互いに脈絡のない三つのお話


「に」と「を」の違い

 先日、拙宅を訪ねてくださったソウル大統一平和研究所のキム教授が話の途中とつぜん、『原発禍を生きる』のタイトルは朝鮮語では「原電(原発のこと)の災難の中で生きる」となっているが、原題もそうですか、と聞かれた。
 実は論創社の編集者案では「原発禍に生きる」であったのを、「原発禍を生きる」に換えてもらった経緯がある。「に」と「を」ではたいして違いがないようだが私にとってはそうではない。つまり「を」とすることで、原発禍に対して受身ではなく積極的に立ち向かっていこうとの意志をこめたつもりなのだ。
 改めて韓国版のタイトルを見てみると『원전의 재앙 속에서 살다』となっており、でも私はハングルが読めないので、これを自動翻訳させてみると『原子力発電所の災難の中で生きる』となり、ついでに香港版の『在核電的禍水中活著』も翻訳させてみると「原子力発電の災禍の中で生きる」となった。つまり双方とも「に」の意味になっている。(ちなみにスペイン語版は、“Vivir el desastre” で、日本語版と同じく「災禍を生きる」である。)
 それでは「原発禍に(の中で)生きる」と「原発禍を生きる」はどう違うのか? 先ほど、原発禍に対して受身ではなく積極的に立ち向かっていこうとの意志をこめた、と言ったがそれはどういう意味? 防災服を着て除染最前線に立つ、ということ? もちろんそうではない。言うなれば、一見受身に見えようとも、内実は激しい抵抗の姿勢。当たって砕けろ、ではなく、砕けて当たれ。つまり肉を切らせて骨を切る、の捨て身の殺法。
 日本語にも「青春を生きる」というように対象がプラスの価値を持つものに使われることはあるが、そもそも災禍のようなマイナス価値のものに果たして使えるのかどうか。いや使えるとしても、どういう意味で?
 実はこれまでもいろんな説明をしてきたが、そう改めて聞かれると返答に窮する。土砂降りの雨の中、それを凌ぐだけのわずか空間でひたすら晴れるのを待っている猫なり犬の姿に昔からなぜか心引かれてきた。あるいはレマルク『西部戦線異状なし』の一場面だが、敵の砲弾が雨あられと飛んでくる塹壕の中で、ふと見やった先に健気に咲いている一輪の花の姿に訳もなく感動する自分がいる。
 そんなことを言えば、妻の認知症に対しても全く同じ対応をしてきた。つまり治癒してくれる見込みのある医師あるいは特効薬、あるいは奇跡の水でもなんでいい、そんなものがあれば、いますぐにでも飛んで行くが、そんなものなどないと観念して共に日々一生懸命生きていくことに徹する…やめよう、説明すればするほど誤解されそうだ。


殺人機械に成り切るということ

 時おり昼飯時にBSで世界のニュースを見る。ウクライナなど紛争地帯の映像が流れる。ロケット砲や自動小銃を構えた兵士たちの強張った表情が映る。いつ敵弾が飛んで来るかも分からないのだから当然だろう。
 一方、紛争地帯でない国、たとえば日本でも、オキナワの米軍基地や本州各地の自衛隊の訓練の映像が流れることもある。これまでだったらなんとも思わなかったこうした光景が、最近では異様なものに思えてならない。要するに殺人機械となるための血のにじむような日々の訓練。地図を見ながら戦略を練る高級将校たち、あるいは集団的自衛権行使の具体例をシミュレーションするどこかの国の宰相たちならいざ知らず、戦線に駆り出される兵士たちは、余計なことを考えてはいけない、ただひたすらモノに成りきること、つまり殺人機械にならなければならないのだ。
 標的になる敵兵も自分と同じ人間、愛する家族も、戦争がなければかなえたい夢も持つ一人の若者と考えれば、まずまともな人間なら引き金を引くことに躊躇するであろう。でもそれだとまずい。立派な(!)兵士ではないのだ。
 自衛のため? それはお前の理屈だ! 相手も同じ理由で、つまり自衛のため、愛する者たちのため、お国のために戦っている。だから何かがおかしい、何かが狂っている! どこかにカラクリがある、お国のためなんて簡単に信じるな! 
 今年も来年卒業する高校生に自衛隊の勧誘パンフレットが送られているそうだ。このご時勢、たぶん来春の入隊希望者は漸減ひょっとして激減するだろう。現在の自衛隊を維持するためには、いろんな理屈をつけて徴兵制度が画策されるかも知れない。いや、いやに手回しのいいシンゾーちゃん、すでにその青写真を作っているかも知れない。


源太貉(むじな)

 久しぶりに汗をかいた。いや暑さからくる汗ではなく尊い労働の汗である。旧棟二階廊下隅に積んであった6、7枚の細長い板(下の書庫をフローリングにするときに出た廃材)を使って、一階便所前(現在は私専用になっている)の壁に本棚を作ったのである。
 2002年に八王子から越してきた当時は、空いている壁や欄間に書棚を作りまくったものだが、最近は、特に震災後は大工仕事からすっかり遠ざかっていた。時おりそうした書棚を見て、よくもあんなエネルギーがあったものよ、と感心することはあっても、これから先死ぬまで大工仕事をすることなどあるまい、と思っていた。
 ところが大工仕事再開はひょんなことから始まった。それというのは、昆虫が巣穴を自分の唾液で塗り固める(すみません汚い比喩で)ように、これまで溜めた本を壁という壁にしつらえた書棚に収納して、いわば小宇宙を作ってから死にたい、と思い始めたのはいつごろからだったか。蔵書家とも言えないわずかな数の蔵書だが、それさえ読み終えたのはわずか、それを私の死後だれかが迷わぬようにするためのチチェローネ(道案内)を書いてから死のうと思っている。そのためにはこれ以上本を増やしてはまずいのだが。
 ところが先日来、小次郎や武蔵をもう一度、いや全部じゃなくて印象深い場面なりとも読み直したいと思ったのだが、すでにそれらは鹿島の仮設のよっちゃんに進呈して手元にはない。それでは光文社の文庫版ではなく、たとえば河出書房の「国民の文学」に収録されているものなら、もしかして例の奇跡の一円で買えるかも、とアマゾンを調べました。するとあったんですわ一円で。送料250円也を加算しても安すぎる。こうなれば小次郎、武蔵ばかりか、名前を聞いてはいるが実物を読んだことも見たこともない国民文学も俄然読みたくなった(と言うより買いたくなった)。
 もうたまりません、止まりません。河出の「国民文学」だけでなく、その六年後の昭和49年から出た筑摩書房の「昭和国民文学全集」にも手を伸ばしました。買いも買ったり、前者19冊、後者11冊、全部で30冊も買いました。あのころ(バブルの始まり?)出版社は競って装丁の立派な全集を企画したんですなー。特に河出のは、赤い布表紙で背中に黒地に金文字、カラーの挿絵入りという豪華本。それが1円で買えるんです。届いたものを見ると、殆どは40年近くも倉庫に積まれたまま、読まれた形跡なし。つまり作り過ぎたんでしょうな。
 どんな作家のものを注文したかというと、河出のものは、中里介山、白井喬二、大佛次郎、野村胡堂、子母沢寛、尾崎士郎、川口松太郎、中山義秀、富田常雄、山手樹一郎、今東光、山岡荘八、村上元三、井上靖、松本清張、五味康祐、南條範夫、水上勉、司馬遼太郎。そして筑摩のものは、大佛次郎、直木三十五、海音寺潮五郎、山本周五郎、村上元三、尾崎士郎、石川達三、獅子文六、坂口安吾、井上靖、柴田錬三郎である。要するにその殆どは、この私めが(生意気にも)これまで大衆文学作家・流行作家として省みなかった(?)人たちである。
 わが国だけの現象かどうか、あるいは私の周囲だけの選り好みかどうか分からないが、いわゆる純文学だけを読んできたのはやはりおかしなことだと、やっと気づいたわけだ。全部読む気もその時間もないが、でもこれから時々つまみ読みをするつもり。たとえば昨日読んだ村上元三の短編「貉と奥平久兵衛」はとても面白かった。貉と狸の混血・源太貉とお豆狸の悲恋と、伊予松山藩のお家騒動を絡めた不思議な物語だが、人間たちのバカ騒ぎに巻き込まれた源太貉がなんと哀れでいじらしいことか。ゲイジュツ的ブンガクの独り善がりはなく、読む人の胸にすとんと落ちてくる。
 竹内好の「国民文学論」が収録されているかも知れない、と同年(1954年)に出版された岩波講座文学の3巻にわたる「国民文学」もあの奇跡の1円で買えるというのでさっそく注文した。まさに病膏肓(こうこう)に入(い)る、である。


【息子追記】阿部修義様と立野正裕先生(明治大学名誉教授)からいただいたお言葉をそれぞれ転載する(2021年3月18日記)。

阿部修義様
『原発禍を生きる』。私なら、おそらく、「原発禍に生きる」としたでしょう。そう容易に「を」を使えないと思います。そこには確固たる不動の信念、哲学があります。

立野正裕先生
「一見受身に見えようとも、内実は激しい抵抗の姿勢。当たって砕けろ、ではなく、砕けて当たれ。つまり肉を切らせて骨を切る、の捨て身の殺法。」
モノディアロゴスそのものです。この「殺法」を会得しなくては。
「標的になる敵兵も自分と同じ人間、愛する家族も、戦争がなければかなえたい夢も持つ一人の若者と考えれば、まずまともな人間なら引き金を引くことに躊躇するであろう。でもそれだとまずい。立派な(!)兵士ではないのだ。
 自衛のため? それはお前の理屈だ! 相手も同じ理由で、つまり自衛のため、愛する者たちのため、お国のために戦っている。だから何かがおかしい、何かが狂っている! どこかにカラクリがある、お国のためなんて簡単に信じるな! 」
『西部戦線異状なし』では兵士たちが交わす会話のなかにこうありますね。
なんでおれたちが憎くもないのに鉄砲で殺し合う必要があるんだ。あっちの皇帝とこっちの皇帝が殴り合いでもやって勝負をつけたらそれでいいじゃないか。
これがまともな人間の感覚というものでしょう。しかしそれゆえ、原作はドイツでは焚書され、アメリカで作られた映画も検閲でずたずたにされました。
ドイツの大義名分も、アメリカのそれも、狂っていてまともでない点では、なんら変わりがなかったわけです。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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