Mr. Lonely

珍しく横文字を表題にしました。ボビー・ヴィントンの歌のタイトルです。実は歌詞の内容はよく分からないのですが、その哀調に満ちた甘い高音になぜか惹かれます。美子に聞かせるためのCD、現在は「映画音楽・フェイバリット・コレクション」ですが、中の一曲が昔から耳朶にまとわりつくような超甘いこの曲なのです。歌ってるのは誰か、急に知りたくなってネットで探したところ、声と同じに甘いマスクのボビーに出会いました。
 ポーランド系アメリカ人で、ペリー・コモと同じペンシルベニア州キャノンズバーグ出身。1964年に歌いヒットした「ミスター・ロンリー」は、日本のラジオ番組『JET STREAM』のテーマ曲に採用されており、その後レターメン(The Lettermen)にもカバーされてヒットした、とありました。あゝジェットストリーム、懐かしいですね、まだ続いているのでしょうか。
 そして、むかしどこかで繰り返し聞いた記憶のある「ブルーベルベット」も彼が歌っていたことに初めて気づきました。ついでにその曲が同名の映画の主題曲であったことも。 
 さあ止まりません、さっそくその映画について調べました。「1950年代を髣髴とさせる、のどかな田舎町に潜む欲望と暴力が渦巻く暗部を、伝統的なミステリーの手法に則って暴き出しつつ、美しい芝生とその下で蠢く昆虫という導入部に象徴されるような善と悪の葛藤が描かれる。不法侵入や覗き見、性的虐待といった倒錯的行為が物語の重要な役割を果たしており、特に性的虐待の描写については公開と同時に論争を巻き起こしたが、結果的には興行的成功を収めることとなった。」と出ていました。
 性的倒錯などという刺激の強いテーマは特に見たいとは思いませんが、でも人間存在の暗部に時に思いをいたすことも時に必要ではないか、と思うことはあります。先日はまったフロスト警部物も全作品を貫いている主題の一つは、やはり悲しい現実であるそうした人間の暗部に対する凝視であったことも思い起こされます。
 「監督のデヴィッド・キース・リンチ(1946- )は、アメリカ合衆国モンタナ州出身の映画監督、脚本家、プロデューサー、ミュージシャン、アーティスト、俳優で、低予算映画『ブルーベルベット』で有名となり、「カルトの帝王」と呼ばれることもある」そうです。彼が作った映画は一本も見てませんが、しかし1980年の監督・脚本作品『エレファント・マン』は美子がとても興味を持っていたもので、たぶん映画は見る機会に恵まれなかったと思いますが、Peter Ford, Michael Howell の The True History of The Elephant Man( Allison and Busby, 1980)が書庫にあります。
 善悪・美醜・快不快などの対立・葛藤は人間存在には避けて通れない問題ですが、私たちはとかく「臭いものには蓋」式に、敢えて見ないで無視しようとします。しかしそれでは本当の和解・理解・共存にいたることなく、かえって対立・憎悪を倍加させ、人間たちを更に深い悲しみと絶望の淵に追い込むことにもなりかねません。もっと大きな問題、病・老・死の場合と同じようにです。つまり仏教で言うように「生」そのものが四苦の一つであり、キリスト教の言う「原罪」あるいはカルデロン・デ・ラ・バルカの言うように「生まれ出る」ことそれ自体が罪(災難)であり、人間はその原事実を避けるのではなく引き受けることによってのみ、そこから脱却できるのですから。
 そう考えると、美子が昔から大久保清のような犯罪者やエレファントマンのような異形の人間に興味を持っていたのは、彼女がそうした問題に強い関心があったからかも知れません。当時の私はそうした美子の好み(?)を冷やかしてましたが、もしかすると、いやたぶん、人間理解において当時の(?)美子は私の上を行っていたのかも。その美子は、いまや天使のようにあどけ無い顔をしてぬいぐるみの豆クッキーちゃんに添い寝をしてもらって終日うとうとしてます。そして昨日、入浴サービスのとき、「お早うございます」というヘルパーさんの声に「お早う」とはっきり応えたそうで、そんな僥倖にも恵まれない私に悔しい思いをさせています。
 ともあれ、これも何かの縁、昨日アマゾンでDVDの『ブルーベルベット』を例の破壊された価格(1円)で見つけて、さっそく注文したところです、はい。

※ ちなみに両曲ともYou tube で聞けます。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください