何ともはや

昔々の或る夏(いつだったか調べるのもカッタルイのでそのまま)車を借りて家族四人でスペイン周遊旅行をしたとき*、セビリヤで選んだレンタカー、フォード・フィエスタの色を美子の大好きな色にした。カナリヤ・イエローだ。直接彼女に聞けなくなったのは残念だが、今じゃ大嫌いになっているはず。なぜって? あのトランプの髮を連想するからさ。
 それにしてもまるで漫画だ。イスラム圏からの旅客を無差別に追い返したり、メキシコとの国境線をすべて壁で防御するなど、史上もっとも下品な大統領のすることなすことはすべて狂っている。
 宗教や国の違いで人間を差別するのは、すでにどこかの国の指導者も警告しているように、かえってテロリスタに好餌を与えるようなものだ。決してそんなことを望んでいるわけではないが、テロの頻発を恐れる。
 対メキシコ問題であっても、アメリカ西海岸の地名を見てみれば一目瞭然のように、アリゾナ、エル・パソ、コロラド、サン・アントニオ、サン・フランシスコ、ラス・ベガス……ええい! 面倒なので省略するが、要するにすべてスペイン語。だってもともとメキシコ領であったものを奪ったり金で買ったりしたんだから。メキシコ人が他人の土地とは思わず、つい越えたくもならあさ。
 何ならいま手元にある電子辞書を引いてみようか。

アメリカ・メキシコ戦争(1846-1848年)

 米国は国境紛争を利用し、メキシコを挑発して開戦。米国の軍事的勝利によりメキシコはテキサスを放棄、ニューメキシコとカリフォルニアを1,500万ドルで譲渡した。これによりアラスカを除く米国の大陸領土はほぼ完成した。 

 アメリカの良識ある(まだあるの?)人が言ってるように、もともとが移民国家であるばかりか、むかし流行った西部劇映画を見ても分かるように、先住民たるインディアン(これもスペインの征服者たちがインドと勘違いしてつけた名称だ)を殺戮したり、せいぜい居留地に追い込んで我が物にしたわけだ。
 トランプみたいな男(今のところ女はいない)が登場すると、良識あるアメリカ人が必ず現れて正道に戻る努力をしたもんだが、我らのヴォネガットさんはすでにあの世に行っちゃったし、でもメリル・ストリープさんやデ・ニーロさんが頑張ってるから、気長に見守っていこか。それにしてもいろんな点でトランプに似ている我が国の宰相は距離を置くどころかこれは好機とばかりますます近寄ろうとしている。アホかいな。

*1980年夏(死後、息子追記)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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何ともはや への3件のフィードバック

  1. 佐藤敏明 のコメント:

    いつも「モノディアスロゴス」を読ませていただいています。
    最近のトランプ現象には腹立たしく思っていたところで初めてですが、コメントを送らせていただきます。
    「なんともはや」、まったくの同感です。
    トランプは、1933年のヒットラーだと思っています。一体全体人類はこの80余年どんな進歩を遂げたのかとトランプの米大統領選任で考えてしまいます。ヒットラーはアウトバーンの建設やフォルクスワーゲンの生産などを手掛かりに一時的にドイツの景気を良くしましたが、その後の蛮行は見てのとおり。
    トランプも安倍晋三も景気を良くすることに熱心なようですが、これらは1933年のヒットラー同様マヌーバーに過ぎなく、安倍晋三などは改憲の企てを露骨に宣っていて、全権委任条項に至ってはヒットラーそのものです。
    ただ1933年のドイツと現在のアメリカ、日本の違いは、ヒットラーの圧倒的な支持と違って、トランプや安倍晋三の支持が過半数に達していないことです。これがこの間の人類の進歩といえば進歩といえるかなとも。
    このことを手掛かりにトランプや安倍晋三を圧倒的少数にしていくにはどうすればよいか、そのことに真剣に取り組まなければとも思います。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    佐藤敏明様、初めまして。
     おっしゃるっとおりですね。またもや愚かな歴史が繰り返されようとしています。いかにしたらこの状況を変えられるか。
     周囲半径1キロ世界に住む黙居老人としては、こうしてブログを発信するとか、暇を見つけては豆本を作って「平和菌」の拡散を図るしかありません。でもささやかな発信を貴兄のようにしっかり受け止めてくださる方がおられることに意を強くしています。豆本の方ですが、いま数えてみましたら日本語版1606(うち拡散済み1459)、スペイン語版160(うち拡散済み61)となってました。初めはほんの冗談のようにして始めたことですが、今は千羽鶴を折ること、お百度参りすること以上に、効験あらたかな勤行に模して頑張ってます。
     ともかく声を上げ、声を伝え、身近な人から賛同者を増やしていくしかないのでは、と思ってます。迂路のようですが、結局は心からの覚醒と変革が必須でしょうから。
     佐藤さん、一緒に声を上げて頑張りましょう。今後ともよろしく。

  3. 阿部修義 のコメント:

     フィリピンのルバング島から29年の年月を経て、日本に帰還され三年前に91歳で亡くなられた小野田寛郎(おのだ ひろお)さんが、こんなことを言われていました。先生の文章を拝読して、先生の覚悟を感じ、ふと、思い出しました。

     「私は戦場の三十年生きる意味を真剣に考えた。戦前、人々は命を惜しむなと教えられ、死を覚悟して生きた。戦後、日本人は何かを命がけでやることを否定してしまった。覚悟をしないで生きられる時代はいい時代である。だが、死を意識しないことで、日本人は生きることをおろそかにしてしまってはいないだろうか。」

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