新年のご挨拶

一応は忌中ということなのでこちらからは祝意は述べないが、以前おことわりしたように相手からは喜んで祝詞をいただくという手前勝手で変則的な正月を迎えた。そんなわけで懐かしい方々からの年賀はがきが届いている。こちらからは寒中お見舞いという形でお返事差し上げるつもりだが、まだその気になれないでいる。つまり或ることに思い惑いながら三が日を過ごしてしまったからだ。
 要するに『原発禍を生きる』以後のモノディアロゴスからもう一冊市販の本を作りたいのだが、というこちらの申し出に出版社の方でも応じることになったのだが、ここでまた例の難問にぶつかってしまったのだ。つまり市販の本にするといっても昨今のような出版事情の中ではごく限られたページ数にせざるを得ず、いきおい『モノディアロゴスⅥ』と『Ⅶ』からごく少数の文章しか収録できない。しかし厳選することは良いとしてもどんなテーマあるいは筋で選ぶのか。
 そのうち「厳選する」こと自体に疑問というか不満を感じ始めた。モノディアロゴスという「作品」は執筆日時がかなり重要な役割を演じている。つまり一つ一つのモノディアロゴス(なぜかブログという言葉は好きでない)は「時の流れ」と密接に絡み合っている文章群である。だから繋がり合っている文章群の中からいくつかを選び出すことは、その「流れ」を寸断すること、文章群相互を繋ぎとめていたいわく言いがたい何かを捨てることになるからだ。
 そんな思い惑いの中で、貞房氏は思いがけない行動に出た。その難問を振り払うかのように、『モノディアロゴスⅧ』の編集に打って出たのである。大晦日に書いたように、310ページ目指してあと数編書き足すことはあきらめ、今回はキリのいいその大晦日の文章までで、急遽『Ⅷ』を作ってしまおうとしたのだ。
 そして何となんと今書いているもの、つまりこの文章を「あとがきに代えて」として最後に加え、総ページ278の本にしたのである。そしてこの作業の途中で先の難問への解答をなんとなく掴みそうになっている。どういうことか。
 以下のような結論である。つまり本音の本音を言えば、出版社に依存せず従来どおり私家本を作り続けたい、そのためにも贈呈分以外に百人くらいの人からの「注文」が欲しいのだが。しかし今のままでは読者は増えず、悔し紛れに言ったように死後の評価を待つだけとなる。しかも『Ⅶ』の時にあれだけ恥を忍んで宣伝したのに注文は…十冊、しかもそのうちの八冊はSさんからのまとめ注文。
 だったら死後の評価などと痩せ我慢しないで、ダイジェスト(?)版でもいい、たとえば出版社から千冊出してもらえば、その中の何人かはさらに読みたくなって(!)私家本を求めてくるかも知れない。そうだ、不遜な言い方だが、出版社から出してもらうものは、いわば本隊の先行部隊、先触れ、パイロット役。そう考えるなら、ダイジェスト版にすること必ずしも志(どんな?)を曲げることにはならないのでは。 
 そんな折届いたTさんの年賀状に、こんな言葉が書かれていた。
 「モノディアロゴス読ませていただいています。私は、パートですが “黒猫ヤマト” のサービスセンターで働いています。繁忙期で殺人的な忙しさですが、[12月9日の]「もっと気入れんかーいっ!」を読んで元気が出ました! あともう少し頑張りまーす」。
 いつも励ましてくださるAさん以外にも、こうして私の文章で逆に励まされる人がいるんだ。そう、小さな誇りは封印して(?)、少しでも読者が増えることを考えよう、っと。
 また偉ーい先輩Sさんからはこんな有り難い言葉をいただいた。
 「モノディアロゴスⅦ、確かに有り難く落手しました。早速読ませてもらっていますが、自由闊達な文体に乗って読書することには、それじたい、ある種の快感があることに気づきました」。
 何のことはない、正月早々の自慢話みたいになったが、このところの落ち込みから、なんとか抜け出す元気をもらったので、ついご披露してしまった。
 そうだ、それこそ「気入れて」、『原発禍を生きる』の続編編集にとりかかろう。そして本隊[体]の方も、今年もめげずに書き続けます。どうぞ数少ない、大事な大事な読者の皆さま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。以上をもちまして、新年のご挨拶に、そして『モノディアロゴスⅧ』の「あとがき」に代えさせていただきます。

         2013年新春     富士貞房識


【息子追記】立野正裕先生(明治大学名誉教授)からいただいたお言葉を転載する(2021年19日記)。

モノディアロゴスの真の醍醐味、特徴は、それが日々の連続性において連繋している思索の姿を表わしているところにあります。思索の呼吸そのものです。たんなる日録ではありません。おりおりの観想、断想とも類を異にする。適切な言葉が思い浮かびませんが、呼吸する魂の心房のはたらきを思わせるものです。

先生がダイジェスト版を出すことを躊躇されたのは当然でした。モノディアロゴスを特徴付けている思索の呼吸が見えにくくなってしまうからです。


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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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新年のご挨拶 への4件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     年の初めに、ふと、自分の人生を振り返ると、日常の一つ一つの事柄が自分の感情の起伏によって左右されていることに気付きました。心が穏やかな時は素直に相手に対応できますが、そうでない時は相手の善言も聞けず意固地になってしまうことも多々あります。それが間違った判断を引き起こし後悔に繋がる。大切なことは自分の心の在り方を常に穏やかな状態に保つことなんですが、そこが非常に難しいのが人生なんでしょう。王陽明の言葉を借りれば、「心中の賊」は実に手強いということです。

     『モノディアロゴス』を読む効用の一つには、私にとって、心を穏やかに保つ妙薬のような意味もあります。市販の本として出版されること、それが一人でも多くの人が『モノディアロゴス』と出会える好機になることを願っています。

  2. HC のコメント:

    旧原町市との姉妹都市に住み、震災後より、このブログを読ませていただいている者です。

    地球の、こんな所にも佐々木様のお書きになるものを楽しみにしている人間がいることを、お知らせ致したくコメントをさせていただきました。

    どうぞ、皆様がご健勝で平和な一年をお過ごし下さいますよう。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    HCさん、初めまして。もしかしてペンドルトンにお住まいですか? いずこにせよ(?)遠いところからの励ましのお言葉、嬉しいですね。今日も盟友西内さんと「南相馬再生物語」の夢を語り合いました。南相馬を新しい日本文化の拠点に、韓国や中国と市民レヴェルでの親密な交流、いやアジアだけでなくスペインのセビリア在住の友人を巻き込んでヨーロッパとも文化交流を、もちろん従来からの姉妹都市ともさらに関係を深めることを。そして祭りの時だけでなく、たとえばスペインの町々がそうであるように、常に市民が街頭で、広場で、喫茶店で交流しおしゃべりできるようなお洒落で人情味あふれる町作りを、さらにはお年寄りの経験が若者たちに楽しく伝わるような伝統継承の町に…そのためには私たちのようなお年寄りだけでなく、特に若い世代がこの町に住むことが楽しく、そして誇りに思えるような「しっとりと落ち着いた町」にしたいね、などと夢を語り合いました。
     今年はこうした話し合いの輪を大きく広げたいと願ってます。HCさんもぜひ応援、いや応援だけでなく遠くからでもいいですから実際に参加してください。よろしく。

  4. HC のコメント:

    佐々木さま、さっそくのお返事、ありがとうございました。
    光栄に存じます。
    HCなどの匿名で大変失礼な事、重々存じ上げておりますがお許し下さいますよう。

    門馬前市長とペンドルトン市のレイミグ前市長の姉妹都市提携のお仕事を、ほんの少しお手伝いさせていただきました。
    お二人とも市政の長としての人格をしっかりと備えた方々だったと記憶しております。

    そして今、ペンドルトンから一人のかわいいお嬢さんが、英語の先生として南相馬の生徒さん達を教えていらっしゃいますね。
    これも、”南相馬再生物語” 実現への小さな一歩ではないでしょうか?

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