月魄と雪女

以下のものは、韓国の友人宛ての私信ではあるが、内容的にはこの「モノディアロゴス」の読者の皆さんにも興味あることと思い、ここに掲載させていただく。


ヒョン・ジニ様


 メール拝見しました。拙著『原発禍を生きる』の朝鮮語訳がいよいよ最終コースにさしかかっていることが、今回のご質問からも分かり、原著者として大変嬉しく思ってます。
 ご質問に順不同でお答えしていきましょう。先ず眞鍋呉夫氏の『月魄』という本の書名に関してですが、実はご質問があるまで、私自身あまり良く考えていませんでした。、魄はふつうハクと読むはずですが、作者はシロと呼ばせています。つまり月魄はツキシロです。辞書を引くと魄は「肉体的生命をつかさどる活力。人が死ねば魂は遊離して天上にのぼるが、魄はなおしばらく地上に残ると考えられていた」とあります。私の勝手な解釈ですが、太陽の下の躍動的な「生」とは違って、月の下の孤独で非活動的な「生」を言っているのでは、と思います。事実、この句集の「あとがき」で眞鍋氏はこう書いてます。

 「集名を『月魄』と名づけた理由の第一は、私が青年時代以来、どちらかといへば、太陽よりも月のはうが好きな夜行動物だからである。第二は、漠然とではあるが、この日頃、この巨大で無限定的な宇宙も、私のやうに孤独で無骨な極微の存在とその運動によって成立してゐるだけでなく、間もなくその巨大な宇宙の象徴としての「月魄」と一体化する日がくるにちがいない、と思ってゐるからである」。

 ちょっと分かりにくい文章ですが、先の私の解釈はそう間違っていないでしょう。題名の読み方についてのお答えが、つい長話になってしまいました。他の読者を意識してしまったようです。貞房の悪い癖です、お許し下さい。
 さて次はそこから七句ほど引用している『雪女』です。「雪女」(ユキオンナ)は、たぶん韓国の昔話にも出てくると思いますが、雪の精で、普通は白装束のお化けみたいな格好をしています。眞鍋氏はよほど雪女が好きだったとみえ、雪女を題材にした句がかなりあります。ところで肝心の掲載句の解釈ですが、どうでしょう、説明的に訳すよりむしろ直訳の形で言葉を並べられた方がいいかも知れませんね。解釈しようとすると私にも実に難しいのです。つまり眞鍋氏の句は非常に感覚的な、もっと正確に言えば鋭い視覚的なイメージが特徴的な句で、むしろ解釈を拒んでるとさえ思えます。そして私がそこに書いているように、「濃厚なエロティシズム」が感じられます。たとえばダナエの句です。

     唇(くち)よりも熱きダナエの土ふまず

 解釈すれば、ダナエの土ふまず(足の裏のくぼんだところ)は唇よりも熱い、と言っているだけなのですが、ドキリとさせられます。眞鍋氏の句には、たとえば雪女のような昔話の世界や、ダナエのようなギリシャ神話の世界を一気に現代に持ってくることで、わずか十七文字の句にはち切れんばかりの意味が充電されています。また

      びしょぬれのKが還ってきた月夜

には唐突にKが出てきますが、これは明らかに梶井基次郎という作家の『Kの昇天』をモチーフにしています。その短編の荒筋は、次のようなものです。

 「私は病気保養のために訪れていたN海岸で、ある夜更け、眠れないまま散歩していた。すると砂浜に一人の人影を見つける。その人影は全く私に背を向けたまま砂浜を行ったり来たりしている。私は徐々に奇異の念を覚え、やがてこのK君と知り合うことになる。K君は月夜の晩に浜へ出て自分の影を見ていると、そのなかに段々生物の相があらわれてくると言う。浜辺を行ったり来たり立ち止まったりすると、影は生き物のように揺れ動き、そのうちに自分の姿が段々見えてくると言う。そして次第に影は彼自身の人格を持ち始め、それにつれてこちら意識は段々薄らぎ、ある瞬間、自分は月へ向かって昇って行くのです、と言う。 そんなK君だったが、私が実家に戻ったあと自殺してしまう。直接の原因は定かではないが、しかしK君は月へ昇っていったのだと確信する。つまり満月の晩、彼は自分の影を追いながら海に入っていき、そのまま溺死してしまったのだと推測する」。

 このように眞鍋氏の句には昔話や神話だけでなく、日本近代文学のエッセンスがたくみに取り入れられています。大鋏(ハサミ)の句

      月光に開きしままの大鋏

も、彼の友人だった島尾敏雄の同名の初期短編(『新日本文学』、昭和二十八年一月号に発表)を下敷きにしています。このことは真鍋氏主宰の連句の会で、氏自身からも聞きました。実は今回、そのことを微かに思い出し、島尾敏雄の全集(晶文社)の第四巻で確かめました。一度読んだかも知れませんが、内容はすっかり忘れておりました。悪魔に魂を売り渡して自在の表現力を得たという夢を見た男が、目覚めてみると寝床の下になぜか一挺の大鋏が置かれていたという筋の短い作品ですが、梶井の『Kの昇天』とまるで血の繋がった兄弟みたいな作品です。
 このように彼の俳句は、一つひとつが重層する歴史や伝統を踏まえた作品だったり、私の大好きな「われ鯱(しゃち)となりて鯨を追ふ月夜」といった実に豪快な句もあったりで実に面白いです。いつか朝鮮語に翻訳されたらいいなと思います。
 さて最後に残ったのが最大の難物です。つまり今回の韓国版に、『原発禍を生きる』以後のもの、現在の被災地状況を伝える文章を加えたいが、どれを選ぶか、という問題です。ヒョン・ジニさんのご意見では、『Ⅵ』からではなく、むしろさらに最近のことを書いている『Ⅶ』や『Ⅷ』から選びたい、とのことですが…ご存知のように、一つひとつは一応独立した文章群ですが、時間的にも意味的(筋的)にも繋がりあっているものの一部を抜き出すことに作者(?)として忸怩たる思いがありますが、でもせっかく韓国の読者にお目見えさせていただくのですから、最近のものを付け加えていただくことは有り難いことです。それで思い切って次のようなものを選びましたが、もちろん韓国版の編集権はヒョン・ジニさんに全権委譲しますので、ご自由に処理くださって結構です。
 『Ⅶ』からは、南相馬の病人やお年寄りがたくさん亡くなられたことについてどうしてだろう、なんてとぼけたことを言ってる関係者やマスコミに怒ってる「何をいまさら!」(2012/5/14)を一編だけ。あとは『Ⅷ』から以下の項を。
 「アリラン峠」、「理性と感情」、「一大研修センターを!」、「理屈じゃなく意志」、「鱓の歯軋り?」、「原発禍記念資料館を!」、「南相馬再生物語」の七編、全部で八編ではどうでしょう?
 ご覧のとおり、特に意図したわけではありませんが、おりしも領土問題が起こったためでしょうか、韓国に関連したものが多いです。またこの三月に南相馬で開催予定の鄭周河(チョン・ジュハ)さん★★の写真展や李相和(イ・サンファ)の詩なども紹介されているので、韓国の読者にも喜ばれると思いますが、どうでしょう。

 さてこの後は、ヒョン・ジニさん宛ての個人的な伝言なので省略する。
 ところでご紹介が最後になってしまったが、ヒョン・ジニ(邢鎭義)さんは一橋大学に八年間留学し、現在は韓国中部の大田(デジョン)市にある韓南大学の教授をされておられる方(女性)である。まだ直接お会いしたことはないのだが、いつかぜひ南相馬にも来ていただくことを熱望している。その節はまた皆さんに改めてご紹介させていただく。

たぶんこの技法は、古歌の語句・趣向などを取り入れて作歌する「本歌取り」というものだと思いますが、でも正確には何と言うのか知りません。
★★ たまたま今朝、徐京植さんから鄭氏の略歴が届いたのでご紹介します。

鄭周河(チョン・ジュハ)1958年、韓国・仁川に生まれる。
ドイツのケルン芸術大学で学士と修士の学位を得る。
ドイツ、アメリカ合衆国、日本など各国で個展およびグループ展を開く。
写真集として『大地の声 땅의 소리』(1999)『不安、不-安 불안, 불-안』(2008)『西方の海 서쪽바다』(2011)などがある。現在、韓国の百済芸術大学写真科教授。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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