或るこだわり

フィリップ(Charles Luis Philipe)は、貧しい人々の生活を温かい共感を持って描いた十九~二十世紀フランスの作家だが、本国よりも一時期日本で高く評価され広く愛読されたようである。それはともかく、どういう来歴かは不明だが、わが貞房文庫にも彼の3冊の文庫本がある。数年前(たぶん震災前)いつものようにそれらを1冊の合本にしたものを、昨夜ふと同系列の作家サローヤンの合本の側にあったので書棚から取り出してみた。『小さな町』(小牧近江訳、河出書房市民文庫、1953年)、『朝のコント』(淀野隆三訳、岩波文庫、1967年、3刷)、そして『フィリップ傑作短編集』(山田稔訳編、福武文庫、1990年)の三冊である。
 それらをぱらぱらとめくっているとき、合本製作のときには気付かなかった(らしい)或ることに気付いた。『朝のコント』の中の一編「ロメオとジュリエット」が剃刀かなにかでそっくり切り取られていたのだ。そもそもこれら三冊がどうしてあるのか、それさえ分からなくなっているが、市民文庫の扉には昔ばっぱさんが使っていた四角の佐々木の印鑑が押されているので、もともと家にあったものだろう。福武文庫のものは後に私が購入したものか。しかし岩波文庫の『朝のコント』は印鑑も何も押されていないから結婚前の美子のものではなかろうか。
 すると切り取ったのは美子自身か? もしそうだとしたら何のために? 残念ながら美子に確かめることは出来なくなったが、なぜかだんだん気になり出した。1967年の出版だから、そのころ購入したとすると美子が桜の聖母学院高校の英語教師をやっていたときのものだ。たとえば授業でシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を講読していて、それを理解させるためにフィリップの短編を紹介したのか。でもなぜ切り取らなければならなかったのか? いやそもそもフィリップのその短編がシェイクスピアの作品とどういう関係にあるのか。ただストーリーを紹介しただけのものではあるまい。どんな作品か読んでみようか。
 でもわずか10ページにも満たないその短編のために同じ本を買うなんてバカげている…でもアマゾンで例のマジック値段(つまり定価1円+送料250円)で買えるとしたら?
 ところがあったのである、その値段で。本が届いたら、その部分だけをコピーして欠落部分に貼り付ければ、同作品が2冊できるわけで、まさに一石二鳥、単なる無駄使いにはならないだろう。
 でも我ながらなんでこんなつまらぬことにこだわっているのだろう、と不思議になる、いやイヤになる。先日も松本清張の作品で上巻があって下巻が無いもの、下巻があって上巻が無いもの、合計3冊を例のマジック値段で購入して補充したばかり。本当は頼まれた原稿の締め切りが迫っているというのに(それも三つも)、ノルマ以外の何か別のことをやりたがるといういつもの悪癖が出たのだろう。
 いやいや、そんなこだわりはこのところ(もう一ヶ月以上?)迷いこんでしまったもっと大きなこだわりに比べれば罪は軽い方である。つまり佐々木小次郎から始まって今は宮本武蔵と、十六~七世紀初頭の日本にすっぽりはまっているのだ。前述の三つの依頼原稿の一つが「日本スペイン交流400周年」に関わるものなので、関係あるといえば関係あるのだが…これについて語り始めると話の内容が大きく変わるのでこれについてはまた日を改めて論じたいが、ただ一点だけは触れておく。というのは交流400周年というネーミングはいささか誤解を招きやすいのではないかということ。
 つまり今回の400周年は1613年の支倉常長の慶長遣欧使節を起点にした数え方だが、しかし、ならば1549年のフランシスコ・ザベリオの来航、さらには天正遣欧使節(1582年)、そして1596年の二十六聖人の殉教などを点綴する日本キリシタン史などをどう考えるか、である。つまりそれらはスペインと無関係であるはずもないのに、現在のネーミングだと、スペインとの交流が400年前に始まったと早とちりされるのでは、という危惧である。事実、今回の催しの日本側代表の挨拶文を読むと、あたかもこのとき初めて交流が始まったかのような書きぶりなのだ。
 いやイチャモンをつける気は無い。思わず深入りしそうなので、今晩はこの辺。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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或るこだわり への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生がモノディアロゴスを構想されたのは『切り通しの向こう側』の「モノダイアローグ」(1979年)だと思っていたのですが、最近『宗教と文学』の中の「1967年夏」でこんな文章を見つけました。

     「批評家になろうか、詩人になろうか、小説家になろうか、などと馬鹿げた堂々めぐりをしてきたものだ。そんな職種別はどうでもいいことである。要は、自分の内にあるものをもっとも適当な表現手段をもって表すことだ。人がそれを、詩と言おうが小説と言おうがエッセイととろうが、それはすべて後からのことである」

     先生の「こだわり」を私が特に感じるのは、私独自の切り口で解釈すると「自分の内にあるものをもっとも適当な表現手段をもって表す」モノディアロゴスのことのように私は思います。1967年という年は美子奥様と出会われる前の年でもあり、先生ご自身が将来のことを模索されていた人生の分岐点のようにも「1967年夏」を読んでいて私は感じました。

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