思いがけぬ繋がり

昔々、昭和五十二年だから三十九年も前、『青銅時代』という同人誌に「途上」という短編を書き、その中の「パースペクティブ」という掌編にこんなことを書いた。めったに読む人もいない私家本の中だから全文を引用してみる。

「蜘蛛のように、自分の行動半径が画然としているやつは、ほっとしているだろうなあ」私はそう呟いてみるが、呟いてみてどうにかなるということもないので、すぐ口をつぐんでしまう。しかしつぐんでしまっても、またどうとかなることでもないと思い到り、やおら立ち上がり、部屋の中を行ったり来たりする。それでも足りなくて縁側に出て、わずかだが行動半径を広げてみる。窓から見える、低いがそれでも山には違いない地殻のうねりを視界のはじにとらえ、そこをひとつの限界点に見たてて、さて今度はその対蹠点を見つけなければならない。それで私は物干し台から屋根に上ることにした。山の中でもいちばん高いやつの天辺をA点、私の今立っている屋根の上をB点、このB点を通って真っ直ぐ線を引き、 AB間と等距離の地点をC点とし、AC間を直径とする円周の中にすっぽりと収まりたいのだが……だがC点を求むべき地点は生憎と海の上になりそうだ。がっかりして私は屋根から下り、物干し台の上に大の字に寝ころんだ。雲が流れている。いや、流れているのはやっぱりこちらとしか思えない。ぐるぐるぐるぐる廻ってる。そこで私はまたもや思索を続ける。行動半径を平面に限るのは、いかにもみみっちい話ではないか。どうして上を、空を考えなかったのだろう。そこで私は両腕をVの字型に上に向けて広げる。決まった、私の行動半径は両腕に入ってきた全空間だ、私は逆円錐形のとんがりということになるわけだ。私は突然愉悦感がこみあげ、腹部が苦しいほど波打った。これはまずい、またいつかのようにしゃっくりの前兆かな、と思っているうち、どうにも抑制がきかなくなり、まるで腹部が勝手な意思を持ちはじめたようなのだ。だがしゃっくりの時のように変な胸苦しさはなく、かえってある快感を伴ってきたのは不思議だ。蠕動はなおもしばらく続き、私は腕ばかりか両足も空に向かってあげ、さらにあげ、さらに首を起こすようにして、円錐の頂点が文字通り一点になるよう努めてみた。するとどういう風の吹きまわしか、時ならぬ南風が私のからだを煽るように吹き、見よ、私は今や完壁な円錐形に変化した。」

 そんな大昔の駄文をご紹介したのは他でもない、私という人間は昔から基本的なところは全く変化しなかった、悪く言えば成長しなかった、良く言えば志操堅固…おっとそれは褒め過ぎ。やはり進歩しなかったというのが真実であろう。いやここで言いたかったのは、半径1キロ四方の世界に生きることを余儀なくされたと思っていたが、実はそれが密かな夢でもあったことを思い知ったからである。つまり定点観測者のように、自らは動かなくとも、広い世界のここかしこに起こる物事や人間たちとの繋がりを、むしろ確実に、そして手応えあるものとして実感できる境涯になったということである。
 その例の一つ。最近、隣のコメント欄を通じて知り合った立野教授が先日お手紙を下さり、その中でいま『峠を越えて』を読んでいるが、私たち夫婦が知り合った1968年は、ダニエル・ベリガン神父がケイトンズヴィル事件を起こした年ですね、と指摘されたことに始まる。そのとき教授はベリガン神父が最近亡くなったとも書かれていたのだが、そのことにもさして注意を払わなかった。ところがこれも数日前、同じく隣のコメント欄を通じて知り合った佐々木あずささんがメールで、いま『峠を越えて』を読んでいて発見したのだが、実はベリガン神父の反戦思想は彼女の卒論のテーマだったと書いてきたとき、にわかにベリガン神父に意識が向かったのだ。急いでネットで調べると、こう出ていた。

「ベトナム戦争当時、米カトリック社会正義運動の先駆者として知られたダニエル・ベリガン神父(イエズス会)が4月30日、ニューヨークのフォーダム大学病院で死去した。94歳。」

 前述のケイトンズヴィル事件とは、神父が八人の仲間たち(そのうちの一人は弟のフィリップ)とメリーランド州の徴兵委員会に押しかけ、378通の徴兵書類を駐車場へ運び、手製のナパームを浴びせて焼却した事件だが、後に彼自身がこれを戯曲化(『ケイトンズヴィル事件の九人』)し、1971年、ブロードウェイで上演された。これを観て感激した有吉佐和子がこの戯曲をエリザベス・ミラーと共訳し、さらに日本の代表的な演劇人の協力を得て、翌年、紀伊国屋書店での上演の運びとなった。その際、私の代わりに出掛けて行った美子が、有吉さんの隣の席だった、と興奮して帰ってきたのを覚えている。なぜそんな特等席に座れたかというと、実は今は亡きラブ神父さんが事前にベリガン神父に紹介してくださっていたからだ。ベリガン神父さんからいただいた署名・献辞入りの詩集 “Encounters(出会い)” や、その他かなりの数の詩集やら評論集がわが貞房文庫に収まっている。
 実は立野教授に指摘されるまで、美子と最初に出会った年(1968年)と月(五月)がケイトンズヴィル事件がまさに起こったときでもあったことに気づかなかった。ラブ神父さんの勧めで、事件のすぐあと、ベリガン神父の “They call us dead men”(1955)を訳出したのに、である。これを出版するつもりだったが、カトリック系の出版社と版権のことで折り合いがつかず長らく篋底にしまい込んでしまった。後に、題名も『危機を生きる』と変えて私家本として発行した。しかしこれまで数冊しか注文がない。もちろん今回、佐々木あずささんは注文なさったが。
 ところで話はまだ終わらない。先ほど引用した「パースペクティブ」の最後にあるように、私の世界は外界に向かって広がるだけではなく、円錐の先っちょのように限りなく内面を掘り下げるものでもある。このあたり少し(ですか?)強引なこじつけになるが、要するに言いたかったことは、立野教授の、これから『ウェブ版新・人間学事初め モノディアロゴス』(行路社刊)を読むところですという言葉に誘われて、自分もしばらく読み直したことのないこの旧作を読み始めたのであるが、(そろそろ例のエゴラトリーア〈自画自賛〉が始まるぞー)、現在のものとは違って、きちんと千字以内の、実に抑制の効いた文章から成り立っていて、なかなかいいのである。現在のように、例えば今書いている文章のように、読者を意識し過ぎることもなく、静かにおのれの内面に測鉛(探り針という新造語を使っている)を下した書き方をしている。
 そして長らく忘れていた平沼孝之さんの貞房論(「青銅時代」第48号、2008年)も読み直し、本人ですら思い至らなかった富士貞房(逃亡者)という筆名の深い(?)意味付けに改めて感動したのだ(ここまで自己陶酔すればご立派!)。いずれこの貞房論の要旨だけでもご披露したいが、今回は少し(ですか?)無駄口を叩き過ぎたのでこの辺でお開きとしましょう。

(ねっ、昔はきちんと千字に収めたのに、今日などこれで2,700字だどーっ)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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思いがけぬ繋がり への6件のフィードバック

  1. 佐々木あずさ のコメント:

    先生、今日のモノディアロゴスも深く、心の中に沈殿していきます。オープニングは、お会いしたことのない先生のふるまいと、空にvの字を描く姿が脳裏に浮かび上がるほどでした(笑)。そしてベリガン神父のくだりは興味津々。大学の図書館で、アサヒジャーナルや世界など、なにか関連記事はないかと思い、ページをめくっていた日々。先生と奥様の出会いと同時期に始まった、お二人の合作(翻訳、評論)が、あの時見つけることができたら!と思う私です(笑)。先生、今日、ベリガン神父の評論と献呈本が届きました。これから「呑空庵@とかち」の書棚を作ります。先生のお手による著作集は、奥付も含めて、手に馴染みます。図書館よろしく、カバーをかけようかと思案中です。まだ案内はしていませんが、案内を出しましたら、先生にも送ります。また、HPで先生の思索に出合うことを愉しみに。佐々木あずさ拝

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    佐々木あずさ様
     「呑空庵@とかち」はいいですね。これに倣って、日本のいたるところに支部ができれば、と願ってますので、どうかパイオニアの精神で頑張ってください。
     ところで私の書棚にある私家本は、すべていらなくなった布や菓子箱のボール紙などで厚手の布表紙にしています。手作り本のさらに手作り装丁というわけです。
     それからこれはゆっくり余裕ができた時の話ですが、私家本のデータを送りますので、そちらで印刷・製本して、欲しい人に実費+ちょっと手間賃で分けることもできます(会計はすべて支部独立採算制で)。もしその気が出てきましたら、私が使っている「製本屋さん」と同じもの(名古屋のアイデアグッズ工房製の小型、ネットで検索すれば出てきます)を寄贈してもいいですよ。
     でもその前に豆本歌詞集の自主製作にチャレンジしてみては?
     ともかく呑空庵支部第一号誕生バンザイ!

  3. 佐々木あずさ のコメント:

    昨日も、今日も、ずーっと、先生の著作集を読み続けています。茶の間の壁掛け時計の音しか聞こえないなか、時折、先生のお国言葉の瞬間湯沸かし器?!のモノローグに、声をあげて笑い、また、理不尽な権力者(政権、東電など)への悲憤に共感し、美子夫人へのしみじみとした温もりあふれる想いに感銘を覚えながら、読ませていただいております。お父様の人生をたどり、ご自身の根っこを探すご本。ばっぱ様のエッセー集、先生につながる諸氏との交流~大好きな渡辺さんと出会うきっかけにも感動!~、お仲間のエッセーなど、時の立つのも忘れる勢いです。

    明日は、その著作集にカバーをかけてみようと思っています。そして、各々の本のちょっとした紹介文を考える予定です。先生の記事と一緒に、著作集を紹介するミニ通信も作りたいと思っているところです。

    私事ではありますが、原発事故の翌年、教職から離れ、「成長と発達」の学び直しをしております。「今を生きる」私が、私の心と目で、周囲を見回し、一人で考える時間を持ちたいと思ったのも、大きなきっかけでした。あたふたと、目の前の業務を「処理」する作業の繰り返しの日々から、離れることで、じっくりと考え、そして、発信、行動していくのが「今」だと思ったわけです。子どもたちとの関わりは、私の生きる力になりますので、アルバイトではありますが、子どもと関わる仕事にはついております。でも、現職の時とは違い、かなり、余裕をもって接することができ、今まで見えなかったことも見えるような気がします。

    独身ゆえ、気楽な晴耕雨読的?!暮らしです。とはいえ、先生のように印刷・製本までの能力と根気は、まだ足元にも及びません。まずは、先生の著作集と平和菌の普及、増殖に一歩、踏み出してみます。どうか、これからもよろしくご指導いただけると幸いです。呑空庵@とかちの名に恥じないように、勇気と元気で、ユーモアのセンスを磨いてまいります。

    佐々木あずさ拝

  4. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    嬉しいことを言ってくださいますね。そうなんです、自分で言うのも変なんですが(ほんとに変)私が目指しているのは、究極的には魂と魂の対話で、私の発する波長にご自分の波長を合わせていただければどんどん面白くなるはずなんですがね。ただ波長を合わせてくださる方がめったにいないのが残念です。
     いつも言ってきたことですが、今どき教師であることは実に難しい時代になってきました。同じ町に住む若い友人は、この三月まで普通の市立中学校の先生で、いろんな矛盾に苦しんでましたが、この四月から養護学校に転勤になり、初めて教師であることに喜びと生きがいを感じているようで、私も喜んでいます。
     ともかくお互い、元気を出して頑張りましょう。あなたと同時期にお友だちになった立野さん、それからこのブログを通じて知り合ったたくさんの魅力ある人たちともこれから徐々に仲良くしてください。

  5. 佐々木あずさ のコメント:

    波長、いい言葉ですね。最近、仕事はバイトだけですので、時間はたっぷり。すると、新しい出会いにも恵まれ、子育て中のママや民俗芸能をこよなく愛する70代のおばさまなど、新しい仲間ができました。僭越ではありますが、先生もそのお一人に加えさせていただきますのでご了承くださいませ。

    養護学校に異動された若いご友人のこと、共感します。私も辞職する最後の1年は、養護学校でした。ここで、子どもの早さ・遅さに合わせた柔らかい速度に出合いました。心地よかったです。そして、「最近接発達領域」という言葉の意味がじん割りとしみこんできました。

    モノディアロゴスⅩにあった「蟻塚ドクター」はフェイスブックで出会いました。お名前を見つけた時、「あ、やっぱり」と思いました。実は、平和菌の豆本を送りたいと思っているお一人が蟻塚ドクターでした。

    先生の著作集を読んでいると、あまり回転のよくない頭なのに、シナプシスがブラウン運動をしているような気分になります。もしかすると、この数日で脳細胞が増えているような気がするのは気のせいでしょうか(笑)

  6. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    佐々木あずささん
     あゝそうでしたか、あなたの教員生活の最後は養護学校の先生でしたか。そして蟻塚医師をご存じとは、びっくりしました。隣町なのに私はまだ彼に連絡したこともありません。ぜひよろしくとお伝えください。それにしてもあなたの世界も広いですね。シナプシスなどという私の知らない言葉が出てきて、急いで辞書を調べましたよ。もしかしてあなたは大脳生理学も勉強したんですか。
     どうかあなたの新しいお友だち(たち)にもよろしく。

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