日本におけるスペイン研究の一時代

【お知らせ】
 NHKの鎌倉氏から嬉しいニュースが届きました。徐京植氏と鄭周河(チョン・ジュハ)氏が出演し、私と家族や西内さんも一部登場する二本の「こころの時代 私にとっての3:11」が総合チャンネルでアンコール放送されます。といってこのブログをご覧の皆さんはいつでも見たいときに上の「取材映像」で見れますが、お友達やご親戚の方にぜひお勧めください。ただ時間帯が深夜というより早朝に近いので、録画などでご覧ください。
 徐京植「フクシマを歩く」      3月13日(木)午前2時50分~3時50分
 鄭周河「奪われた野にも春は来るか」 3月14日(金)午前2時35分~3時35分

※そして以下の文章は今日書き上げた依頼原稿ですが、発表場所はスペインで、しかもスペイン語に翻訳されてですから、ここで先にご紹介しても誰からもクレームは来ないでしょう。お時間のあるときにでもお読みください。



日本におけるスペイン研究の一時代

 フェルナンド・シッド・ルカス氏からカベサス教授追悼集への執筆依頼があったときは、お名前だけは主に日本古典の訳業を通じて知ってはいたが、お亡くなりなっていたことさえ知らなかったので、最初はお断りしようと思った。ところがよく考えてみると、全く面識が無いと思っていたのは私の記憶違いで、実は講談社の翻訳賞選定会議でお会いしていたことを思い出したのである。あわててその時のパンフレットを取り出してみた。1996年のことである。ぱらぱらとページをめくっていくと、最後に、長い大きな座卓を挟んで12人ほどの出席者の写真があり、右手前の私のすぐ隣に座っておられるのがなんとカベサス教授ではないか。
 場所は確か目白の椿山(ちんざん)荘。五人の審査員のうちこの会議に出席したのは、カベサス教授の他に詩人のハビエル・ソログーレン氏、牛島信明氏に私の四人で、ノーベル文学賞受賞作家カミロ・ホセ・セラ氏は欠席(後日のマドリードでの受賞式には出席)。写真に写っていた他の8人は講談社側の人だったと思う。
 ともあれセラ氏を含めた審査員の顔ぶれを見て改めて気づいたのは、5人中、元イエズス会士が2人(カベサス教授と私)、そして審査の結果決まった受賞者フェルナンド・イスキエルド氏その人も元イエズス会士なので、六人中三人、つまり半数の人が元イエズス会士だったことだ。偶然とはいえ実に興味深い組み合わせである。そういえば一度、といってかなりの昔になるが、今は廃刊になった週刊誌「朝日ジャーナル」に日本におけるスペイン研究について、次のようなことを書いていた。

「ところでこのスペイン語圏諸国出身者の存在ということは、従来あまり指摘されてこなかったと思うが、他の外国研究と比べて大きな特色と言える。いま統計的な数字を用意していないが、スぺイン研究においてスぺイン語圏出身者が占める割合は、他の外国研究のそれと比べておそらく最大ではなかろうか。そして彼らのうちの大部分が、聖職者か、あるいはかつてはそうであった人たちである。これをわが国を初めて訪れたスぺイン人がイエズス会士フランシスコ・ザビエルであったことと考え合わせるとき、スぺイン文化のカトリック的要素がいかに甚大であるか、不思議な暗合をさえ感じる。彼らの宗教的信条に賛成するかしないかは別として、これがわがスぺイン学界が有する貴重な財産であることは否定できない。スぺイン本国では一般に反力トリックというより反イエズス会的とみなされているウナムーノやオルテガの紹介に、わが国ではイエズス会士が共訳者あるいは共同編集者として名を連ねているという事実は、考えてみれば実に稀有なというか面白い事実である。」(「われわれにとってスペインとは何か」、1975年3月14日号掲載)

 ということは、1975年当時から1996年までその事情にさして変化が無かったということであろう。しかしそれから18年経った今、状況はかなり違ってきている。つまり三人の元イエズス会士のうちカベサス教授が帰天されたことに示されているように、世代交代の波が押し寄せた。世代交代は世の常のことだが、わが国におけるスペイン研究においては大きな変化があった。つまりスペイン語圏出身者の数は総体的には変化無しだが、聖職者あるいは元聖職者の数の激減である。
 「日本イスパニヤ学会」の会員名簿を調べれば、会員中の聖職者の数を調べることができるかも知れないが、会員でなくなってから10年以上になるので調べようがない。ただ私の母校である上智大学や長らくそこの教師であった清泉女子大学の現在の教員紹介をネットで見るかぎり、学科専任教員のうち神父やシスターは一人もいないのではなかろうか。以前勤めていたころの清泉では、専任教員のうち半数はシスターだったし、上智も同じような割合だったと記憶している。
 こう言ったからといって現在の事態を残念に思っているわけでは決してないし、過ぎ去った過去をただただ懐かしがっているわけでもなく、あの時代が、以後は消えてしまった特徴を色濃く持っていた、つまりことの良し悪しは別にして(ちょっと変な表現だが)スペイン文化の特徴を忠実に反映していた時代だったということである。
 私が大学を卒業して修練院の門をくぐったのは、ちょうど第二バチカン公会議(1962~65年)の時代であった。カトリック教会にはそれまでなかったような自由と開放の春風が吹き、聖職者あるいは私のような卵までもがある種の精神的高揚感に満たされていた。それまでとは違った活動の可能性をいろいろと模索していた。私自身も修練を終えて哲学の勉強を始めたころ、聖イグナチオの自伝(共訳)を、それもカトリック系の出版社ではなく一般の出版社から出すことや、そのころ(66年)『沈黙』を発表した遠藤周作氏の講演会を上石神井の神学校で開催することに一役買ったりしていた。
 自由と解放の風に当たり過ぎて(?)私はそれからまもなく退会したが、カベサス教授はどうだったろう。確かその前に退会されていたのではなかったか。当時はスペインから毎年多数の神学生や神父が来日していたが、退会する人も大勢いたわけである。どちらにせよ、当時の神学院は入れ替わりが激しく、それだけ活気に満ちていたとも言えよう。
 私個人の退会の理由がどうであったか、など自分以外の誰にも興味がないことなので、先を続けたいが、カベサス教授の場合はどうであったかは知りたいと思う。追悼集なので、もしかして氏の退会にまつわる回顧談などが読めるのではないかと密かに期待している。
 さて話はとつぜん飛ぶが、昨年から今年にかけて日本・スペイン交流400周年が祝われている。私自身は「ホセ・マリア・シシリア 福島 冬の花」展への寄稿や関口照生氏の『支倉の道』という写真集に触れた文章を新聞に書くことでわずかながら参加してきた。これまで他にどのような記念行事が実施され、そしてこの先どんな祝われ方をするのかは知らないが、ただ私の知る範囲のことで言うと、実行委員の顔ぶれを始め、総体的に政治・経済の色合いが濃いような気がしないでもない。もっとはっきり言うと、文化交流史の側面、さらに正確に言うと両国の歴史的・文明論的側面の見直しがあまり無いような気がする。それについてはこれまでも何度か書いてきたが、上に述べてきたことにも関連するので、重複を恐れずにいくつか指摘しておきたい。
 まずスペイン・日本交流400周年は支倉常長の遣欧使節から数えてということだが、これだけを見るとあたかもそのとき初めてスペインと日本が交流を持ったように思われてしまうが、実際はもちろんこのときが初めてではない。誰もが知っているように、それより54年も前の1549年、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸したときがスペインと日本の最初の出会いである。厳密に言えば、彼はスペインというよりナバラ王国の人と言わなければならないのであろうが、当時の日本とて天下統一がなされていたわけではないので、このときを交流の始まりと考えた方がいい。
 それならザビエル来航から400年に当たる1949年には果たしてどのような迎え方がされたのだろうか。手元に適当な文献が無いが、私がうっすら記憶しているのは、ザビエルの右腕が日本に運ばれ観覧に供せられたこと、そして彼の書簡集が岩波文庫から出版されたことくらいか。どちらにせよ今回のように両国政府が前面に出てくることはなかったのではないか。
 それはともかく、先ほど言った文化史・文明論的な見直しとはどういうことか。私はまず両国の歴史的・文化的比較の尺度として、近代というものを想定したい。この場合の近代とは、時代区分としてのそれと言うより、近代そのものが持っている世界観・価値観を言う。難しい議論はともかく、私が思う近代の最大の特徴は理性(合理性)重視の姿勢である。つまり長らく人間社会を律してきた二大原理とも言うべき生と理性のうち大きく理性重視に傾いた世界観・価値観である。
 ところが新世界発見後いち早く近代国家の陣容を整えたスペインは、そうした近代の価値観に完全に軸足を乗せることはしなかった。その間隙を縫ってスペインに追いつき追い越していったのがイギリスやフランス、後にドイツであった。もともとスペイン史に暗いのでここでそのおさらいをするつもりは無いが、私流の表現を使えば、このとき近代の長子(el mayorazgo)たるスペインが廃嫡される(desheredado)という事態に立ち至ったのである。いや正しくは廃嫡されたのではなく、自らその位置を放棄したと言える。
 一方わが日本は約三百年という長い鎖国に入っていく。そして十九世紀後半アメリカの黒船襲来で長い冬眠から覚めてからは、そのアメリカやヨーロッパ列強(そのときスペインははるか後方にいた)の後を追いかけ追いつくための必死の努力を重ねて来た。そしてついには近代の最優秀の養子(el hijo más hábil de la Modernidad)となるに至ったわけだ。

 だから私としては、今回の東日本大震災に続いて起こった原発事故は、そうした歴史の、それも起こるべくして起こった一つの帰結と考えざるをえないのである。どういう天の配剤かは知らないが、その被災地に住んでいた私は、その奈落の底からいろいろなことに思いを馳せないわけにはいかなかった。その一部は “Fukushima Vivir el desastre” に書いたのでここでは繰り返さないが、そうした思いの枠組みというか背景には、私の長年の思索の元となったスペイン思想からの影響があったのは当然であろう。
 ともあれそこで私が考えた究極の真実は、今回の原発事故を単なる偶発事と考えるのではなく、その歴史的文脈において捉えなければならないということである。別言すれば、すべての事象を歴史すなわち物語の一環として捉えなければその真実の意味が分からないということであった。事実、震災以後、そのことを裏書きするように、とりわけ人と人の出会いがまるで物語の糸に操られてでもいるように、次々と繋がっていく不思議を味わった。この追悼集への寄稿も、元はといえば原発事故後に紡がれた糸の一つである。本当はこれまでだってそうした不思議な糸が張りめぐらされていたのだろうが、それを見る感覚機能が麻痺していたに違いない。
 つまりそれは、私たちが日ごろから効率性や数値にのみ目が行く近代的知性にあまりにも冒されてしまって、一つの事象が他のあらゆる事象といわば有機的に繋がっていることが分からなくなっているせいかも知れない。あの忌まわしい原発事故の真実を知るためには、これまで東北が置かれてきた状況、すなわち日本歴史が始まって以来、絶えざる収奪の対象であったという紛れも無い事実そして史実に今さらのように気づく必要があったのである。
 スペインと日本という二つの国の関係も、その最初の出会いから今日に至るまでの歴史すなわち物語、を再度編み直してみなければその真実が見えてこないのは当然であろう。最初の出会いからそれぞれが辿ってきた物語を互いに読み解くことによって、初めて交流年の意味が理解される。
 スペインと日本は、先ほど挙げた近代との関わり方においてのように、実に対照的な姿勢を取った国同士である。つまりそれぞれがおのれの本然の姿を見るための格好の「合わせ鏡」であると言える。400周年の真の意義を悟るためには、以上のような比較文化史・比較文明論的な視点が必要な所以(ゆえん)もそこにある。
 ザベリオの時代から、そして現代まで、スペインと日本は不思議な糸で結ばれ互いに惹かれ合ってきた。青年アントニオ・カベサスも間違いなくその玄妙な糸に導かれて日本にやって来たに違いない。聖職の道からは離れても、なお生涯にわたって日本への愛を貫いたのも、この不思議な糸に導かれてとしか考えられない。カベサス教授とはちょうど反対の場所から、私もまたスペインに惹かれてここまで歩いてきたように。

      
故アントニオ・カベサス教授の遺徳を偲びつつ

             東日本大震災三周年を間近に控えて
                                佐々木 孝

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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