あゝごせやける!

まさかそんな人はいないと思うが、もし日に何回かこのブログにアクセスした人がいたとしたら、その人は気づいたかも知れない。つまり前回のブログの冒頭、「事務局長を名乗る男」という表現のその「男」が数時間かのあいだ二度ほど変化したことに。つまり「男」はちょっと乱暴な言い方かなと思って「人」に換えてみたものの、つらつら事の経過を辿ってみて、改めて怒りがこみ上げてきて、最初のとおり「男」に戻したというわけだ。
 それにしてもこのところ立て続けに不愉快なことが起こる。大きなことで言えば、オバマ訪日の馬鹿騒ぎ。一国の大統領が訪ねてきたんだから当然といえば当然かも知れない。厳戒警備のため都内の交通渋滞が起こり、地方にも宅急便や郵便の遅配があっても仕方がないといえばそうかも知れない。しかしテレビ画面で、感想を求められた若いサラリーマン風の男が、「いやいいじゃないですか」とニコニコ顔で答えていたことになぜかひっかかる。少し渋い顔で「やはり迷惑ですね」くらいの反応がまともじゃないだろうか。
 中曽根元首相がどこかの山小屋(彼の別荘?)でちゃんちゃんこ姿で、あれっ誰でしたっけあのときの大統領?、を迎えたときも茶番劇だと思ったが、今回も銀座の寿司屋さんで会食というのもまっこと茶番劇そのもの。いやお客さんだから寿司屋で迎えたって別にいいんですよ。しかしそれを馬鹿丁寧にテレビカメラや記者が追いまわすの図、ボク笑っちゃいます。おまけにティーピーピーだかピーピーピーだか知らないけれど(いやそのくらい知ってます)、ワサビや醤油のかげん次第で大事な交渉の匙かげんが決まる、いや少なくともそういう報道のされ方をされる、ということが何とも腹が立ちますねえ。いやもちろん事務方の事前折衝あるいは事後交渉で大筋は決まるわけでしょうが、言いたいのはそういう「やらせ」で事が運ぶこと自体にゴセヤケルということ。固唾を呑んで交渉を見守っている生産農家にしてみればザケンナってところでしょう。
 ついでにもう一つ。詳しく報道を追っていたわけではないが、勤務先の学校の入学式をすっぽかして我が子の入学式に出たという教員が三人もいたという事件。名前が公表されていないのは賢明な処置だが、元教員の私からすればそれを許した校長も校長、願い出た教師も教師。教職は聖職なり、なんて考えてはいないけれど(いや他人様の目はどうであれ、教師本人には少なくともそれくらいの気構えは持ってて欲しい)、先日の誤報かい?いや吾峰会のときにも言ったことだけれど、いまや教員はサラリーマンというのが本人たちにも世間様にも常識らしい。アンケート調査で半数近くが教員の肩を持っているというのがいちばんショックだった。それも原発容認と同じ割合なのが気になる。
 要するに、世の中おかしくなってきた、すこし難しく言えば、パブリックなものへの意識というか感受性が磨り減ってきているなあ、というのが率直な感想。社会学者ではないからこの辺のところをどう表現すればいいのか分からないが、私の言うパブリック(=公的)なものとはスペイン語で言うエスタタル(estatal=国家的・体制的)、たぶん英語ではステート(state)、とは似て非なるものである。つまり時の政権に対して非を鳴らしてもパブリックであることに反しない、あるいは逆に、時の政権に対して従順であることが時にはパブリックなるものに反することにもなるということである。
 たとえばこのごろ護憲関係の催しが公的な施設から締め出されるということが頻繁に起こっているらしい。これなどもパブリックであることを穿き違えて(おっとパンツじゃないから履き違えてだわ)ステートなものに擦り寄っている。吾峰会も政治的中正を履き違えて、というより政権の意向に擦り寄って、国のエネルギー政策に無批判そして盲従しているわけだ。
 ではあの三人の教員の態度は? これも要するに制度(ステート)的なものへの都合のいい甘えと言えるかも知れない。あるいは個人の自由というものを履き違えているのかも。それを内心変だと思いながらも説得できなかった校長も、制度的なもの、つまり就業規定の適用範囲内だったら個人的(これこそ人間的)な説得の労や責任をひたすら避ける。たぶん今ごろ当人たちは予想もしなかった展開に青くなっていることであろう。
 要するに個人の自由とかプライバシーがどういうものか、何を主張し、何を守るべきか、厳しく自らに問うことをしないままに「流れ」に乗ってきたそのツケが回ってきたということだ。
 個人情報保護条例も自ら考えることもせずにただただ機械的に守っているだけである。大学などで20年ほど前(?)から学生名簿が作られなくなったことについて既に何度かその愚かしさを指摘してきたが、吾峰会に限らず、あらゆる組織において会員相互の交流に水を差すどころか大きな障害になっていることに気づきもしない。隣組組織にも同じ問題が起こっているはずだ。「隣は何をする人ぞ」を制度的に助長しているようなもの。もう何度も言ってきたことだが、悪知恵を働かす奴にとって、いまの世の中、個人情報など名簿が無くともいっくらでも集められる。隣同士や生徒同士の情報がないことで、むしろ社会や学校のいたるところに「暗部」が作られ、そこが「いじめ」や犯罪の温床になっていることに気づかないお粗末な想像力の持ち主に怒りさえ覚える。

 もう止―めた、本当に腹が立ってキモチ悪くなってきた。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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あゝごせやける! への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生の文章を拝読していて、敗残兵に我が子を差し置いて西瓜を振舞われたばっぱさんのことを思い出しました。当然、敗残兵からの見返りはないことを承知での行動を何故されたのか。自分の子供の入学式に出席するために、自分の勤めている学校の入学式をすっぽかした教員とは全く対照的だと思いました。利他よりも利己を選択することは、確かに悪いことではありませんし、人情的にも理解できます。しかし、表面的にはそれがベストな選択だとしても、心の部分ではどうなのかなと思うと、利己より利他の方が遥かに心が安らかであることを人間なら誰もが気づくのではないでしょうか。

     私は自然を眺めるのが好きで、十年ぐらい前にモンゴルのテレルジという景勝地に一人で出かけたことがありました。十月でしたがモンゴルに着いたその日に雪が降っていたのを覚えています。澄み切った新鮮な空気、川面に映る小魚を眺め、自然を満喫していると、自然というのは常に人間のために利他に徹してくれていることを感じました。その時、ふと思ったのは、大自然の摂理というのは常に利他的であり、全ては繋がって共生して存在しているのではないのか。であれば、人間も自然の一部であり、利他に生きることが大自然の摂理に合っているんだと。ヒルティが『幸福論』の中でこんなことを言ってます。

     「教養の考えられる最高の段階は、あらゆる善なるもの、高貴なものへの、もはやいかなる混濁によってもかき乱されず、また乱されえないような、完全な献身である。かような状態は、頭で考えられはするが、しかしおそらく僅かな人しか到達しえなかった人間の魂の境地である。そこに達すれば、もはや感覚的なものや、移ろいゆくものとの戦いはなくなり、精神の法則に対する自然の抵抗もまったく消え去っている」

     ばっぱさんが我が子を差し置いて敗残兵に西瓜を振舞われたことの意味は、ばっぱさんが常に聖書を耽読されていたこと、表面的な幸福ではなく魂の平安を常に大切にされていたからではないかと私は感じます。そして、利己心というのは人間の妄想に過ぎないということを教育の場で子供たちに教えることが、今の日本には必要だと私は思います。
     

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