近況ご報告と「あとがき」

昨日、五日間の滞在を終えて、娘と孫たちが川口に帰っていった。小学三年の翔太と小学一年の大貴が駅前から発車するバスの窓からしきりに手を振って別れを惜しんでくれた。滞在中、あまり天気が良くなかったので、彼らをなんとか市民プールで遊ばせることばかりに気を取られ、駅前の図書館や博物館に連れて行くことを思いつかなかったことが悔やまれる。四日目にようやく梅雨が明け、やっと夏日になり、市民プールで思い切り遊んでくれたのがせめてもである。子供の姿は余りなかったそうだが、学校のプールとは違うところで伸び伸び遊べたのだろう。
 これでまた老人二人だけの生活に戻ったが、九日には愛たちが中国から戻ってくるので、もう少しの辛抱。さて今月に入ってから一度も書かなかったが、孫の相手で疲れたからでも、あるいは体調を崩していたからでもない。いろいろそれなりに忙しくはしていた。中でも、『モノディアロゴスⅨ』の編集作業が佳境に入っていた。などと書くと、いかにも楽しそうな作業に聞こえるが、実際はそうではない。いや正直言うと眼が疲れたり、へたくそなパソコン操作でなかなかにしんどい作業であった。
 今年の正月から七月末までのもので273ページになった。これまでよりページ数がすこし少ないが、ばっぱさんの一周忌(1月2日)の「寒中お見舞い」から始まって、ちょうどばっぱさんの101歳の誕生日(7月30日)で終わるので、いい区切りではないかと思う。ところが最終段階に来て書名で迷い始めた。「モノディアロゴス」という書名をⅩまでともかく続けようと漠然と考えていたのだが、ローマ数字がただ無機的(?)に並んでいるだけでは、著者の私でさえどれがどれだか分からなくなってきたことが迷いの発端にある。
 どうだろう、ここらで思い切って書名をつけてやったら? でもどんな書名を? できればその巻全体の内容を適切に表わすような……もともと全体の統一など考えずに書いた雑多な文章の寄せ集め、そんな題名があるはずもない。しかしそこをなんとか。で、苦し紛れにこんな題名にしてみた。おっとここから先は「あとがき」に書こう。

      
  「あとがき」

 Ⅶ、Ⅷのあたりでは、この調子でいくと年に2冊のペースになるか、などと書いたが、その頃より少しペースが落ちてきたかも知れない。それでも今年の正月から七月末まででこれだけの分量になった。でも量を誇って何になる? これからは量より質と行こう。
 量はこれまでのものとあまり変わりはないが、今回大きく変化したことが一つある。つまり従来の「モノディアロゴス+ローマ数字」は副題にし、思い切って書名をつけてみたのだ。『鏡像の世界』。それ何のこと?と思われるかも知れない。付けた本人でさえ全く自信がない。例えば98ページの「呵呵大笑」あたりで鏡像の問題を取り上げているように、このところ鏡像のことをよく考えていたという事実はある。今さら言うまでもなく、鏡像とは、実像と見まちがえるほどソックリに見えるが、しかし現実には存在しない像である。
 これまでも随所に「実像と虚像」については語ってきたが、鏡像は実像の完全なコピーに見えながら実はそうではないという意味で、虚像の中でも性質(たち)が悪いと言える。洋品店(なんて今は言わないか)の姿見(とも言わないか)は、微妙な角度をつけて客がよりスマートに見えるようにしているらしいが。
 それはともかく、「シシリア展」への寄稿文(十月開催の時点でここでも全文ご紹介するつもりだが)あたりから、今の日本がとんでもないほどの鏡像に思えてきたことだけは確かである。つまり眼に見え、耳に聞こえてくる周囲世界は申し分ないほとの実在性を誇っているかに見えるが、しかし実は蜃気楼のように本当はそこには無い世界、もっと正確に言えば本質を失って偶然やハプニングだけで辛うじてバランスをとっている国。これまでの私の表現を使うなら、限りなく重心が高い、というより宙に浮いている世界に見えてきたのだ。シシリア論でも触れたことだが、現代スペインの二人の芸術家、つまり小説家のフアン・ホセ・ミリャスさんも、また当のシシリアさんも大震災後の日本を、「はるか向こうの国」そして「アクシデントという名の国」と、期せずして根無し草のような国に見立てている。
 本巻のいたるところで、アベノミクスに代表される経済優先、快適な生活優先の実に浅薄な国のあり方に強い怒りをぶつけてきたが、そうした傾向は止まるどころかますます加速している。今日は奇しくも広島に原爆が投下された日だ。しかし日本が被爆国であることなどすっかり忘れ去られている。確かにお義理のように、ちょうど毎年ぜんこく放送のニュースに野馬追いが出て来るのと同じレベルで記念日として報じられるが、しかし被爆体験や敗戦のことなど大部分の日本人にとって夏の風物詩として辛うじて意識の片隅にこびりついたシミのようなもの。たかだか二年前の原発事故からして、はや忘却の彼方に消えかかっているのだから無理もない。
 ミリャスさんの場合は、被災地だけでなくハラジュクやオモテサンドウも見た後の日本診断だったが、なんと数日前、名古屋かどこかアキバ(秋葉原のことだって)みたいなところでコスプレ・サミットが行なわれたという。以前「カワイイ」が今や世界を席捲してるなどと政府の役人までが喜んでいるらしいことに苦言を呈したことがある。つまり十九世紀中葉、浮世絵などが欧米の芸術家たちに衝撃を与えたとされるジャポニズムとはかなりレベルの違う現象であり、決して手放しで喜んでいい現象ではない、と。
 そこには1970年代中ごろ、イギリスやアメリカで生まれたパンクのような反権威主義、反軍国主義、反人種主義などの思想性も見られない。飽食と無目的、あるいはインモラル(不道徳)ならぬアモラル(没道徳)な社会の表層に浮かんだアブクのような現象に過ぎない。オタクも然り。
それなら「鏡像の世界」ではなく「鏡像の国」とすればいいではないか、と言われるかも知れないが、しかし考えてみれば、どんな屁理屈を並べようと、以上の現象は日本だけでなく(もちろんその筆頭に来るが)、世界全体が投機で回っているし、その上、地球を何千回もぶっ壊せるほどの核弾頭を抱え込んでの危険極まりないアクロバット飛行を続けているのであるから、「鏡像の世界」としたわけだ。
 こういう現実を前に、時に絶望的になるが、しかし拱手傍観ばかりはしていられない。そのための行動への兆しというかヒントもいくつか書いておいた。楽隠居を望んでいたわけではないが、これから残された短い時間の中で、これまで以上に奮起しなければならないのはちと辛いところがあるが、でもたとえ道半ばで斃れても仕方あるまい、くらいの覚悟は出来ている。

                  2013年8月6日、著者記す。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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近況ご報告と「あとがき」 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     11年間に及び執筆されて辿り着かれた『鏡像の世界(モノディアロゴスⅨ)』に、先生の命がけの執念と信念を感じています。少しずつですがモノディアロゴスの初期のものから読み返していますが、今、『モノディアロゴスⅡ』の半分ぐらいのところです。この本は早く読み終えるとかは全く意味がなく、ひとつの文章を反芻して、味読することに醍醐味があると改めて感じています。

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