「やっぱ言ったらしいよトランプが」
「何て?」
「ぼくちゃんたち相性いいって」
「だから言っただろ、安倍とトランプ、まるで双子の兄弟みたいだって」
「でもあんな男が大統領に上り詰めるとは、アメリカもおかしな国になってしまったね。と言って安倍みたいな男が首相になってる国もそれなりにおかしいけど」
「この間テレビを見てたら、なんと懐かしのケント・ギルバード※が出てたよ。それもトランプのシンパとして。昔出ていたころはカリフォルニア州弁護士とかの肩書で人畜無害の外タレと思ってたが、なんと今じゃバリバリの右翼だぜ」
「途端に人相まで悪くなって見えるね。トランプは今やリトマス試験紙みたいなもんで、好き嫌いでその人の人格の中身まで見えてしまう」
「止めよう、この話。だんだん気分が悪くなってくる」
「ところで君、この三日ほど、豆本作りの合間に、またぞろ古本再生術だか蘇生術だかで忙しそうだね。
「気分が鬱屈してると出てくる発作みたいなもの。今日はたまたま見かけた古いペンギンブックを蘇生させたよ。まずヘミングウェイの『午後の死(Death in the Afternoon)』と『海流の中の島々(Islands in the Stream)』の二冊を合本にした。表紙に厚手の紙を貼り、それを水玉模様の布でくるんで背表紙に茶色の布を貼り、最後は題名を印刷して表紙と背中に貼り、おまけに原本表紙にあったヘミングウェイの顔写真を貼り付けて超豪華本に仕上げた」
「でもまだ読んでなかったんだろ?」
「バレたか。でも『午後の死』の真ん中あたりに闘牛の写真が96ページもあって、いつかゆっくり読みたいとは思ってる」
「ところでその闘牛だけど、最近は無くなったのかな、動物愛護団体とかのクレームを受けて」
「昔はブラスコ・イバーニェスの『血と砂』を読んで熱中したこともあったね」
「そっ、でも何回かのスペイン旅行でも結局闘牛は見なかった」
「残酷だから?」
「いやそういうわけでもない。機会があれば見たかも知れない。残酷といえば世界中で今も繰り返されている戦争の方が何倍も、いや比較にならないほど残酷だがね。昔ローマで剣闘士の見世物があっただろ。血の気の多いローマ人はあれで好戦気分を鎮めたらしいね」
「一度、徹底的に闘牛の歴史を調べようと思っていくつか文献をそろえたこともあるが、もうそんな時間はないや」
「そうだペンギンの『これぞジェームス・ジョイス(The Essntial James Joyce)』も厚紙を張って黒い布表紙にし、原本のジョイスの肖像画はそっくりそのまま切り抜いて、これも世界に一つしかない美本(?)にしたよ」
「懐かしいね。「いまだ書かれざる小説へのプロローグ」という大昔「青銅時代」に書いたものをちょうどいまハビエルさんが訳し終えて、改めてあのころのこと懐かしく思い返した。その中でジョイスの『若き芸術家の肖像』とトマス・マートンの『七重の山(Seven Story Mountain)』を狂言回しに使ってね」
「つまりあのころすっぽり自分を覆っていた霧から抜け出すヒントを得ようとしてだろ。でも霧っていえば、今もすっぽり霧の中に閉じ込められてるようなもんだろ?」
「……あゝそうそう」
「また逃げたな」
「装丁の話に戻るけど、これもたまたま本棚の隅に見つけた小冊子を布表紙にして背革を貼り見栄えのいい豆本に仕上げたよ」
「1971年に原町市が発行したやつの復刻版として、2007年、はらまち・小高・鹿島(つまり現在の南相馬市)と相双教職員の九条の会が市民に配った『日本国憲法』だろ」
「そう、これは憲法だけじゃなく教育基本法と児童憲章まで収録した横7.5センチ、縦11センチ、64ページの豆本。お金があったら全国民に印刷・製本して配りたい」
「恥ずかしながら憲法を今までしっかり読んでなかったばかりか教育基本法や児童憲章も初めて見るお粗末。いやーこれを機会に『平和菌の歌』の豆本と一緒にいつも携行することにしよっと」
「そうだよな。憲法改悪反対なんて言っても、きちんと読んでないなら話にもならない」
「そういうこと」
※デリカットさんごめんなさい。同じケントでもギルバードの間違いでした。お詫びして訂正します。(2月13日、朝)