生成の場に立ち会う

昨日は断想などと格好をつけてみたが、実際は妄想あるいは雑念だろう。今日もいくつかそうした雑念を拾ってみる。
 大震災・原発事故のあと、「心の重心」あるいは「奈落の底」という言葉をよく使った。当時得た覚醒の形をそれなりに表現しているが、今日、いつもの私家本作りの最中、ふと思い出したことがある。それは以前からものの見方・捉え方において最重要な視点として「生成の場に(あるいは状態に)in statu nascendi」立ち会う、と言っていたのをすっかり忘れていたことに気づいたのだ。重心とか奈落とかいう言葉は、なるほど真理発見のための言うなれば空間的深さを表現するだけでなく、ある程度その時間的・歴史的広がりをも表現している。たとえば東アジアやオキナワの受難への共振や共感のように。しかしそこにもう一つ、「生成の場に」立ち会うという視点を加えることによって、さらに現実認識が深まるのでは、と思うのだ。
 それは平たく言えば「原点に還る」ということだが、もっと平たく言えば、寅さんの啖呵売の口上「物の始まりが一ならば国の始まりが大和の国、 島の始まりが 淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、助平の始まりがこのオジサンっての。」に言うように、すべてのものには始まりがあり、時に、とりわけ重要な瞬間に、その原初の状態に戻ってみることが必要だということである。もちろん現実には無理だが、そこは想像力を働かせて。
 元の言葉はラテン語だから、どこかスコラ哲学の教科書にでも載っていたのかも知れない。私は確かオルテガの著作から引き出したと思う。いずれにせよ、何かを考えるときの視点として大切にしてきたものである。
 たとえば大きな問題として「国」を考える場合、現在の「国民国家」というものは、別称「近代国家」と言われるように、まさに近代に入って初めて生まれた「くに」の形であり、あり方であるということがとかく忘れられている。「くに」のあり方として太初からそうであり、これから先も未来永劫にそうであるかのような錯覚というか固定観念に囚われている時にクーデターあるいは革命のようなものがあったことはあったが、それはおおむね時の政権を転覆させることであったり、自らが権力の座に取って代わろうという部分的・限定的な運動であって、「国民国家」そのものの根本からの改革でも問題提起でも否定でもなかった。
 かくしてそれは今や金属疲労を起こし、形骸化甚だしく、いまも世界のいたるところでくすぶっている国境問題にしろ、あるいはシリアその他で現に何万と言う死者、それも兵士だけでなく一般市民を巻き込んでの戦乱となっているのも、要するに国民国家という狭い枠組みそのものが形骸化どころか、人々の最大不幸の原因となっているからこそに間違いない。
 つまり「生成の状態」にあっては、無秩序で法的な保護を受けていない人々の群れを、王様のような国家元首の下に統一し、通貨を定め、教育制度を整え、道路網を敷いいたりすることによって、限定的ではあれ一定の法的平等と経済的繁栄をもたらした功績は大きいのだが、しかし現在それはもはや安定や平和に資するどころか、逆に大きな不幸をもたらす元凶となっているわけだ。このあたりのことは法制史や国際政治史にも暗いので、立論の仕方に少々遺漏や不備があろうが、そこは勘弁していただいて先を続ける。
 身近な例を挙げれば、たとえば尖閣諸島や竹島をめぐる領土問題である。今は固有の領土なんて言うが、もともとは、つまり地球創生のときまで遡らなくとも、人間の生が営まれ始めたときから或る時点までは、日本の領土か中国あるいは韓国の領土かなどとはまったく関係なく、その周辺に住む人々の生活の糧を与えてくれる漁場であったり嵐のときの避難場所であったり、ともかくありがたい場所であったものが、いつの間にか当事者双方の了解が成立しないままに国境線が引かれ、ために爾来絶えざる紛争の場と成り下がって今や一触即発の危険な場所になってしまったのである。
 この場でも以前書いたことではあるが、仏独国境のアルザス・ロレーヌ地方が長いあいだ両国紛争の激震地であったのに、いまや双方の懸命かつ賢明な歩みよりの結果、むしろ両国友好の窓口にさえなっているというのに、愚かな政治家たちの(どちらの?とは敢えて言うまい)ただただ旧弊な領土観のおかげで、紛争解決の糸口からいよいよ遠のいている現実は、政治家のオツムの程度がどれだけ愚鈍を極めたものか、嘆かわしい以上に腹立たしい限りである。身丈に合わなくなった旧来の国家観からの脱却の試みは、すでにEUなどにおいてなされ始めているが、それについては今は触れない。
 ところで今日の新聞には、「竹島の日」制定とかの記念日にまたもや政府高官が出席し演説している写真が載っている。これでは解決に近づくどころか、紛争をさらにエスカレートさせるだけだ。
 先の都知事選に、おらが福島県の出身者であることが顔から火が出るほど恥ずかしい(でもないか、そんなこと知ったこっちゃないが)候補者がいた。彼はまた時代を逆行するようなとんでもない国家観の持ち主であるが、彼のようなにわか政治家がお馬鹿な若者たちの票を集めたといって調子こいている姿を見るにつけ、日本という「くに」がこうしていよいよ頑迷の度を深めていくのかと、暗澹たる気持ちにさせられる。
 かつての賢明な政治家たちが決めたように、あの島々の領有権問題を棚上げして、ともかく共同管理のものとして(それが世の終わりまで続けばそれも良し)、対立する双方の国の若者たちが互いの国の歴史・文化を知り合う白亜の(でなくてもいいけど台風襲来にも負けない堅牢な)合宿所をあの島々に建設したらどうか、それがどれだけ建設的で互いの利益にもなる妙案では、とここで書いたこともあるが、今のところそれは夢のまた夢であろう。
 でも憂い顔のこのロートル・サムライは、五月に或る国の或るところで開催予定の或る研究集会へのメッセージの中に、なんとかその妙案を忍び込ませたいなどと密かに企んでいる。
 いつもの通り尻切れトンボのこの雑念披露に、もう一つ忘れていたことがある。それは「生成の状態に」立ち会うということが、私にとって思いがけないユーモア発生の仕掛けでもあるということである。つまりどのような権力者・有力者であろうと、生成の状態、つまり生まれたばかりの状態では、まことに頑是無い赤子であり、オシメにウンコもオシッコもしていた光景を想像するだけで、嵩に懸った権力者の姿を等身大にする効果がある。等身大と言ったが、もちろんそれなりに馬鹿丸出しの姿である。
 つまり人間はすべて等身大であるべきだが、天麩羅の衣の様に余計な飾り物を、つまり勲章や肩書きで膨れ上がった権力者は、等身大にされることによってその愚かさが際立つという按配になる。実はもっとスカトロジカルな喩えを用意していたが、やっぱそれはちょっと下品なのでここで止めておこう。お後がよろしいようで。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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