新たな挑戦として

 今になって白状するのも変だが、実はギャラリートーク会場での私の座った場所のせいなのか、それとも私自身少し難聴気味のせいなのか知らないが(確率としてこちらの方が高い)、他のお二方の発言内容がよく聞き取れず、いきおい私の発言は聞き取れた範囲のことから半ば推定してのものであった。その意味では他の発言者の内容を紹介しなくても良かった(?)のだが、今回の二番目の発言(すみません順序が逆になりましたが、昨日紹介したのは、実はこのあと、三番目の発言でした、お詫びして訂正します)は芸術の本質に関わるものなので、他のお二方の発言も急遽紹介させていただく。


  はい。ありがとうございました。えー、同じ質問の延長上でもうひとつだけお聞きすると、私自身は、この放射能災害というものが、人間個々人の尺度をですね、いろんな意味で越えている現象だと思うんですね。ひとりの人間の人生が80年だとかしても、放射能災害の及ぼす時間尺度はもっとね、数百年とか、場合によっては、数万年、そういう尺度であると。あるいはこれは目に見えなくて、例えばここ福島で起こったことが福島に別に限定されることなくですね、近隣はもちろん、全世界に及んでゆくと。そういう意味で、空間的にも時間的にも、尺度を越えている現象なんですね。そこのところが交通事故とかとは違うわけですね。
 しかし、それを表現しなければならないわけです。それを表現するということは、先ほど、芸術の限界っていうふうにおっしゃったけど、芸術家に対する非常に深刻で重大な挑戦なんですよね。それは、写真家はもちろんですけれども、絵描き、あるいは文章を書く者も、自分たちが行っている「表現」という行為自体を、この尺度を越えた現実に取り込む中で、新しい方法を考え出し、新しい挑戦をしなければならないような内容を持っているわけですね。その点について、鄭周河先生が今までやって来られた作品活動と、今回、この福島を契機にして新しい自分自身の技法上のですね、新しい局面と言いますか、新しい挑戦って言いますか、そういう変化があったんでしょうか?どうでしょうか?それからそれは今後どうなって行くんでしょうか?

  まず、写真という媒体に内在されている技術的条件に大きな変化はありません。ところが、それを支えているテーマの問題、主題の問題において、自分の生の変化というより、私自身をさらに強化された契機が今回の作業に通じて与えられたと思います。芸術家としての写真家は誰しもそう思うわけですが、私も同じく自分が写真で表現してあげるからこそ人が見ることができる、そのような瞬間を見つけ出したいです。ところが、そういう瞬間をみつけるためにも、写真家も同じく人文学的な学習や十分な経験を兼備しなければ、世の中へもっと入ることはできないと思います。芸術家は比較的に自由な職業ですが、一つ義務があるとするならば、まさにそれが芸術家の義務ではないかと思っています。

佐々木  あの、今のは難しい質問ですよね。答えになるかどうか、多分、少しずれると思うんですけど。写真のことは正直申し上げてよくわからないので、例えば文学というものを考えるとですね、たまたま震災後、ある出版社から東北文学事典を作るから協力してくださいとの依頼がありました。で、それをはじめは引き受けたんですけれど、しかしその企画自体は震災前のもので、そこに大震災・原発事故が起こった。それで東北の文学事典を作るっていう企画は、私の考えからすれば、そもそもの出発点から、つまりなぜ文学という表現があるのかというところまで、もう一度、考え直さなかったら無理じゃないかと思ったんです。だけど、出版社の方は、まぁこれは出版社以外のどこでもそうなんでしょうけれど、考え直してない。その最たるものは政治ですよね。
 つまり、大袈裟なことを言うようですが、根源からの問い直しが土台無理な話だとしても、少なくとも大震災後でもなお従来どおりの文学表現でいいのかどうか、とか考えてみる必要があるのではないか。私のちょっと独自なっていうか、非常に恣意的な言葉遣いで言うと、終末論的な視点っていうか、つまり、たかだか人類の歴史、さきほど何万年っていう膨大な原子力の時間問題について考えると、そういう人間の尺度を越えるという話が出ましたけど、そこまで行かないとしても、せめて人間の歴史からいっても、有史以来の人間のいろんな生業、表現、あるいは国のありかたなんかを含めて、たかだかわずかな時間の中で、つまり膨大な時間からすれば本当に短い時間の中でのことです。それを非常に固定的に、これしかないといった形で、例えば、国のありかたもそうなんですけれど、あるいは文学表現についてもそうなんすが、何かもういつの間にか、「これしかない」といような固定観念の中で縛られてきたんじゃないないだろうか、と考えるんです。
 ですから、私は文学表現に関しても、ここでもう一度、緒元に戻って考えるべき時期じゃないかと。それは、作家とかいろんな人たちも、本当はそうした問いかけを、自らにすべきだということです。まぁ人のことは言えないんで、私自身もそうなんですけれど。でもね、それがどうもウヤムヤになってまた元のままに戻ろうとしている政治なんてのはもう笑っちゃうほど反省がないですね、だけど、私は文学とかね芸術に関してもですね、特別なひとつのメッセージが発せられている、と思うんです。例えば、今回の原発事故、「3・11」を、自分に対する挑戦として、先ほど徐さんがチャレンジって言われたように本当にチャレンジとして受け止めるぐらいの、考え直しって言うか、それが本当は必要じゃないかと、まぁ、そういうふうに考えます。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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新たな挑戦として への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     「イ・サンファ(李相和)の詩」の中で先生が言われた「心に深く感じること」を疎かにして来た結果「『これしかない』というような固定観念の中で縛られてきた」と私は思います。

     『原発禍を生きる』の中で、ギャラリートークの先生のお話のベースになっていると私が感じた文章があります。

     「すなわち前に進めでなく、内部へ進め、という思想である。内部とは? それはすでに経験した過去へではなく、いつの時代にあってもおのれの魂の中に流れていたものへと向かうことである。つまり自分たちの歴史の中に、いやもっと正確に言えばその古層に脈々と流れていたものの再発見へ。新相馬節を聞くときに、おのれの内部に湧き上がりあふれ出すものの再発見である」。

     鄭さんの写真にも李相和さんの詩にも私が感じるものは、この「古層に脈々と流れていた」何か(言葉で表現できません)なのかも知れません。そして先生が「心に深く感じること」と言われる意味もそこにあるように私は思います。

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