巣穴の補修

一日が過ぎるのってこんなに早かったのだろうか。特に冬に向ってのこの時期の早いの何のって。例年より十日も早く、福島市の方では初雪が降ったとか。
 今日はそのうちでも飛び切り早く過ぎた一日だった。昨晩、久しぶりに(何日ぶりかなど恥ずかしくて言えないが)風呂に入り終わって脱衣所に向かう際、ゴムマット(?)を壁に立てかけようとした時、その下のタイルが25センチ四方の範囲ではがれていることに気付いた。えっ冗談でしょ! いったいいつ? どうして? でも深夜近い時刻、誰にも聞けないまま、後はすべて翌朝のことと寝ることにした。
 翌朝、頴美ちゃんに聞いてみると、彼女も気がついたらタイルがはがれていた、と言う。壊れた次第は不明だとしても、ともかく直すしかない。朝食のあとジャスト(量販店)に行って、若いお兄ちゃんに事情を説明し、「セメダイン 浴室タイル 防水シール」というやつを購入してきた。小さなタイルが25枚くらいはがれているので、それらをいったん横に取り出して、コンクリートの地肌にシールを満遍なく広げて塗り、その上にタイルを並べていくことにしたが、その糊状のシールがべたべたとしてすこぶる扱いにくい。つまり一枚のタイルを貼り付け次のタイルを、と思った瞬間、指にくっついて離れないのだ。
 結論から言えば大失敗。白いべたべたが鳥もち(といってそれを扱ったことはないが)のように指から離れず、最終的には20数枚のタイルが団子状になってしまったのだ。
 さあ困った、どうしよう。やはり素人には無理な作業だったか。かくなる上はタイル屋さんに頼むしかない。それでいつも家の補修などで世話になっている吉田建業に電話をして、仕事仲間のタイル屋さんを紹介してもらうことにした。ところが数分後に折り返しかかってきた電話によると、タイル屋さん大忙しで年内はとても無理とのこと。
 仕方ない、自分でやるっきゃない。でもセメダインはほぼ使い切ってしまった(と言うより無駄にしてしまった)ので、午後またジャストに行く。以前やはり風呂場の壁のタイルを補修した時、たしか二本のチューブの中身を練り合わせてコンクリート状にしたはず、と思って店員さんに聞いてみると、そんなものは置いてないと言う。じゃ先ほどのものをもう一本買うしかないか。
 さて作業次第を逐次報告するのもシャクだから、簡単にまとめると、団子状になったタイルを一枚一枚はがして、丹念にコンクリートの地肌に並べるのだが、今回は手でなく錐の先端を上手に使って、根気よく、整然と並べていき、最後にペイスト状のシールをそれらの隙間に搾り出しながら埋めていくことにした、寒い風呂場でしゃがみこんでこの作業を続けるのはまさに苦行そのものだったが、二時間(そんなになってなかったかも知れないが、気持としてそれ以上の時間に思われた)近くかかってようやく作業を終えた。
 最後はタイルの表面に付着したシールを一枚一枚錐の先や耳掃除用の綿棒でふき取る作業だが、自分でも感心するくらい黙々としつこく続けた。乾くまで24時間放置しなければならないが、果たして明日の夕刻までしっかり固着してくれるかどうか、それはまったく保証の限りではない。
 結局今日一日は、美子の世話以外はただこの作業のためだけに使ったようなものだが、これが無駄だったとは思わないことにしよう。これも生きることに伴う大事な時間だったと、いやこれもまた生きることそのものの内実なんだと思うことにしよう。
 実はこの数日、途切れとぎれにカフカの「巣穴」(『カフカ寓話集』所収、池内紀訳、岩波文庫)を読んできた。まだ読み終わらない。主人公はその巣穴の主の狸だか貉(むじな)だかの小動物だが、わずか数ページの掌編ぞろいのこの寓話集の中では何と58ページにもなる長いお話なのだ。内容と言ったって、巣穴から出たり入ったり、外敵や獲物のことに言及はするが、大半はどうでもいいようなことをああでもない、こうでもないと語っているだけの小説だ。しかしなんとも気になる小説で途中で放り出す気にはとてもなれない奇妙な小説だ。
 考えてみれば、自分もこの小動物のように、自分の巣穴を出たり入ったり、巣穴から離れるといってもせいぜいスーパーか量販店、そして月一度の割で歯医者さんとクリニックに通うだけの日々。似た様なものだ。だからだろうか、この「巣穴」の主人公の一挙手一投足がとても他人事とは思えないのは。
 本の補修、破れ靴下や股引の補修、そして今回の風呂場のタイルの補修。こうなれば腰を据えて何でも補修してやれ、との思いを新たにしている。
 話は突然変わるが、女優の原節子さんが帰天された。亡くなられたのは九月の五日だが(肺炎で)、本人の遺志で公にはされなかったそうだ。享年95歳。『東京物語』など小津作品での彼女の神々しいまでのお顔や立ち居振る舞いが懐かしく思い出される。これぞ女優。あんな女優はもう出ないだろう。心からご冥福を祈る。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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