亡びと通風


漱石の『三四郎』の初めの方で、東京に向かう汽車の中で、広田先生は三四郎に向かって一言「亡びるね」と言います。私はこの科白が大好きです。1945年8月15日、日本は第一回目の滅亡を経験しました。今や、日本は安倍のお蔭で2回目の滅亡を味わおうとしています。日本人は懲りない人種なんですね。私も82歳の老躯に鞭打ってデモに参加するつもりです。4人の孫が兵役にとられないように爺もできるだけの抵抗をしようと思っています。それにしても、小説の上でではありますが、広田先生は偉いですね。この「亡びるね」という科白を吐いたのは、日本国民が日露戦争の勝利に酔いしれていた時ですから、「非国民」ということでなぐり殺されても不思議ではないのです。広田先生が偉いというよりも、自分の書いた小説の中で、広田先生にそういう科白を吐かせた漱石が偉いんでしょうね

いささか長い引用をしてしまったが、これは今日受取ったH先生*のお手紙のほんの一部で、安倍政治に対する私の批判に賛意を示された後に続く文章である。先生はいつもの通り、献呈した『モノディアロゴス』の最新版にも長文の批評を書いてくださった。最後から最後まできっちりお読みになった上でのご講評には頭が下がる。他人の書いたものをそこまで丁寧に読むことをしない自分は、いただいた高得点の喜びよりむしろ恥ずかしさを覚える。
 ただ今回のお手紙によって、先生が漱石を愛読なさっているだけでなく、漱石から多大の影響を受けておられることが初めて分かった。そういえば先生の文体、漱石のそれに少し似ている。
 実は数日前、大学時代の同級生からの手紙で、彼が今回の安保法制に賛成していることを知って相当落ち込んでいたのだ。もちろん数字から見れば、日本人のかなりの人が未だに安倍政治を評価しているわけだが、自分の知っている人の中にも賛同者がいたことにショックを受けたのだ。
 しかしH先生のお手紙で一気に立ち直った。ついでに、『行人』の場合もそうであったが、実は『三四郎』もこれまでしっかり読んでなかったことに改めて気付かされた。それで廊下の書棚に探しに行ったのだが、そこで以前報告したように岩波の新書版漱石全集の第十一巻までは紙魚に食い千切られて廃棄処分にしたことを思い出した。でも幸い、ばっぱさんが買っていた日本リーダーズダイジェスト社の復刻初版本があったことを思い出し、さっそくそれを読み始めたのである。
 小説は三四郎が九州の田舎から東京の大学に入るため上京するその汽車の中の描写から始まる。『行人』の場合は実に辛気臭い描写が続いていささか辟易したが、この『三四郎』は実に明るく、時に笑い出したくなるような滑稽さに満ちている。でも最近ことさら記憶力が減退しているからか読んだ記憶がまったく残っていない。
 車中で知り合った男が三四郎に向かって「亡びるね」という科白を吐くところまで読み進んだが、その段階ではまだ彼が広田という名前であることは出てこない。いずれ東京のどこかで再会するのだろう。このように見事に記憶が欠落している。いや待てよ、もしかして今回本当に初めて読むのかも知れないぞ。いずれにせよ、漱石の小説がこんなにも面白いものだったのか、と改めて感心させられている。たぶん最後まで読むことになろう。
 本題からはずれそうなので大急ぎで話を戻すと、H先生のおっしゃるとおり、いま日本は亡びの道を突き進もうとしているように思えてならない。無投票で総裁に再選された安倍やその取り巻き連中が腕を突き上げて勝利を祝っている写真などを見るといよいよその感を深くする。どうか広田先生の予言が当たりませんように。
 しかしこの逆境から抜け出すにはどうすればいい?

 話は突然変わる。先週の金曜、私と美子の血液検査の結果を聞きにIクリニックに行った。美子の方は栄養状態も良く、貧血その他の心配もなく、おまけにこれまで呑んでいたコレストロールをコントロールする錠剤はもう飲まなくていいでしょうと言われた。つまり美子はこれから利尿剤一錠だけでいいのだ。
 ところが私の方は、糖尿病の数値は落ち着いているが通風の気が出ているのでこれまでの5種類の薬に加えて通風の薬を呑んでください、ということになった。
 えっ通風!聞いてないよっ! いや今までその名前を聞いたことはあるが、それがどんなものであるかなど全く知らない病気だ。年寄りが罹る病気……どこか痛いところはありませんか、と聞かれたが、今まで特に痛さなど感じなかったが、いったいどこが痛むの? 手足の先? それとも膝とか肘?
 何とか(聞きそびれた)の数値が薬を呑まなければならないちょうどその始まりの数値だから、あまり心配しないでしっかり薬を呑んでください、と言われたのがほんの数日前のこと。
 日本の暗い未来と通風。いいや負けませんぞ、美子が元気だし、H先生のように私にも三人の孫がいる。この子たちのためにも絶対に負けてなんぞいられません。ガンバルぞーっ!!!


* 【息子追記】H先生とは、父の敬愛した言語学の泰斗、故・原誠先生のことである。お名前を出して差し支えないだろう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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亡びと通風 への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     『虹の橋』を久しぶりに読み返していましたら、「心の中の写真集」の中でこんな文章を見つけました。

     「八十年という月日は長いようで短いものです。日記を書かない怠け者なので、過去の記録は何も残っていませんが、心の中に浮かんでくる心象風景は昨日のことのようだから不思議です。(中略)小学校に入る前、母方の祖父が買ってくれた振り袖を着て、父方の祖父と祖母に連れられ、横浜の叔母の家に行った時のある日、今では舞台でしか見られない人力車に乗せられ、海岸沿いの山下公園に行きました。ふと後ろから子供の目から見て三十歳くらいのおじさんが、つかつかと私のそばに寄って来てバナナを二つくれました。その人はサッサと行ってしまいました。今でも心に残っている一コマです。」

     こんな細やかなことが、ばっぱさんの生涯を通じて大きな心の糧になっているんだと私は驚きと、しかし、人間とはそういうものなのかも知れないというぼんやりとした確証のようなものを感じ取りました。

     私たちは生まれた時から、決して平等でも公正でもない人間のエゴで塗り固められている世界に生きることを強いられています。偶然に恵まれた環境に生まれた人もいれば、厳しい環境で生活を強いられる人もいます。先生がモノディアロゴスの中で引用された宮澤賢治の言葉を思い出しました。

     「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

     この言葉の意味を考えると、今、安倍さんが成立させようとしている安保法案がいかに危険なものかがわかります。安倍さんが総理として君臨していられるのも、この不正と不平等の世界だからです。この世界はそう簡単に変えられるものではありませんが、利他の心は必ず人へと伝わり無限の広がりになっていくことをばっぱさんの幼少期の心象風景の中から私は感じます。そして、それと同じように人間のエゴが作り上げた現政権から生まれるものは「亡び」なのかも知れません。

  2. 阿部修義 のコメント:

     『虹の橋』の中の文章で大切なところを書き忘れてしまいました。後半部分を訂正させていただきます。

     「ふと後ろから子供の目から見て三十歳くらいのおじさんが、つかつかと私のそばに寄って来てバナナを二つくれました。私にとっては見知らぬ人から思いがけない好意をいただいたのでびっくりしましたが、その人はサッサと行ってしまいました。今でも心に残っている一コマです。」

     訂正しながら安保法案で揺れている日本社会で、ばっぱさんの言われた「新しい生き方」という言葉を思い出しました。
     

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