冬来たりなば

とうとう大晦日になってしまった。先日は『モノディアロゴスⅧ』のためにあといくつか書くなんてことを言ったが、その約束を果たせないまま、年を越す。いま昨年の今日の「今年最後のご挨拶」を読み直しているが、あれからちょうど一年、なにはともあれ、大過なく無事年を越せることを感謝せねばなるまい。
 一昨日、墓誌への記入と墓石の清掃が終わった。私自身はまだ直に見ていないが、息子夫婦が撮ってきた写真を見ると、ていねいな、いい仕事をしてもらったようだ。ばっぱさんも安藤家・佐々木家合同の墓誌の最後に名を連ね、新たに作った美子の両親の墓誌がその側に設置されている。美子がこれを識ったらどんなにか喜んだことだろう。正月休みに十和田の兄神父が来てくれるので、ようやく納骨式ができそうである。まっ、お骨がどこにあろうと、ばっぱさんはこれからもずっとこの陋屋に住み付いてもらうつもりだけど。
 震災二年目もこうして無事終わろうとしているが、しかしたくさんの課題や心配事を積み残したままの越年である。最近ますますテレビや新聞のニュースを見なくなったが、それでも断片的に世相の移り変わりは嫌でも眼に入ってくる。一昨日だったか、被災地を訪れた安倍首相の画像が流れていた。力強い復興支援を約束している彼の言葉や姿を見ると、もしかしてこれまで以上の成果が期待できるのでは、と錯覚しそうになる。いや復興が多少早くなったとしても、原発続行を画策している政権のどこに期待が持てます?
 初めから疑惑の目(?)で見ている私でさえも、危うく騙されそうになるだけの雰囲気を彼は持っている。彼が政権復帰を画策し始めたころ、ある報道関係者に冗談交じりに言ったことだが、池部良並みの甘いマスク、舌っ足らずの柔らかな声、これは特に女性にもてるだろう。自民党政権にかなり批判的であったはずの家のばっぱさんでさえ、晋三ちゃんにはかなり好意的であった記憶がある。だから暴走老人や維新かぶれより、相手としてははるかに手強いし警戒しなければならない、と。その時はもちろん選挙前の、大して危機感のないときの感想だったが、結果は予想以上に自民党圧勝に終わった。
 癪に障るのですべての結果を調べたわけではないが、被災地福島でも、というより他県以上に自民党圧勝ではなかったか。民主党政権があまりにも無様だったから、自民党への期待が高まったのであろうが、目先の生活安定を何よりも優先させるといういつもの通りの良俗派の勝利である。突然「良俗派」などという言葉を使ったが、モノディアロゴスの読者ならすでにその言葉の意味をご存知のはず。しかし念のため今年2月11日の「くたばれ良俗派!」をご覧いただきたい。
 安倍首相は、たぶん参院選で勝利するまでは靖国参拝や対中・対韓への強硬姿勢は封印するであろうと思っていたが、現在までのところその予想は当たっている。その点、慎太郎さんよりはるかに柔軟である。しかし甘いマスクと柔らかな声音にご用心! 圧倒多数の良俗派を上手にコントロールするには、安倍晋三のようなソフトタッチに若くはないのである。
 テレビの中のしんちゃん、クレヨンしんちゃんとちゃいまっせ、安倍の晋ちゃんでっせ、被災民に向かって、ところどころ言葉を噛みながらまくしたててます。復興支援を効果的に進めるには、従来のような縦割り行政ではだめです…おいおい、その縦割り行政を長年にわたって構築してきたのは自民党さんでっせ。他人事のようなカッコイイ言い方、恥ずかしいと思わないのかなー。
 まあともかく、一年を締め括る言葉がどうしたって暗いものになってしまいます。お隣り韓国でも初の女性大統領誕生の舞台裏は、日本と同じく、あるいはそれ以上に右傾化の動きが加速しているとか。何と言っても朴槿恵は朴正煕の娘、そして安倍晋三は岸信介の孫です、血は争えません。徐京植さんは「冬の時代」到来と言ったが、なるほどそういう時代になってきました。もちろん根が楽観論的な私ですから、即座にあの言葉を思い出して自らを鼓舞しています。すなわち「冬来たりなば春遠からじ」と。
 ついでに言いますと、この言葉、中国の諺か何かと思ってましたら、イギリスの詩人シェリー(1792-1822)の『西風に寄する歌』の一節、If wintar comes, can spring be far behind ? が出典らしいです。知ってました?
 ともあれ皆さん、風邪など引かずに元気に年を越してください!

https://monodialogos.com/archives/5084
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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冬来たりなば への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     モノディアロゴスを一年間一日も欠かさず拝読させていただきました。先生の文章は情感を通じて私の精神に響き、自分の人生を改めて反省すること頻りだった一年のように思います。10年の節目の年を越えられ、モノディアロゴスを執筆される意味を、この混迷極まりない現代の啓示として私は今後考えていこうと思ってます。一年間ありがとうございます。

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