理音痴の私にもすぐ分かった。旧国道を北にまっすぐ進むとやがて鹿島区に入る長い下り坂があるが、下りきったところの十字路を左折してしばらく進むとコンビニ近くにもう一つ信号のある十字路にぶつかる。そこを直進して次の信号のない十字路を左折する。道なりにしばらく行くと、右手になるほどたくさんの仮設住宅が西日の中に見えてきた。その中に「なごみ老人ホーム」があった。係の方にあらかじめ訪問のことを聞いていたのであろう、集会室に入っていくと一人の小柄なおばあちゃんがニコニコ近づいてきた。避難生活で一回り小さくなったよっちゃんである。
 でも話していくうちすぐ元の元気なよっちゃんに戻っていく。目も耳も衰えていなかった、持参した何冊かの本をさっそく読み始める。家のばっぱさんより七歳若く、健次郎叔父よりも二歳若い御歳九十三歳のよっちゃん、立派なものである。あゝ皆に会いてーね、で千代ちゃんどうしてる?(千代ちゃんの死んだことだけはすぐ忘れる)。だって千代ちゃん死んだ気にならねえんだもの。そうだろそうだろ、ずっと千代ちゃんはよっちゃんの中に生き続けて欲しい。
 ところで先ほどの話に戻るが、人と人を紡ぐ糸は何だろう? もちろんそれは「想い」であり、そしてそれを伝える「ことば」である。震災後、地域社会、親戚、友人たちを紡いでいた、あるいは紡いでいたと思っていたあらゆる種類の「想い」がずたずたに切れてしまった、あるいは既に切れていたことを痛みと共に悟らされた。運命論者ではないから運命の糸なんてものは信じないが、しかし人が抱く強い「想い」の糸は断固信じている。
 今の日本のこと、世界のこと、つまりこの世全般の未来のことを考えると、ときに絶望的な思いに駆られる。しかしよっちゃんのように、原発禍に翻弄された日々の中でも「あゝ皆に会いてー、たーちゃん、いとこ会やっぺ、それまで負けないで頑張っとー」との強い「想い」の糸の、その力を信じる。その糸さえ切らさなければ、いつか必ずだれかがそれを紡いでくれる。
 原発に頼ろうとしている日本だろうと、「強い日本」などとキナ臭いスローガンを掲げる右傾化の動きだろうと、それに対する強い拒否と抵抗の「想い」さえあれば、いつかそれらを阻止できるかも知れない、いや「かも知れない」ではなく、断固その想いを貫徹する意志さえあれば、その想いはいつか実現していく。例の「平和菌」だって、たぶんこの「想い」の別称なのかも知れない。いやきっとそうだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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