あゝ、ごせやける!

最近特に物忘れが加速しているようだ。そんなとき晩年の埴谷雄高さんがしきりに物忘れを嘆いておられたことを思い出す。博覧強記の埴谷さんでさえ、あるいはだからこそ、おのれの記憶装置にガタが来たことを敏感に意識されていたのだろうが、埴谷さんとは比較にならぬ低い次元で、この私も早くもボケが始まっている。
 ケータイなど時間を見たり目覚ましに使う以外はほとんど利用しないが、そのケータイをいつ買ったか、どうも思い出せない。確かその前にもう一台使っていて、それとの機種交換を安くしますから、との誘いを受けて購入したはずだが、はてそれがいつだったか。たぶん美子が胸椎の骨折で入院したころ、六号線手前のAUで買ったのかも。とすると八年近くも使っていたことになり、持ち主同様ガタが来たのか。というのは昨朝、枕元に置いたケータイがコトリとも鳴らず、触ってみると少し熱っぽくなっていて初期画面も出なければ、充電器に乗せても一向に反応しなかったからだ。とうとう寿命が来たか。
 それで台風十号が通り過ぎてやけに陽射しが暑くなった午後、そのAUに行ってみた。店には5人ほどの若い男女の店員さんがいて、銀行や郵便局のように入口の機械で番号札を受け取り、ソファーに腰を下ろして待つことにした。ところが30分ほど待たされ、そろそろ置いてきた美子のことが心配になって、順番がいつ頃になるのか問い合わせると、あと五分とのこと。実際はその二倍の10分過ぎにようやく若い男が近づいてきて、故障かどうか調べてみましょうとケータイを持っていった。戻ってきて言うには、どうも内部の何とかが破損しているらしく、データも取り出せません、とのこと。仕方ない、じゃこれと似たような簡単操作のもの、いわゆるスマホではない普通のケータイをくださいとの注文に、持ってきた四色のものから老人らしく黒の、これまでのより少し長く少し薄目のケータイを購入することにした。
 ソファーに座っていた私のところに来たその若い感じのいい男、片膝をついて応対する様子は、まるでキャバレーで注文を聞くホストみたいで(行ったこともないのに)、言い値の3万7千円は年金暮らしの老人にはちと痛いが、しかしキャバレーかどこかで飲まされるドンペリに比べれば(飲んだこともないのに)安いか、などと思いながら用意して行ったなけなしのもので支払った。
 ところが、である。夕方、机の上に置いていた古い方のケータイから突然アラームが鳴りだしたのだ。セットしたのは8時のはずが、とんでもないときに作動したわけだ。そして何たることか、それ以来正常に機能している! 実はAUで帰りがけにこれ処分してもらえますか、と男に頼んだところ、もしかして回復するかも知れませんのでお客さんがお持ち帰りください、と言われて持ち帰ったのだが、彼の予言が当たったわけだ。よかった、よかった。
 命の無い機械がこのように突然回復するなら、生きている人間もボケてきたなどと簡単にあきらめない方がいいのかも知れない。一時は店に取って返して返品しようか、とも思ったが、いずれまた故障するなら、この際思い切って新品を使おうと思い直した。新機種の説明書はやたら字が小さくて読みにくいが、頭の体操と思ってゆっくり操作方法をマスターしよう。そうだ、古い機種から新しい機種へデータを移す方法もおいおい勉強して。と、ここまでがいつもの通り異常に長い前置きで、本当に言いたかったことは以下のニュースを読んでの感想、というより怒りである。

安倍晋三首相は13日、年内に予定されるロシアのプーチン大統領の訪日について、「プーチン氏が来日する際には、地元の下関にお連れしようと思っている」と述べた。首相の選挙区である山口県下関市で開かれた会合で語った。

 このニュースをどこの新聞も淡々と報じているのだが、彼の天敵貞房氏は怒り心頭に発している。アメリカ議会での演説、各国首脳を伊勢神宮に迎えたことなど、彼がやることはすべて大向こうのウケ狙いである。今回、大国オロシャの大統領を彼の地元に招こうとしているのも、なんのことはない、おのれのプレステージを誇示するための小芝居じみた大芝居(あるいはその逆)であることは間違いない。つまり母方の祖父・岸信介、大叔父・佐藤栄作に続く長州イデオロギーの継承者・体現者として歴史に刻まれたいとのひたすらなる名誉欲の現れ、まさにカッコマンの面目躍如といったところだ。国の命運よりも一族そして彼自身の名誉の優先。彼が後に日本を太平洋戦争という狂気の愚行に導いた長州イデオロギーの現代における忠実この上ない信奉者であり、それが今回の芝居がかった設定の真の狙いであることを、なぜきっちり指摘し、それを批判、いや少なくとも茶化さないのか。今日までそうした論調を目にしたことがない。
 物忘れは加速しているかも知れないが、それ以上に現在の政治そしてマスコミの迷走に今日(あっ昨日になってしまった)喜寿を迎えたこのロートル瞬間湯沸かし器が沸騰しっぱなしなのだ。国のあり方についての深刻な反省と将来への展望もないままにポケモンGOやオリンピックに浮足立っているわが日本よ、お前はどこに行こうとしている?

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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あゝ、ごせやける! への1件のコメント

  1. 佐々木あずさ のコメント:

    タイトルの「ごせやける」。意味は皆目見当もつかないのに、なぜか目をひきます。何という意味なのでしょう…でも、どこかで聞いたことがあるような。もしや、過去のモノディアロゴスで紹介されていたのかも。
    さて、前半戦の携帯のお話は、おちまでゆったりと読ませていただきました。先生らしいユーモアにクスッと笑い、ひざまずかせている、もとい、ひざまずかれている先生の姿を想像しながら。ところがアベの登場から急転直下。先生のボルテージが上がり、キーボードをたたく指の回転数も速さを増し、カタカタとその怒りと憤りを打ち付けているかのように感じたのは気のせいでしょうか。そうです。ロシアの大統領へのアベの接待程度にしか認識していなかった自分を恥ずかしく思いました。
    くしくも、9月1日は東京大震災の日。そして在日朝鮮人、中国人、社会主義者を大衆(一般市民)と官憲が殺した日でもあります。しっかり歴史を学ぶ意義を感じるモノディアロゴスでした。

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