シールズの戦後70年宣言文

【息子追記】父にもう少し時間があったら、この如何様リベラルもどきグループの欺瞞に気づいたろう。このガキどもは今いずこ?

鄭周河さんの通訳・翻訳でお世話になった柳裕子さんから、シールズ(自由と民主主義のための学生緊急行動)の宣言文の存在を教えてもらった。出来上がったばかりのその宣言文を読んで、前回の京大有志の会の声明書を読んだときと同じような感動を覚えた。有志の会の場合はむしろ若い教員たちが主導しているようだが、シールズの場合は全員が学生らしく、それだけ若さに満ちた文章となっている。
 戦後70年を期して安倍総理の談話、そして先日は北京での抗日戦勝パレードが行われた。前者については既に論評したが、後者は時代錯誤も甚だしい実に荒唐無稽な戦力の誇示以外の何ものでもない。さすがに日本政府は国連事務総長の列席に疑問を呈する形で間接的に批判したようだが、しかし現政府にその資格は無いと言わなければならない。尖閣諸島問題など中国や韓国のナショナリズムを刺激してきたのは現政権寄りの前の都知事を嚆矢として現政権そのものだからだ。
 ともかく、そうしたゆがんで間違った戦後70年記念の中で、今回のシールズ宣言文は実に爽やかで真の平和志向の意志が漲ったものとなっている。自国の過去の過ちを率直に認めたうえでの世界とりわけ東アジアの平和構築への願いは、偏狭な国粋主義者以外のすべての人の共感を呼ぶであろう。
 とりわけ最後近くの決意表明は、従来から「自分の目で見、自分の頭で考え、そして自分の心で感じる」ことが教育の根幹にあらねばならぬと主張してきた私の考えに重なり、深い感動を覚える。
 京大有志の会の声明書は数十ヶ国語に翻訳されて世界に拡散したが、今回の宣言文も各国語に翻訳して欲しい。特に政府間の関係が最悪の状況にある中国や韓国の若者たちと未来志向の真の友好に道を開くための最良最善のきっかけとなるであろう。前回同様、スペイン語とロシア語は私の友人たちに働きかけてなんとか実現できるのではないかと思っている。
 解説はこれくらいにして、さっそく彼らの宣言を以下にコピーする。



自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs) 戦後70年宣言文
                        2015年9月2日


 アジア・太平洋戦争が終わりを告げてから、70年の歳月が流れました。私たちは、そのうちの20年程度しか生きていません。戦争の時代を生きていない私たちには、知らないこと、知りえないことが数多くあります。しかしだからといって、過去と向き合うことを諦めません。私たちは、過去を真摯に引き受け、平和な未来をつくります。
 満州事変に端を発する先の戦争において、日本は近隣諸国をはじめとする多くの国や地域を侵略し、その一部を植民地として支配しました。多くの人々に被害を及ぼし、尊厳を損い、命を奪いました。私たちは、この国が二度と同じ過ちを繰り返さないために、その過去と真剣に向き合い、自らの責任を果たしていきます。
 先の戦争においては、民間人を含む多くの日本人も犠牲になりました。地上戦の舞台となった沖縄では、旧日本軍の強制による集団自決が行われました。広島・長崎には、原子爆弾が投下されました。数多くの兵士が、望まない戦闘に加担させられ、命を落としました。他にも多くの人々が、空襲や飢え、病気などで命を失いました。私たちは、決してこの悲劇を忘れるわけにはいきません。
 過去の戦争や植民地支配が生み出した不幸は、今日まで続いています。被爆の後遺症に苦しむ人々や、尊厳を傷つけられたままの元従軍慰安婦の方々をはじめ、多くの人々の身体的・精神的な傷は、そう簡単に癒えるものではありません。さらに、被爆者の子孫や在日朝鮮・韓国人に対する差別や偏見などはいまなお残っています。また沖縄の過度な基地負担も、先の戦争が生み出した問題です。私たちは、戦争によって生じた数々の苦痛と無関係ではありません。
 日本は戦後70年間、直接的には戦闘行為に参加せず、曲がりなりにも平和国家としての歩みを続けてきました。その歩みは、多くの先人たちが、先の戦争をふまえてつくられた日本国憲法の精神、とりわけ平和主義の理念を持ちつづけ、幾多の努力を重ねてきた結果です。だからこそ私たちは、平和国家であることのありがたみを噛みしめ、次の世代に受け継いでいこうと思います。
 しかしながら、平和主義の理念は、イラク戦争への実質的な協力などによって危機に瀕してきました。そしていま、日本国憲法に違反する安全保障関連法案が、強行採決されようとしています。政府は国会での議論も十分にせず、最低限の説明責任も果たしていません。自衛隊が提供した弾薬が、誰かの命を奪うこと、そして、自衛隊員やこの国に生きる人々、海外に暮らす日本人の命が、危険にさらされることを許すわけにはいきません。
 私たちは、尊い命を軽んじる態度を、歴史から学ぼうとしない不誠実な姿勢を、目先の利益に捉われる偏狭な考えを、立憲主義や民主主義の軽視を、権力による情報統制を、「積極的平和主義」という偽りの平和を、決して認めません。私たちは、二度と同じ過ちを繰り返さないために、自由と民主主義を守っていきます。
 私たちは、戦後70年という節目にあたって、平和の尊さをあらためて強く胸に刻みます。私たちは、戦争の記憶と多くの犠牲のうえにあるこの国に生きるものとして、武力による問題解決に反対します。核の恐ろしさを目の当たりにした被爆国に生きるものとして、核兵器の廃絶を求めます。私たちは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」、ナショナリズムにとらわれず、世界中の仲間たちと協力し、「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを」目指します。
 私たちは、自分の頭で思考し、判断し、行動していきます。それを不断に続けていきます。偏見や差別を許さず、思想・信条・宗教・文化・人種・民族・国籍・性別や性的指向性・世代・障害の有無などの様々な違いを超えて、他者を尊重し、共に手をとりあって生きる道を切り開いていきます。
 平和な未来をつくるために、過去と真摯に向き合い、努力していくことをここに誓って、戦後70年にあたっての宣言とします。

               自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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