妄想と溜息の中で

相変わらず寸暇を惜しんで豆本歌詞集を作り続けている。現在まで直接手渡したり郵送したりしたもの220冊、手元に125冊、つまり累計345冊作ったことになる。楽しい作業なんてものではなく、半ば勤行めいたものになってきた。以前、私の前世は下町の櫛職人あたりか、などと言ったことがあるが、楽しくはないが、かと言って苦しくもない。
 器用ですね、と言ってくれる人がいるが、自分では決して器用だとは思っていない。事実、私の指など短くごつごつとしていて、決してピアニストのように長くしなやかではない。でも、もしかすると、職人さんの指も見た目はごつごつしているのかも。つまり武骨な指を統御する繊細な精神が大事なのだ(てかっー!)。
 てなこと考えながら、せっせと作っている。しばらく男物(?)の布表紙が続いたので、昨日からは女物を増やすだけでなく少しグレードアップした。つまり百円ショップから縮緬のカットクロスを何種類か買ってきたのだ。でもよく見ると「縮緬風」(中国製)と書いてあった。
 そもそも縮緬そのもののことが分からないので辞書で調べてみると、「縦糸に撚(よ)りのない生糸、横糸に強く撚りをかけた生糸を用いて平織りに製織したのち、ソーダを混ぜた石鹸液で煮沸して縮ませ、精錬したもの」とある。するとダイソーかどこかの日本人が入れ知恵して製造過程のどこかを端折ったのかも。でも素人目にはまったく違いが分からない。もともと「カニ風味」と本物を見分けられない私だから、どっちでもいいが。
 先ほど勤行などと言ったが、平和を求めて祈りながら作っているわけでもない。でも様々な妄想が去来する。先日もある学会誌に求められて書いた原稿の校正ゲラを見ながら、不意に或る言葉を訂正したくなった。つまり私の「母校」(大学)を「出身校」と言い換えたいと思ったのだ。
 引き金になったのは、過日、脱(反)原発を求めてスペイン語圏の友人宛てに書いた駄文を、かつての同級生に拡散を頼んだところ、こういった趣旨の文章を回覧することそれ自体に反対との返事をくれた人がいた。そのとき遅蒔きながら気づいたのは、同級生の多くはいわゆる一流企業に就職し、高度成長路線を突っ走ったいわゆる企業戦士だったということである。当然経済重視で、脱原発なんぞでせっかくの経済繁栄政策の足を引っ張ってもらいたくないのだろう。
 つまりかつての出身校もいつの間にか国家に有能な人材育成機関に成り下がっていたということである。気づくのが遅かったわけだそして大昔、学生運動華やかしころ、出身校にもその波が押し寄せ、ある時、若い神父や神学生たちが集まって、いかにしてこの危機を乗り越えるべきか議論したことを思い出した。聖フランシスコ・ザベリオの遺志を引き継いだからには、何としても大学を存続させねば、という議論が出たところで、そのころはただの哲学生(つまりまだ神学を学んでいない)だったこの若造が、おもむろにこう切り出して座を白けさせた。

「でもザベリオが現在生きていたらどう考えるでしょうか。彼は自分たちの理想遂行を曲げてまで大学の存続を望んだでしょうか。つまり大学がペル・オムニア・セクラ・セクロールム(世々にいたるまで永遠に)存続してほしいなどとは考えていなかったはずです」。

 大学にしろ、国家にしろ、そして他ならぬ宗教団体にしろ、いつの間にか組織を守ることに急のあまり、それ本来の道から外れる危険が常に存する。ここで大学論、国家論、宗教組織論を展開するつもりもないし、その能力も持ち合わせていない。しかしそんな私でも、今の大学が、国家が、そして宗教団体がまさに原点に立ち返って、おのれのあるべき姿を真剣に考えなければならない時だくらいは見えている。
 わが豆本『平和菌の歌』作りのバック・ミュージックによく聴くのは、パブロ・カザルス弾くところの『鳥の歌』である。彼の故郷カタルーニャでは小鳥たちがパス(平和)、パスと鳴く、というあの曲を聴くと涙が止まらなくなる。
 先ほど母校という言葉を出したが、ラテン語ではアルマ・マーテルと言う。アルマ(alma)はアルムス(almus)「滋養を与える」という形容詞でマーテル(母)にかかる。つまり立派に育つようにと子供たちを慈しむ母、という意味だが、前述したようにどうもその母は子供たちではなく国家という組織に忠実な存在へと変質したのでは、と怖れる。
 そんなとき『鳥の歌』同様、平和を希求するマドレデウス(神の母の意)という名のポルトガルのボーカル・ユニットの歌を聴くと心が安らぐ。とくにボーカル担当のテレーザ・サルゲイロの澄んだ歌声はまさにこの世のものとは思えない祈りの声に聞き倣せる。彼らを知ったのは、ヴィム・ヴェンダースの『リスボン物語』という美しい映画からだったが、カタルーニャ民謡の『鳥の歌』同様、私には平和讃歌の歌に思われる。
 何? 平和なんぞ願うだけではやってこない? あったりきよー、でもなーそこの小賢しい兄ちゃん、おっとおじさんか、まず願うことだよ。あんた心から平和願ったことあんのかい?
 という具合に、いろいろ妄想やら架空口論などしながら豆本作ってます。きれいなバック・ミュージックなどについて言いましたが、それより頻繁に聞こえてくるのは、おのれが発するどでかい溜息です。以前溜息の効用について書いたことがありますが、最近の溜息はもし他人様が聞いたらぶったまげるくらい大きく激しいものです。実はここ一週間ばかり、少し風邪気味だったのか咳が止まらず、おまけに体がかったるかったのですが、ひっきりなしに図太い声で溜息を吐きだしたおかげで、風邪の方がびっくりしたのか、いつの間にか退散したようです。幸い美子は私の溜息なんぞ一切気にしないようですので、それはもう派手に大きな声で溜息ついてます、はい。

※ 今聴いているのは『陽光と静寂』と題されているCDだが、原語では O espíritu da paz、つまり直訳すれば「平和の精神」であり、私なら「平和を求める心」とでも訳したいところである。


【息子追記(2022年8月25日)】
恒例行事となったザビエル祭の創設で深くかかわったのも父だ。その父の発言と重なる大学に対する考えを持っていらした恩師(私にとっての)が、故・大谷啓治先生(元学長)である。先生も、大学の永続など考えていらっしゃらなかった。大学が理想追求を見失うなら、その時、大学は生命を終える時だという趣旨のご発言を、学長時代、機関紙でされていたのに深い感銘を受け、今も印象に残っている。先生の訃報に接したのは、父の死の2か月前だった。しかしその時、父はすでに体調を崩していて、先生の帰天を伝えることができなかった。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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妄想と溜息の中で への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     文章を拝読してカール・ヒルティもこんなことを言っています。

     「平和会議は、あまりに大規模で、かえって働きがにぶい。英独間の経済競争、日米間の野心や深いすきまは、どんな平和会議をもってしても除かれない。平和はまず、平和を愛し、かつ平和であり得る個々人の間で成立して、次第に国民の間に広がっていくのでなければ達成されない。」

     先生が、「平和の精神」を敢えて「平和を求める心」と訳されたのも、そういう意味が含まれているように私は感じます。

     確かに理想と現実には大きく深い溝があって、原発再稼働に伴う立地住民の大きな犠牲と危険との引き換えに都市部の人たちの安定した生活が保障されているわけで、沖縄基地問題も同様だと思います。しかし、リスクを背負わされた側に自分がいるとしたら、つまり、米軍基地や原発が東京に作られたらどう思うかを考える人は少ないのが現実だと思います。almaを検索していましたらスペイン語で「魂」という意味があることを知り、先生が、「潰えた理想主義(2003年4月6日)」でこう言われていたのを思い出しました。

     「理想と現実が噛み合わないのは当たり前、だれも理想がそのまま実現するなどと考える馬鹿はいない。しかし利潤追求の企業ならいざ知らず、まさに教育という場で理想が常に思い起こされ、追及されなかったら、いったいどこで理想が生き長らえようか。(中略)教育の理想主義は(政治の理想主義も)純度が高くなければその存在理由を失うのである。」

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