もうだいぶ前から老眼鏡の蔓(つる)の付け根のネジが両方とも取れてしまい、細い針金で応急処置をしたのはいいが、微妙に焦点がボケて何とも気色悪い。午後、他の買い物ついでに三年前にそのメガネを買ったパリミキに行ってみた。中年の感じのいい男性店員さんが、どうぞそこに腰かけてお待ちください、と言うので、椅子に座ってぼんやり店内など眺めていると、通りがかった一人のおばあちゃん(と言って私くらいの年齢か、というと、私はおじいちゃんだ)がつかつかと寄ってきて、「これどうぞ」と赤い包み紙の小さなお菓子を三個ばかり渡していった。びっくりして目で追う私に「オスソワケ」とにこやかに笑って去っていった。
そこに店員さんが戻ってきて、「はい直りました」。「お値段は?」と言う私に、これまたにこやかに「いいえ無料です」「……ありがとう、すみません」
店の外は寒い風が吹いていたが、その店の中はすでに暖かな春風が吹いていたようだ。
家に帰ってその三つの小さなお菓子を改めて見てみた。キットカットだった。赤い包み紙には「キット、サクラサクよ」、別のものには「最後まであきらめないで」とのメッセージが入っていた。きっとあのおばあちゃん、この春受験する孫娘にでも買ったのだが、しょぼくれた爺さんの姿を見て、この人にもサクラがサイテほしい、と思ったのかも知れない。
小さなお菓子一つでも、この世知辛い世の中に春風を吹かせることができる!
そうだ、私はキットカットの代わりに、毎日作っている「平和菌の歌」の豆本をいつもポケットに入れておき、これはと思う人に上げることにしよう!
あのおばあちゃんに一冊あげたかったなあ!
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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半年ぐらい前に某ハンバーグチェーンで食事をして、会計の時に千円札を出したら機械に通らないので他の千円札を出して欲しいと若い男の店員(アルバイト風)に言われ、偽札ですかと聞いたことを思い出しました。私の財布にはそのお札しかなかったので、店員にあなたの眼で見てどう思いますかと聞いたら、本物ですねと事務的な対応だったので、こっちも忙しいのでおつりを早くと事務的に返しました。先生のお話とは、まさに対称的なお店側の対応で客側の気持ちも随分違うんだと思いました。効率とか利便性を追求していれば、お客との信頼、信用関係も希薄になっていくということです。仮に機械に通らなくても、自分の眼で本物だと確認して、気持ちよく、また、どうぞお越しくださいと言われれば、私も、また、利用していたわけです。そんなことがあって、そこのお店には行っていません(笑)