父にこんな思いをさせてしまった親不孝に、後悔と自責の悲しみにやりきれない。
昨夜はひさしぶりに心安らかに床に就くことが出来た。ちょうど6ヶ月ぶりに仙台からの便りが届いたからだ。そのせいか今朝は普段より早めに目が覚めた。目覚めの前、美子を連れて、それも行き先は韓国を、皆で家族旅行をしている夢を見ていたようだ。カーテンを開けると外は暖かな陽光が眼に眩しくいくらい。さっそくゴミ袋に四日分のオシメなどを入れてゴミ置き場に持って行く。水分を含んでいるので結構な重さになる。この時間通学する子どもたちと行き会う。今年4月から仙台白百合に通い始めた孫娘のセーラー服姿をちらと思い浮かべた。
ところがゴミ袋を置いて帰ろうと数歩あるいたときに、どうしたはずみか、足がもつれ、あっと言う間に前のめりに転んでしまったのだ。一瞬固いコンクリートの地面が顔に近づいたが、辛うじて両手を前に出した。そのとき思ったのは、どうして? という驚きだった。そして次に、あゝこういう年齢になったんだ、と言う苦ーい、そして悔しい思いだった。
家の中で怪我する高齢者のことをよく耳にするが、その歳になったということなんだろう。痛さより驚きと、そして悔しさが先立った。家に帰って調べてみると、左の手のひらに血が滲んでいた。そして左腕をまくってみると、3センチくらいの擦過傷があり、同じく血が滲んでいる。これからは気をつけるんですよ、という警鐘なんだろう。
もうずいぶん昔の八王子時代、いちど夜道で乗っていたバイクが転倒したとき、かなりの打撲傷を負ったが病院にも行かずに自然治癒に任せたことがある。これからはたぶんそうは行かないだろう。老いていく、という冷厳な現実を謙虚に受け入れるしかない。むかし柔道をやったので受け身の心得は少しあるが、今朝の一事のように、これからは過信禁物だ。
暖かな春陽の下の貞房さん老年学の第一課でした。♬♫
【息子追記】死後父の文章を冒頭の私の言葉添えてFacebookで取り上げたところ、立野先生から温かな励ましのお言葉いただいた。以下にご紹介いたします(2021年2月22日記)。
そのときの愕然となさったお気持ち、いよいよ理解できる年齢にわたしもなりました。人間という存在の物理的生理的側面と、心理的精神的側面との不均衡は、人生という航路にかならず待ち構えている隘路のようなもので、にわかに波の高低差が甚だしくなる瞬間のようです。どのようにしてその高低を日常として自分に受け入れさせられるか。先生もしばらく乱高下の状態に苛立たしい思いをされたのではないかと想像されます。
お怪我、お見舞い申し上げます。
私も今朝、代々木公園を散歩中、新緑の美しさに眼を奪われていて、足元が疎かになり切り株につまずき、おっとと~~状態!
モノの本によれば75歳過ぎあたりから体や精神機能の衰えが目立ってきて、自分の人生を考える上で最もままならない時期だそうです。
食も細くなり、体重は4キロ減。心細い限りです。
佐々木先生の精力的なブログを拝見し、何時も励まされています。
美子奥様の内助の功もお見事!私も84歳の主人の存在が支えです。
過不足のない神の摂理を感じている昨今でございます。
メイーブルー、大過無くお過ごしになられますように!
中野恵子さま
コメントありがとうございます。あの転倒のショックから素早く立ち直りました。萎縮はしませんが、以前よりは注意するようになりました。体重減とのこと、羨ましいです。私は増えはしませんが、重いからだを持て余しています。
ご主人が支えとのこと、私には痛いほどよく分かります。お互い、その支えをバネに楽しく頑張りましょう。
佐々木兄い殿
もう、みんな同じですよ。とにかく油断は禁物!
でも怖がって外に出ないわけにもいかないし。
くれぐれも、注意・注意 ですね。