究極の二者択一

コメント欄で阿部さんが祝ってくださっているように、今日*美子は古希を迎えた。私くらいの年齢になると、誕生日を祝われても恥ずかしさが先に立つ、というより残り少ない日々のことが思い出されて、あまりめでたいとは思わないが、しかし美子の場合は掛け値なしに嬉しいし、有り難いと思う。
 いつものように夕食時に車椅子の美子と新棟の居間兼食堂に入っていくと、背後の衝立に頴美の字で「お誕生日おめでとう」の色紙が貼られてあり、テーブル上にはバースデー・ケーキが飾られていた。ケーキの上には小さなローソクが六本並んでいたが、頴美の説明によると、ケーキ屋さんで家族五人分のローソクを注文しようとしたら、愛がすかさず曾おばあちゃんの分も入れて六本だよと注意したらしい。そう、我が家ではばっぱさんはまだ生きている。
 おかげさまで美子は顔の色艶もよく、風邪も引かずに元気である。先日もクリニックのお医者さんに、血液検査の結果の説明や診察のあとで、今度は来春まで来なくてもいいですよ、と言われた。美子の場合、薬と言っても少しだけ高めの中性脂肪を抑えるためと利尿のための錠剤をそれぞれ毎日一個ずつ飲むだけ。糖尿とアレルギー、更に中性脂肪を抑えるために毎日四種類の薬を飲まなければならない私より健康というわけだ。
 さてその私の究極の願いは、一日四回、美子をベッドから車椅子、車椅子からベッドへと移動させるだけの体力というか腰の力(つまりその時私は小型起重機と化さなければならない)がこの先も続けてできますように、そして美子より一瞬でも長生きできますようにということである。要するに外目には私が美子を介護しているように見えようが、実は生きる活力を与えられ支えられているのは私の方なのだ。
 だから先日も、初めて我が家を訪れた数人の客人に向かって南相馬の現況を、つまり直接の放射能禍よりももっと深刻な精神的ストレス被害などについて説明しているうち、それでもなお被災地に踏みとどまる理由を聞かれて、変な喩えをしゃべっていた。つまりもし今ここに、認知症にならないまま今日まで健康に生きてきた美子と、認知症に罹ってすべての記憶を失い、意思表示も出来ず、さらには自力で体を動かすことも出来ないまま車椅子生活を余儀なくされている現実の美子と、さてどちら選びますか、との究極の選択を迫られたとしたら、即座に、何の迷いも無く今のままの美子を選ぶでしょう、と言ったのだ。
 これはなにも自分を英雄的な悲劇の主人公に見立ててのことではなく、ごくごく自然かつ当然の選択なのだ。つまり認知症を発症してから今日まで二人で歩んできたこれらの日々は何ものにも換えられない無上の宝だからである。世のすべての栄華と財宝と交換しようと言われたとしても、そんなものなど今のままの美子との日々と交換するに足るものとは決して思われないのだ。
 じゃ美子が認知症から癒えることを望まないのか、と訊かれれば、もちろん癒えて欲しいが、でもそのためには二人が過ごしてきたこの数年間の記憶がすべて失われるというのであれば、やはり今のままの美子を選ぶであろう。
 眠気が襲ってきたので少し、いやだいぶ支離滅裂なことを書いているかも知れないが、でも今晩はめでたく古希を迎えた美子への心からなるラブレターを久しぶりに書かせてもらった。美子はいま安らかな寝息を立てている。美子、明日からまた二人して、楽しく頑張ろう!

*投稿時間は12月9日午前1時28分となっている(母の誕生日は12月8日。息子追記)

約半世紀前に交わしたラブレターをテーマに菅祥久さんが作曲してくださった「嗚呼、八木沢峠」は、上の「オリジナル作品」で聴くことができます。なおそのラブレターを集めた『峠を越えて』に興味のある(?)方は、右の「呑空庵刊私家本のご案内」をクリックしてください。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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究極の二者択一 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     モノディアロゴスの中で「亭主元気で留守がいい」という言葉を美子奥様は理解出来ないと先生が書かれていたのを覚えてます。先生のお住まいは、バッパさんが教会の近くということで探され、今の所に決められた経緯もモノディアロゴスを通じて私は知っています。

     あれだけの大震災と原発事故に見まわれた福島県の中で、先生のお住まいが奇跡的に殆ど被害を受けられなかったことを、何故か私は、バッパさんと奥様の人知を超えた力(適切な言葉がわかりません)によるものではないかと感じています。先生が奥様と出会われてから45年、その年月(としつき)の重みとお二人の固い絆を先生の文章から私は感じました。

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