曇りのち晴れ

南の方では台風被害で大変らしい。幸い私の住んでいる相馬地方は昔から台風被害はたいして無かったと思う。確か中学生のころ、そのころ住んでいた駅前の平屋の借家が床下浸水に遭ったことをぼんやり記憶しているくらいだ。
 アメリカのハリケーン被害も相当深刻だったらしいが、メキシコの地震も甚大な被害が出ている。震災後知り合ったマルコ・アントニオさんはメキシコシティに住んでいるので心配していたが、昨日のメールでは停電が長時間続いたが今は復旧したそうで一安心。しかしマグニチュード8.1の地震からわずか12日後、またしてもM7.1の強烈な地震が襲ったそうで、犠牲になった200人以上の死者の中には、倒壊した小学校の子供たち多数も含まれていたようだ。1985年のメキシコ大地震の時の死者が一万人だったことに比べると……いやいや比較の問題ではない、亡くなられた方々、特に子供たちの冥福を心から祈るしかない。
 しかし自然災害もさることながら、いま国連を舞台に繰り広げられている愚かなドタバタ劇の方はまさに人災。チキンレースで過激な演説をぶちかましたトランプに同調している我が国首相のみっともない姿。かつで国際連盟の議場から憤然と退席したかつての日本の政治家たちを髣髴(ほうふつ)とさせる北朝鮮の代表だが、すっかり洗脳されている北朝鮮国民は、かつての日本人たちが「欲しがりません勝つまでは」と困苦に耐えたように、おそらく脅しにも経済制裁にもあまり成果は期待できないのではないか。いつもは嫌いな政治家に属するプーチン大統領だが、案外彼の言っていることは正鵠を射てるかも知れない。つまり金正恩(キム・ジョンウォン)は国民の命と幸福など意に介さない独裁者だからだ。国民の大半が半ば栄養失調だというのに、あの太りようはどうだ。
 安倍首相はトランプに同調して対話の可能性を放棄したようだが、少し軽率・短兵急ではなかろうか。しつこく粘り強く好機を待つべきだ。大事なのは為政者たちの面子などではなく、どちらの側にもいる子供たちや病者・老人を含めた国民大衆なのだから。
 自然災害そして国際政治の危機的状況の話で暗い話題が続いたが、しかし今日の午後久しぶりに、明るいニュースが流れた。もしかして日本の新聞各社にとって話題にしにくいニュースなのかも知れないが、韓国紙がかなり詳細に報道したようだ。単細胞の国粋主義者たちとしてはできれば無視したいではあろうが、私としては、下品で愚かな政治家たちとは対照的に知的で品位ある方々の賢明な、そして時機にかなった決断として歓迎したい。面倒なので時事通信が報道したままを以下にコピーする。

9/21(木) 15:03配信
韓国紙「歴代天皇で初」と詳報=埼玉の高麗神社参拝
【ソウル時事】21日付の韓国主要各紙は、天皇、皇后両陛下が20日、古代朝鮮半島にあった高句麗からの渡来人を祭った埼玉県日高市の高麗神社を参拝されたことについて、「私的な旅行の一環だが、歴代日王(天皇)で初めて」と写真付きで詳しく報じた。中央日報は、天皇陛下が2001年の会見で「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と述べたことなどを紹介。「韓国の歴史と文化に関心を示してきた」と伝えた。

 中央日報や朝鮮日報によると、陛下は、神社を案内した宮司に「高句麗はいつ滅亡したのですか」「高句麗人と百済人は、どのような違いがあるのですか」などと質問し、強い関心を見せたという。「東亜日報は「天皇は訪韓に意欲を示してきたが、実現していない」と指摘。「18年12月または19年3月に退位するとみられており、在位中の訪韓は難しい状況だ」と解説した。」

※翌朝の追記
 いま話題の秋篠宮家の悠仁ちゃん(第3子男児親王)には、会津藩士を先祖に持つ川嶋家の血が流れているとのこと。そうなると数十年後に会津藩士の流れを汲む天皇の誕生もあり得、旧会津藩は晴れて朝敵の汚名から解放されるわけだ。べつだん皇室ウオッチャーではないが、同じく旧会津藩士の血を引く貞房にはちょっぴり嬉しい流れではある。誰が考えたシナリオか分からないが(たぶん自然の流れだろう)、なかなか味な成り行きである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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