緊急事態発生!

「しばらく見なかったね。元気にしてた?」
「ほんと、しばらくでした。ちょっと間が開きすぎて、出てくるのが恥ずかしい」
「あらゝほんとだ、どう切り出したらいいか分からなくなったみたいだね」
「なんだか長期欠席した子が久しぶりに学校に出てきたときの感じ?」
「なんで今風に語尾を上げる? まあともかく体調崩してたわけでもないんだろ?」
「うん、お蔭様で元気は元気。食べて、寝て…美子も風邪も引かずに元気…」
「…さてはまた持病が出たな? つまりしょーもない整理魔に襲われた?」
「ばれたか。そう、今回は清張さん」
「清張って松本の清張さん?」

(陰の声・この調子で下らない細部に話が進んでいきそうなのでまとめると)
何の拍子だったか忘れたが、食堂兼居間の書棚に並んでいた清張の本がやたら気になりだして、二階の手作り本棚に収納されていた他の清張の文庫本もすべて机脇に持ってきて、執筆年次(刊行年次にあらず)がほぼ同時期のものを3冊ぐらいずつ合本にしているのだ。つまり別の本の要らなくなった箱を解体してできた厚紙で補強し、更にそれに布を貼って、ちょっとした愛蔵本に変身させているわけ。
 ところがその数が半端じゃない(ハンパナイじゃないぞ!なんだか知らないけど、テレビで若いもんがハンパナイなんて言うと無性に腹が立つ。何でもかんでもミミッチク端折るなーっ!)単行本を入れると何と計88冊。もしかすと登録していないものがまだ出てくるかも分からない。
 これはほとんどが美子が結婚前から持っていたり、結婚後も出るたびに買ってきたものである。たぶん全部読んだだろう。なにせ読書のスピード、量ともに私をはるかに超えていたから。もちろん探偵小説、今の言い方だと推理小説、は清張に限らず翻訳物も読んでいたが、でも一番のお気に入りはやはり清張。
 清張が文壇に登場したのは、というより芥川賞を受賞したあと、いわゆる純文学作家としてではなく推理小説家として人気が出てきたのは昭和三十年代半ば(名作『点と線』は昭和三十二年)だから、美子が高校生の頃だろう。たしかに清張の登場によっていわゆる「探偵(ある場合は怪奇)小説」は大きく「推理小説」へと変わった。ともかく冒頭から独特の緊張感あふれる文章に引き込まれていく。ともかく登場人物が生きている。美子でなくてもハマってしまうだろう。だから一時期、それもかなり長い期間、清張の作品を夫婦そろって競うように読んだものだ。
 今回の作業は、つまり合本・布表紙装丁の作業はまだ終わらない。途中バカらしくなって止めようと思ったが、そこが病気、ケリが付くまで終われそうもない。おまけに時々拾い読みなどするものだから、なおさら終わらない。でもバカらしいことには変わりがない。つまりもうすでに文庫本の紙は変色し始め、印刷された活字も薄く読みにくくなってきている。せっかく愛蔵本にしても何年持つか。いやそれより誰が読むのか。そう考えるとバカらしいどころか空しくなってくる。あゝ美子のためだったらどれほど張り合いがあり意味のある作業だったろう!
 でも二階寝室の鴨居にしつらえた本棚に眠る何百冊もの海外ミステリーは絶対に装丁しないぞ、と今から自分に言い聞かせている。

「なんともご苦労さんだこと。でも人生はそうした一見無駄だと思われる細事に占められているんだよな。だって必要なこと、大切な事だけで埋めようと思ってもそれは無理。一見無駄なこと、些事、気晴らしを緩衝材みたいに埋めていかないと、余裕のない、息苦しい人生になってしまう」
「そうだ。ウナムーノさんも言うように、人生はその大部分が気晴らしということから生の喜劇的感情が生まれ、その無意味さに耐えるということから生の悲劇的感情が生れる。ということは?」
「ということは、要するに生はトラジコメディー(悲喜劇)」
「そう。でも今世界は、とりわけ日本は、そのバランスが大きく崩れて、不真面目、パフォーマンスがやたら目に付く。上は現内閣の空証文連発のはったり政治から、下は…」
「政治で思い出したけど、元首相たちがようやく脱原発の声を大きくしてるらしいね。小泉さんに続いて最近は陶芸三昧で工房にこもっていた細川さんも脱原発の声を出してるそうだね。」
「細川さんていえば科は違うけど貞房さんと同じ大学の同期じゃない? 歳はたしか一つ上だけど彼は一浪しているから同じキャンパスで四年間一緒だったはずだね」
「全くの偶然だけど今日、頴美のためにアマゾンから三浦綾子の『細川ガラシャ夫人』(上下、新潮文庫)が届いた。彼の先祖だよね」
「そう、明智光秀の娘で細川忠興の妻、高山右近の影響でキリスト教に改宗、関が原の戦いの際、石田三成に逆らって自害したガラシャ夫人…」
「ともかくこれで晋三包囲網が更に強力になったわけだ。でも政府筋からは放射能廃棄物の毒性を万単位じゃなく千もしくは百単位まで縮める研究が進んでいるとかないとか、とんでもない牽制球を投げる奴がいたね」
「ザケンジャナイつーの。これまたお得意の空証文、そんなことは実現可能性が確実、いや実際にその成果を見せてから言えっつーの!」

 とここまで書いてきたとたん、わがモノディアロゴスに緊急事態発生。実は数日前、■からハッカーが乗っ取ろうとしているからパスワードその他を変えてガードを固めるように、と忠告を受けたばかり。それなのに清張さんかまけててつい対策を延ばしてたら、読む気も無いので即消去しましたが英文が7、8回分投稿されてました。明らかな嫌がらせです。世の中にはくだらないことに情熱を傾ける大バカ者がいるんですなー。清張さんの古本を愛蔵本に変えることなんざ、下らないかも知れんけど、誰にも迷惑をかけない、実に立派な気晴らしでっせ。
 こうなりゃどこまででも戦い抜きますぞ、あほんだらのハッカー君!!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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緊急事態発生! への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     今から二十年ほど前に、細川護熙著『明日はござなくそうろう』(ダイヤモンド社1993年9月3日 14版発行)を購入したのを思い出して書棚から探してパラパラ捲っていましたらこんなことが書かれえありました。

    「教養とは
     
     いったい何のために学問をするのか。それは深い教養を身につけるためだということでしょう。教養とは、お茶やお花や英会話やパソコン教室に通って、カルチャー、カルチャーと言うことではありません。教養とは、一言で言うなら『思いやり』があるということです」

     細川元総理の教養とは何かに対する考え方に見識のある人だということがわかります。安倍総理は、こういう総理経験者の原発に対する見識ある見解を熟慮して日本の将来を決めてもらいたいと思います。ただ、そういうパフォーマンスが原発推進派のガス抜きにならないことを個人的には願っています。

     

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