燃ゆる思い・熱き願い

日付が変わるちょっと前、とうとう豆本歌詞集が千冊を超えた。正確に言えば千一冊になった。別に千一夜にかけたわけではない。目標はあくまで千羽鶴もしくは弁慶の千本刀であった。
 ときおり馬鹿らしくなったが、やめる気はなかった。半分以上は意地である。大方の人はそんな私の姿を見て、というより実際に豆本を見て、なんとまあ奇特な人よ、大して効果もないものに手間暇かけて、と思っていたに違いない。
 しかし不思議なもので、半ば意地になって作り続けているうちに、これはこれなりに意味のあることだ、と思えてきた。たぶん御百度参りをする人や、千羽鶴を折る人も、初めは半信半疑で始めた自分の行為が、途中から確信に変わったに違いない。つまり一見無意味で無駄な行為と思われるものでも、繰り返すことで次第に効験が信じられるようになってくるということ。
 わが「平和菌の歌」も、だから途中から「平和祈願」のようなものになってきた。手前味噌になるが、昨今の馬鹿らしい世情・政情に対する柔らかだが強烈な「駄目出し」がある。大きいことで言えば、北朝鮮の虚仮威し(コケオドシ)、下品極まりない花札、もといトランプ、外目はいいとこの坊ちゃんだが中身のない安部総理…極めつけはこのところ話題沸騰の、はっきり言えば下衆の極みの舛添都知事、などに対する精一杯の「ノー!」が唄われている。
 最後の都知事のことだが、たまたま彼の共同記者会見をテレビで見た。様々な疑惑を指摘され、「そのうちセイサしてお答えします」と言っていたその会見の場でのあの醜い、セコい答弁の数々。自分では頭の切れる人間と自負していたらしい男の、痛ましいまでの自己正当化。「セイサ」とか「キビ」というごまかし言葉。一昔前のオウム真理教の「ああ言えば上祐」顔負けの言い逃れ。たぶん記者会見に臨む前は、用意周到な回答例を考えつくし、絶対の自信をもって会見場に来たのであろう。
 おそらく彼はまだ、自分が衆目の場で恥を晒したとの自覚はないかも知れない。ムヒカ元大統領の爪の垢でも煎じて呑ませたい。いや呑んでも彼には効き目はないだろう。すべてを理屈で切り抜けてきた男の軌道修正などどだい無理な話だ。私ゃ都民じゃないから知ったこっちゃないが、でもあんな男を知事に選んだ都民もいい面の皮だ。民主主義は構成員が愚かだと、当然のことに衆愚政治に堕落する。
 と、ここまで書けばお分かりだろう。こういう嘆かわしい社会や国を匡すには、息の長い話だがじっくり、めげずに、執拗に、機会あろうが無かろうが、場所を選ばず、「平和菌」を散布していくしかない。「しかない?」、そう少なくとも周囲1キロ四方の世界に蟄居する私にとっては、と言い換えてもいいが、でも自由に動き回れる人にとっても、本質的には「それしかない」かも知れない。つまり社会が、国が、まともになっていくには、理屈やスローガンではなく、人格の中心部から静かに、じんわりと広がっていく「思い」しかないからだ。宗教用語を使えば「祈り」ということになろうが、その祈りとて、ただ祈祷書の字面をなぞってるだけではなんの効験もない。
 要するに「燃ゆる思い」、「熱き願い」こそが世界変革の基本だということ。心から平和を願い現状変革を求めること、同時に、コケオドシや道化芝居を見抜き、相手に聞こえようが聞こえまいが、執拗に「ノー!」を連発し、時に野次り倒すこと。
 そのための祈祷書、赤一色ではなく色とりどりの布表紙の「毛沢東語録」が我が「平和菌の歌」なのだ。さあ皆さん、平和菌散布にご協力ください。足りなくなればいくらでも作りますからご遠慮なく。お代はいりませんが、1冊だと82円、2冊では92円、5冊では150円、10冊だと250円の返信用切手を同封して、下記住所まで。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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燃ゆる思い・熱き願い への3件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     日本の中枢に人物不在ということなんでしょうが、昭和56年だったと思いますが、仕事で世田谷区の瀬田というところに前年に亡くなられた大平正芳さんの奥様にお会いする用があって伺いましたが、凛とした質素で知的な方、眼鏡をかけられていたのを思い出して、大平さんは一国のトップとしての風格があったと、そんな感慨に耽っていました。

     選挙で国民が決めた人が国の方向を打ち出し、それに国民が従うということなんですが、選ばれた人が人物でなければ私たちの生活も台無しにされてしまう、選挙というのは毎月ないわけですし、国の方針に自分が意思表示できる唯一のものですから今夏の参院選は非常に大切だと思います。最近のマスメディアは政権寄りの報道の仕方が顕著ですから、それに騙されないように先生がいつも言われるように、自分の眼で見て、自分の頭で考え、自分の心で感じるという確固とした信念(「燃ゆる思い」、「熱き願い」)のもとで一票を投じたいと思ってます。

  2. 佐々木あずさ のコメント:

    「民主主義は構成員が愚かだと、当然のことに衆愚政治に堕落する」
    政治の堕落を嘆くとき、やはり、構成員の一人一人の在り方が問われているのだと思うことがスタート地点だと思いました。いつも、示唆をいただくモノディアロゴス。一人で、「あずさよ、お前はどうなんだ」と自分の心に語りかけ、小さな脳味噌で、グルグルと思考し、スッキリ前を向く。そんなプロセスの原動力がモノディアロゴスです。感謝!

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    佐々木あずささん
     初めまして。一度に三つも書き込みしてくださり、ありがとうございます。実は一昨日から昨日にかけて、5,6回くらい、それも一度に五つくらい書き込みをするブログ荒らしがいましたので、初め三つも並んだあなたのお名前にドキリとし、恐る恐る開いてもみて、安心し、そして大喜びでした。
     十勝にお住まいの方ですか。私も満州から引き揚げてきた小一から内地(と向うでは言いますよね)に移住した小五の秋まで、生まれ故郷の帯広で育ったので、私の季節感のベースは十勝のそれのままです。春が遅い代わりに梅雨のない十勝の自然が無性に懐かしくなるときがあります。
     でも今年は天候不順とか、農作物に影響しなければいいですね。
     どうぞこれからもよろしく。

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