人生の些事

いま目の前に『宮崎駿対談・鼎談集』というかなり分厚い文庫本がある。しかしそんな題名の本など市販されていない。実はこれ、4冊の文庫本を今夕あっという間に合本に仕上げたものだ。発行順から言うと、『時代の風音(堀田善衛・司馬遼太郎と鼎談)』(朝日文芸文庫、1997年)、『虫眼とアニ眼(養老孟司と対談)』(新潮文庫、2008年)、『腰抜け愛国談義(半藤一利と対談)』(文春ジブリ文庫、2013年)、『風の帰る場所』(文春ジブリ文庫、2013年)。最後のものは渋谷陽一によるインタビューだが、ほとんど対談に近い内容になっている。
 これら4冊の背をボンドで固定し、表紙を硬紙で補強し、さらにそれを布でくるみ、最後に背中に古い革を張り、新たに背文字を付けたのだから、これはもうこの世に一つしかない豪華本である。久しぶりの古本蘇生術である。
 でも今ごろなぜ宮崎駿? 実は彼のアニメーションを見たこともなかったし、ましてや彼の本など読んだこともなかったのだが、ひょんなことから彼の発言を読んでみたくなったのである。きっかけは、ある人の批評文をネットで読んだことである。
 長い説明になるが、ここまで来たからには仕方がない、続けてみよう。ここで何度か報告してきたように、現在オキナワに住むハビエルさんが私の作品集をスペイン語に訳している最中なのだが、完成の暁にはぜひその解説文を書きたいと名乗りを挙げた奇特な人がいる。マドリード在住のフェルナンド・シッド・ルカスさんである。その彼が宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』のスペイン語訳(サトリ出版社)を論評している文章の中で、宮沢はさしずめ現代の宮崎だ、と言っていた。はてミヤザキとはそも何者? 急いでネットで調べた。最初は宮崎摩耶とかいうちょっと怪し気なアニメーターが出てきて、いやなんぼなんでも賢治とは関係なさそうだ。そしてその時やっと宮崎駿の名が浮かんだのである。
 なるほど宮沢賢治はさしずめ現代の宮崎駿か、と感心しているうち、この宮崎駿の発言が私の考えに近いように思われたことが過去何回かあったのをついでに思い出し、それではここらで彼の本を読んでみようという気になったのである。こうしてアマゾンから4冊の文庫本が手ごろな値段で手元に届いた。考えてみれば、対談相手はいずれも私と気が合いそうな作家・学者たち、それならいっそのこと4冊を束にしてやれと合本にしたわけだ。
 ところで肝心のフェルナンド氏はどんな人? 実は何度かメール交換をしてはいるが、彼がどんな人か良くは知らなかった。最後のメールによると、来月の末あたりに来日し、私のところにも泊りがけで会いに来てくれるということで、慌ててネットで調べたところである。そこにはこんな風に彼の紹介がなされていた。

Fernando Cid Lucas

カセレス出身 1979年生まれ。 バジャドリッド大学で19世紀の英国・フランスの紀行文における日本のイメージの受容についての調査グループの調査員をつとめている。日本文化に関する書籍を約10冊ほど執筆、編集しており、Studi Ispanici, Revista de la Universidad de Antioquía o Japan Spotlight 等の著名な雑誌にも100以上の記事を提供。スペイン、ドイツ、ポルトガル、アイルランドの大学で行われている100以上の講演や学会での発表経験があり、現在は17世紀に日本に赴任したエストレマドゥラ出身のフランシスコ会修道士、Pedro de Burguillos の年代記の校訂版に取り組んでいる。

 ところでいま準備中の作品集は、大昔『青銅時代』という小川国夫さんたちの同人誌に発表した7つほどの短編、『原発禍を生きる』以後に書かれた十ほどのモノディアロゴス、あとがき代わりにソウル大統一平和研究所宛てのメッセージ「東日本大震災・原発事故を被災して」、そして付録として平和菌をめぐるエッセイや新聞記事、著者の下手なスペイン語そのままの「スペイン語圏の友人たちへ」の書簡など、そしてなんと最後の最後に例のWithenewsの記事を写真入りで掲載しようというもの。
 フェルナンドさんにも書いたことだが、この作品集、ちょっと見にはびっくり箱みたいにいろんなものが入っているが、しかし要は様々な試練(原発禍もその一つ)に耐えて生きる一人の男の自伝、そして最終的には(?)スペイン文化に対する真摯なオマージュと考えてほしいのだ(ちょっと欲張り過ぎか?)
 さて今夜も、いくつかの偶然が織りなした話題に終始したが、わが人生もこの終盤にきて、このような偶然の連なりを運命の糸と心得て、そうした些事を一つひとつ大切にしていきたい、と改めて思っているところである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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人生の些事 への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     宮崎駿の作品をまともに観たことのない私が、コメントを書くのもおこがましいと思って遠慮していたんですが、先生の著書の中で堀田善衛のことにふれられた文章があり、堀田氏がこんなことを言われています。

     「私はやはりここに、老いてもいなければ若くもない、等身大の人間を見る思いがする。」(『新たな人間学を目指して』「堀田善衛『ゴヤ』新潮社」)
     そして、先生が、こう言われています。

     「ゴヤの中には、現代絵画の革新性を先取りする現代人が存在すると同時に、原始人が、もっと正確に言えば人祖アダムが存在する。前述した<断絶の連続>、<自己の生を破壊しての生>という、スペインそれ自体の本質が、このゴヤの中に具体的な姿を取って立ち現れる。ゴヤにはふつう言う意味での成熟はありえない。言うなれば、むしろ初源からの不断の生成である。ゴヤの前に生は絶えざる課題として立ちはだかる。」

     ユーチューブで宮崎氏の引退記者会見を見て、報道関係の質問者が全作品を通じて、根源にあるものは何なのかの問いに対して、宮崎氏はこう言われていました。

     「この世は生きるに値するものだ。」

     昨今の世界情勢、日本国内の政治、経済など人間の欲望が蠢く社会の中で、どの方向に足を踏み出して良いのか分からず暗闇の中でもがき苦しんでいる私たち今を生きている者たちに、素直に等身大で生きれば良いんだと米良美一氏が歌う「もののけ姫」の歌詞(宮崎駿作詞)を聴きながらそんなことを感じました。

     悲しみと怒りにひそむ
     まことの心を知るは
     森の精 もののけ達だけ

     

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