構造的貧しさ

近ごろ嫌なことが多すぎるので、心温まるニュースがあるとほっとする。その一つを下手に要約などしないでそのまま引用しよう。

64年前の少女どこに 再会願い【奇跡信じる】日系2世元米兵

 米ロサンゼルス近郊に住む日系2世の元海兵隊員、ロバート和田さんが、64年前に横須賀市で出会った少女を探している。朝鮮戦争出征前の不安を和らげてくれた思い出が、85歳となった今も忘れられず、奇跡の再会への思いを募らせている。
 和田さんが少女と出会ったのは1951年5月。朝鮮戦争で釜山へ赴く途中、横須賀に寄港した最初の夜だった。
 外出先から深夜に基地へ戻ると、門前で造花を売る10歳ぐらいの少女がいた。少女を案じた和田さんは財布の中身を全て渡して花を買い上げ、日本語で「危ないから、こんな遅くに二度とここへ来てはいけない」と諭した。
 ところが数日後の深夜、また同じ少女が門の前に立っていた。和田さんは再び叱った。
 「ちょっと待って」。少女は、少し離れて集まっていた6、7人の女性の中から母親の手を引いてきた。実は「日本人に似た顔立ちで日本語を話す米兵」に礼を言うため、母親たちは翌日から待っていたという。
 「私たちはあなたが無事に自分の国に戻ることを祈っています」
 母親はそう告げた。女性たちはずっと手を振り続けてくれた。
 出征直前の不安な時だっただけに、和田さんの胸に深い感動が残った。少女から買った花は、任地まで持って行った。
 無事に帰国でき、その後は経営コンサルタントとして成功し、全米日系退役軍人会の会長を務めていた。だが64年たった今でも、思い出は鮮明だ。
 あの時の少女に会いたい―。和田さんがずっと持ち続けていた願いを、ロサンゼルス在住の日系人、クリス三宅さん(63)が聞き、仲介役を買って出た。自らのネットワークで探す一方、9月末までの約1カ月間の来日中、知人を介して神奈川新聞社にも協力を呼び掛けた。
 三宅さんは「名前も知らないし、見つかるのは奇跡だろう。だがその奇跡を信じたい。誰かが覚えていてくれれば」と、和田さんの言葉を代弁し、情報提供を求めている。

[カナロコ by 神奈川新聞 10月12日 (月) 配信 ]

 次はニュースではないが、このあいだスペインの文化人類学者カロ・バロッハの本を何気なく見ていたとき、ゲーテの『イタリア紀行』のナポリの描写を紹介している箇所が強く印象に残った。で、さっそくその箇所を探そうと思ったのだが、そのバロッハの本がなぜか見つからない。隣りの部屋の本棚に収まりきれなくて床に積み上げられたいくつかの山の中のどこかにあるはずなのだが…しかし結局見つからず、それならゲーテの『イタリア紀行』そのものの中から探した方がいいだろうとページをめくっていったところ運よくその箇所らしきところにぶつかった。相良守峯(もりお)の名訳になる岩波文庫版(中)の、1787年5月28日 ナポリにて、の次の文章である。つまりフォルクマンという人の案内書には、ナポリには三万から四万の徒食の輩がいると書かれているが、それは北国人の見方であって、ひどい格好はしていても決して無為の徒ではないと推察しての観察記録である。

 私の主張するところを一そう確実明瞭にするため、もっと詳しい点に立ち入ろう。ほんの小さい子供でさえもいろいろと立ち働いている。そういう子供の大部分は魚を売りに、サンタ・ルチアから市内へ出かけてくる。また他の子供が砲兵工廠のあたりや木屑の散らばっている普請場や、小枝や小さな木片が波に打ち揚げられている海岸で、小さな破片にいたるまで手籠のなかに拾いいれているのをしばしば見かける。やっと大地を這うような二三歳の子供も、五六歳の子供の仲間に入ってこの小さな生業(なりわい)に従事している……

 ゲーテはこのあとさらに貧しい子供たちがいかに健気に、たくましく、しかも楽しそうに働いているかを描写している。

 以上二つのエピソードから何が読み取れるか。簡単に言えば貧しさの中の豊かさ、あるいは貧しさの中の人間的な温かさ、そして感動である。もうどこかで書いたことがあるが、私自身、敗戦後の旧満州で、ばっぱさん(当時は30代後半だったろうか)が収容施設から町へ出て、路傍でラッキーストライクやキャメルなどアメリカ・タバコを売ったり(今でもその図柄を見ると不思議な懐かしさを覚える)、壷に入った唐辛子汁(?)を戸別に売り歩くのについていった経験がある。また引き揚げてきてからも、あの当時は一種の流行だったのだが、小三から小四にかけて、朝、学校に行く前に、手籠に入れた納豆を売り歩いたこともある。売上金の十円銅貨がまるで宝石のように輝いていたことを今でもはっきり覚えている。
 今じゃ小学生がアルバイトするなんて考えられないだろうが、皆が貧しかったあの当時、子供が働くことに何の不思議もなかった。十八世紀末のナポリほどじゃないが、小さな子供もそれなりの才覚を働かせて家計を助けたのだ。そして学校で学ぶこと以上の人生の勉強をしていた。ところが現代の子供たちは、一律に、機械的に、その多くは生きるために特に必要でもない知識をやたら詰め込まれて窒息しそうになっている。空き地でボール遊びをする男の子たちや、路地裏で茣蓙を敷いてのままごと遊びをする女の子たちの姿もめったに見られなくなった。言うなればこれは豊かさの中の貧しさである。
 しかし最近、状況は少し変化しているようだ。先日も或る中学校の教師から聞いたことだが、いま貧しい家庭の子が増えているそうだ。世はアベノミクスとやらが喧伝され、いかにも景気が良さそうだが、それは大企業や一部の金持ちたちのことで、大多数の庶民の生活はかなり苦しくなってきている。つまり経済的格差が広がっている。しかし現在の貧しさはいわば構造的な貧しさであって、かつてのような貧しさの中の豊かさは望むべくもない。
 85歳になるかつての老兵にとって、64年前のあの貧しい花売り娘との出会いは、まるで闇夜を照らす探照灯のように以後の彼の人生を照らし続けてきた。言うなればかつての花売り娘の貧しさが彼の人生を豊かにしてきたのだ。人生の三苦(老・病・死)を避けようと四苦八苦してきたわれわれだが、実はそれら三苦こそが同時に人間の尊厳性を、そして情けと友愛のきっかけにもなることを忘れていはしまいか。恥ずかしながら、今までばらばらだった我が家も、今回の嫁の発病をきっかけに一気にまとまりを見せ、互いを思い労わる気持が高まっているのもその真実性を証明しているだろう。
 人生の最終コーナーにさしかかって、柄にもなくそんなことを思う最近の貞房でした。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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構造的貧しさ への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     息子さんのご家族が戻られて本当に良かったと思いますが、お嫁さんの頴美さんのご病気が早く回復されることを心からお祈り申し上げます。今から十三年前のモノディアロゴスを相変わらず耽読していましたら、「写真機(2002年10月25日)」で先生がまだ小学生のころカメラに凝られていて、買われたカメラに致命的な欠陥が見つかってこんなことが書かれてありました。日ごろからの準備、心掛け、心のあり方の大切さを改めて感じました。

     「人生にはままならぬことがあり、人はその度に、ちょうどボートの底の穴から漏れ出る(入る?)水を掻き出すぐあいに、臨機応変に対応しなければならぬという人生訓を、このカメラとの悪戦苦闘から覚えたような気がする。」

  2. 守口 毅 のコメント:

    佐々木孝兄殿
    息子さんご一家との再合流も天からの配慮でしょうか。
    私が一度お会いした明るい笑顔の頴美さんのご病気が心配です。あの愛くるしい愛ちゃんが、奥様の心をどんなにか暖かく包み込むことでしょう。兄いのお心もゆるやかに解かれることでしょう。よろしかったですね。
    <人生の三苦(老・病・死)こそが同時に人間の尊厳性を、そして情けと友愛のきっかけにもなることを忘れていはしまいか。>という兄いのご指摘は、深く、重く、そしてなんと慰めに満ちた言葉でしょうか。おまえも頑張ってみろ、と私めをも励ましてやみません。

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