六つ子の父親

この歳になって六つ子の父親になるなんて夢にも思わなかった。いやいや、のっけから驚かしてすみません、六つ子といっても例の「声まねわんちゃん」のことです。最初は孫の愛に、次いで美子に、そしてそのあまりの可愛いさに川口の孫たちにも上げることにしました。
 美子は声を出さないので美子の声はまねしませんが、食事のときなど私が出す言葉を可愛く繰り返してくれるので、ちょっと不思議そうな顔をします。そして心持ち食事も進むようなんです。
 さあ、こうなるとこのわんちゃんを喜んで迎えてくれそうな人を探し始めました。他人の家に貰われていくので、ご迷惑が及ぶかも知れないので(だれかがカドワカスかも知れませんので)お名前は控えますが、東京に住む101歳の可愛いおばあちゃんの顔が浮かびました。早速アマゾンに依頼。そして喜んでくれましたぞ。
 そうこうしているうち、あの病気のように元気だった99歳の健次郎叔父が先日脳梗塞で倒れ、入院したとの連絡を従妹の史子さんから受けました。麻痺が残るかも知れないが、いまリハビリ中の叔父にはぴったりの相手です。五番目のワンちゃん緊急出動です。叔父さんも喜んでくれたそうです。
 このワンちゃんのいいところは、その場にいるだれをも笑いの渦に巻き込むことです。しゃべらない時も、そのつぶらな瞳でじっと見つめられると、思わず抱きしめたくなります。小さいので抱きしめるのは無理で、両手でそのあどけない顔と頭をはさんであげたくなります。
 じゃ六つ子の六番目は? これまでは子供と病人、そしておばあちゃんだけでしたが、今度は少し若い、といってもこの私よりは年上ですが、東京の老婦人のところに貰われていきました。まだお元気ですが、日中はお一人なので、話し相手になったり愚痴を聞いたりしてくれるこのわんちゃんが役立つはずと思い、おことわりしないで先に送ってしまったのです。でもありがたいことに喜んでくれました。
 さあ、これで六つ子の話はおしまい。でもおしまいになるかどうか自信ありません、また喜んでくれそうな人が思い浮かぶかも。ともかく南相馬、川口、帯広、東京と別れ別れに暮らしてますが、それぞれの家庭で喜びと慰めを与えて欲しい、これが六つ子の父親の切なる願いです、はい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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